相思相愛 divertimento - allegro -

*フレンとユーリで音大生パロ



それから、ユーリはフレンとの練習に許す限りの時間をあてた。大学入りたての頃のような少しばかりの興奮と楽しさは久しぶりの感覚で。単純に曲を弾くことを楽しみにしている。それ以上に、フレンと一緒に練習をする時間を楽しみにしている、自分。
最初の一曲に限らず、フレンはその後も何曲かを書き下してユーリに弾いてみてと望んだ。フレンによると、「ユーリに弾いてもらうと考えると、次々と旋律が浮かぶんだ」とのこと。面と向って言われる恥ずかしさに「お前恥ずかしい奴」と返すユーリの顔は赤くなっていて、それにフレンが満面の笑顔で応じたり。
大学に入ってから、友人という友人を対して作らなかったユーリには、高校以来のある意味新鮮な感覚だった。
何度か話をしているうちに、フレンの性格というものも何となく掴めた。真面目で融通がきかないと言えばそうだが、思考の柔軟性はそれなりに備えていて、あまり他者の目を気にしない。意外に我が強くて、実は負けず嫌い。
作曲家としての矜持が一本筋を通してフレンの中に存在しているのが好ましく思っていると、ふとエステルの言葉を思い出す。
確か、『僕の作った曲は、僕が弾いて欲しいと思ったただ一人に捧げますから』とか宣言していたらしいこいつは、いったい何を考えているのだろうか。別に万人に弾いてもらうことを考えて作曲家が曲を作っているとは思わないが。中世あたりには一人の女性を想って書かれた曲なんて五万とあるし、逆に弾き手の事なんて気にしないで想像と創造の赴くままに書き連ねた曲なんてそれこそ何万と存在する。
捧げる、という言葉にどうも現代人らしくないと言うか、ロマンチストな面を感じる。かつて中世欧羅巴の王族がお抱え作曲家に曲を書かせていたのと同じ様に、誰かのために曲を作る、という行為が彼のスタイルなのかもしれない。

ただ、彼の人となりを知っても、どうしても不思議ではあった。
何故フレンは、自分に声をかけたのだろうか。



*****



中間課題の発表日、ユーリはフレンの作った楽譜を持って試験に臨んだ。
課題曲は難なく演奏を終え(教師によってはアレンジを加えたことに渋い顔をしていたが)、あと残るは自由曲のみ。
本来ならばピアノとのデュオになるのだが、試験はチェロの独奏でなくてはならないため、もとの曲から多少手を加えてソロ用にフレンが書き変えている。

一ヶ月近い練習期間を終え、ほぼ完璧に弾ききる自信はあった。
何故かフレンの曲をユーリが弾いているという事実が教師陣の中で広まっているため、ちょっとした話題にもなっているのだ。別に大して話題になるようなことをしたつもりはないが、フレンの評判や人気というのはそれほどまでに高いと言うことだろう。
実際は、フレンとセットでユーリもそれなりに注目を集めて居ることに本人は気付いていない。隠れて気付かなかったが、ユーリだって十分に美青年だと分かれば、目の保養とチェロ科の女性陣が遠巻きに眺めているのが、他の科の生徒の専らの噂である。

フレンが作ってくれた曲。自分のためだけに、そして、二人で。
それは、なんだか温かい気持ちが心にほこりと浮かぶような、そんな嬉しさ。手にした楽譜は、教師用の清書したものと、フレンとの練習の痕跡が書き綴られたユーリが見るためのもの。
しかし、楽譜など見なくても、自分の指が既に曲を覚えてしまっている。だから、本番にはこの楽譜を開くつもりはなかった。
曲は流れゆくもの。一処に留まることなく、その時々で表情を変えるもの。
美しさも優雅さも、悲壮感も。全ては、弾き手の感情が表現するものだ。決して楽譜をなぞるだけでは、自分の望む音など奏でられはしない。

自分の番を待つユーリの下に、こんと一度だけ扉を叩く音が響いて、そちらを見る。
青い瞳をそっと細めて、フレンはなにも言わずに問いかけた。それに、ユーリも頷く。
試験会場は、大学が有する小さなホールだ。中間課題とはいえ、それなりに名を馳せる音楽大学の試験だ。基本的に演奏中は出入り禁止だが、他人の演奏を聴くことは許されている。だからおそらく、フレンの作曲した曲を聞きたいとそれなりの人数が集まっているのだろう。
演奏者であるユーリよりも、フレンの方が注目されるのは当たり前だ。なにしろ、フレンの人気が半端ないことはこの一ヶ月ほどで嫌というほど思い知った(主に、フレンの曲を弾きたいと駄々をこねる数人によってだが)。
しかし、フレンは言うのだ。ユーリの演奏だから、自分の曲の魅力が惹き立てられるのだと。
だから、そんなフレンの想いを無下にするわけにはいかない。フレンの曲の魅力を伝えるのが弾き手である自分の役目で、でもそれは自分が弾きたいと思ったように弾けばいい。こんな、背中を預けてもらったような信頼を、ミスをしたり音程を外すなんて事で裏切る気なんてこれぽっちも無かった。

番号と名前を呼ばれて、立ち上がる。

「ユーリ」

柔らかに、低い声が名を呼ぶ。
いってらっしゃい、とも、頑張って来いとも取れる声色。何でもいい。ただ、フレンの声が自分を落ち着かせてくれる。

「じゃ、ちょっくら行ってくるわ」

そう言い残して、ユーリはチェロを手に持った。



オレンジ色の光が照らす、舞台上。
弓を構えて、鳴らす音はC。切なさを込めて、何もないこの場所で一人寂しく少年が空を見上げる。そこには、少年にしか見えない空の色があった。
中音域は、少年の心を奏で、やがて低音域へと辿りつく。前半に高音域はまったく出てこない。意図されたそれは、一人でさまよう少年の足音のように重くしかし不安定でふわふわとしたもので、意思の強さではなく迷いと戸惑いを聞き手に伝えた。
ユーリの長い腕が、ギリギリまで端に寄せられた弓を小刻みに揺らす。弓の先だけで、微かな、しかし明瞭な音を伝える技術は相当なテクニックだ。その技法すらユーリには一つの手段でしかないと言う技術の高さに審査員の何人かが驚きに目を見張る。
やがて曲は、空を追いかけていただけの少年が空に辿り着いてそこで一人の青年に出会う物語へと変わっていた。中音域をメインに展開されて、時折混ざる高音域が今までにない少年の心の高揚を伺わせる。
一人ではない嬉しさ、青年の話、それは和音と混ざってどこか楽しさに弾んでいる。
しかし、その時間は長くは続かない。青年は、少年に時計を渡して去っていった。いや、少年は気付いたのだ。自分が、青年の下から離れていってしまう事に。
悲しみに泣き叫んでも、青年はもう現れない。空の色も変わらない。沈んだような旋律は、短音が重なって、重なりを生み出し、重みを作り出す。
時計の針の音が聞こえる。そこには、静寂があった。弓が弦から離れる。
ふとユーリが視線を上げると、そこにはフレンがじっとユーリの演奏に聴き入る姿が見えた。それになんだか安堵して、ユーリの口が緩く弧を描く。その美しい笑みに、息をのむフレン。
弓の根元から、力強く再度始まった旋律は、少年が時計を持ってまた空を見上げる姿を映し出す。少年は、もう一度青年に会える日を待っているのだ。それは、悲しみに満ちたものではない。自分から、探しに行こうと言う意思を宿した瞳。
会場に鳴り響いた音はやがてゆっくりと消えていき、弾き終えた体勢のまま固まっていたユーリは、肩の力を抜いた。

――割れんばかりの拍手が、ただの試験で沸き起こったのは、これが初めてだった。



* * *



大学構内、最上階に位置する、夜景がきれいな食堂。
そこで、目の前に展開されるスイーツの数々を頬張りながら満足そうに笑うユーリの正面。
フレンは、その様子を苦笑と共に眺めながら、本当に甘いものが好きなんのだと幸せそうな笑顔に思わず呆れてしまいそうになる。

「お疲れ様。すごく、良かったよ。やっぱり君に演奏してもらえて良かった」
「あー…それなんだけどさ」

感謝の言葉に、ユーリは手に持っていたフォークを下げる。
きょとりとするフレンに、言い辛そうに切り出す。

「すごい今さら何だけど、何で俺なんだ?」
「なにが?」
「だから!」

伝わらないもどかしさに、思わず語尾が強くなる。

「俺に曲弾いてもらおうとか、どうして思ったんだよ!」

一瞬不思議そうにユーリを見たフレンだったが、やがて納得がいったように、ああ、と洩らす。

「そっか。そんなに不思議だった?」
「ま、それなりにな。一応お前、他にもパートナーとかいそうじゃんか。それなのに、何で俺にしたのかなとか思うわけだよ」
「うーん……強いて言うなら、そうだなぁ…」

対して悩みもしていない顔で、フレンはユーリを見つめる。
にこり、というよりも、まるでくすりと言ったような笑い方に、ユーリの顔に少しだけ朱がさす。
いや男相手に何意識してるんだ自分、と心の中で突っ込むが、フレンの笑みは変わらない。

「君がね、運命の相手だと思ったんだ。僕の曲を、僕の曲じゃなく弾いてくれる人を探してた」
「なんだそれ。謎かけかよ」
「君なら僕の曲を、君の物にしてくれると思ったんだ。君の弾き方も好きだけれど、君自身の心が、僕の作曲家としての信念を叶えてくれると思った」
「……」

なんだろう、この恥ずかしい生き物は。
まるで告白されているような気がするのは、おそらく場の雰囲気のせいだと思うことにした。
そうでもしないと、フレンの青く澄んでいる瞳に飲み込まれそうになる。
綺麗すぎて、心を全部攫われてしまいそうな、瞳。

「…お前、恥ずかしい奴」
「なんでもいいよ。ユーリと一緒に居られるんだったらね」
「……は?」

さらりと、それこそ赤面しそうなことを言わなかっただろうか。

「ねえユーリ。これからも、一緒に組まないかい?僕、君に弾いてほしいと思う曲がたくさんあるんだ」
「…お前さ」
「ユーリの事、もっと知りたいし。君の事、絶対手放したくないんだ。ユーリ以上の弾き手には、きっとこれから一生出会えない」
「……っ」

空いた口がふさがらない、とはこういうことだろうか。この状況、あまりにもユーリの許容範囲の外を行き過ぎていて、何を言っていいのかが分からない。盛大な告白大会なのか。そうなのか。

「ね、駄目かな?」

まるで子犬のようなフレンの様子に、否とは言えなかった。
ただこくりと頷けば、フレンは嬉しそうにほほ笑んでユーリの髪をそっと一房、持ち上げる。
その先にキスをされて、がたりと椅子をはね上げて後退した。

「おま、お前、絶対ねじ一本飛んでるぞ!」
「ええ、そんなことはないよ」
「いーや、ある!絶対に!!」

もしかして変な奴に惚れられたのでは、と危惧する寸前のユーリは、しかし自分の方が惚れていることに気付くことは無かった。



でも、フレンと一緒に曲を作るのは、悪くない。
それはまぎれもない事実だったから。

「よろしくね、ユーリ」

差し出された手を、握り返した。

「…こっちこそ、な」