相思相愛 divertimento - moderato -
*フレンとユーリで音大生パロ
大学生には放課後というものが存在しない。これが高校生の青春ドラマであったりラブコメディなるものであれば「放課後にどこどこで待ち合わせようね」なんて約束を取り付けることができるが、そんな明確な区切りのない大学生活では「とりあえず授業のない時間に会おうか」という面倒くさい時間指定が必要だ。それも曜日によっては異なるわけで。
授業が終わったら待ち合わせ、なんて曖昧な約束を結んでしまったユーリは、フレンを探しに行こうかと考えたがすれ違っても面倒なので練習室で待機していることにした。フレンの性格を把握しているわけではないが、なんとなくあの雰囲気からすると迎えに来る若しくは探しに来る気がする。というか、自分から誘ったのだからユーリを探すのは当たり前だよぐらいの事は言いそうだ。
ただ待っているのも暇なので、練習でもしていようかと課題曲の楽譜を取り出す。
バッハ作曲、無伴奏チェロ組曲第四番『前奏曲(プレリュード)』。
チェロ独奏の中でも有名な練習曲で、同組曲の全六番のうち難易度は中の上。広い音域に展開される分散された和音が特徴の曲。
重厚な低音、心地よい高音。同じ拍を刻みながら徐々に音階を変えて、まるで寄せて返す波のように自然な変化を繰り返している。
ユーリはチェロを構えて弓を弦の上に置くと、滑らかに右腕を伸ばして音符に息を吹き込んだ。
左指は技巧。決して焦ることのない指が的確に音を捉え音に波を含ませる。
右手は芸術。踊るように、氷上を滑るように。指先まで繊細に。
全身が楽器と一体になる感覚を目指している。右腕は腕じゃなくて、もう弓になってしまうように。音が楽器から発せられるものではなくて、自分という媒体が奏でているように。
音が空気に浸透して、体内を通り過ぎていく感覚。音が心を震わせる感覚。
曲が進むにつれて旋律に盛り上がりが生まれる。楽譜はもう見ていない。感じるままに、指と腕が動いていく。
アレンジを加えるのは教授陣には好かれないが、ユーリは心が赴くままに演奏することを信条としている。
弓が弦から離れる。一拍の余韻を残して音が姿を消していき、静寂が残った。
閉じていた瞼を開けば、音色に浸っていた身体が現実に戻っていく感覚。
ふう、と息をついて力を抜いた瞬間、ぱちぱちと誰もいない筈の部屋に拍手音が響く。
驚いて戸口の方を振り向けば、笑顔で手を叩く美青年が口を開いて。
「流石だね」
*****
「お前、いつから聞いてたんだ?」
「君を探してたから、ずっと聞いてたわけじゃないよ」
「ふーん」
ユーリは譜面台に弓を置いて、楽器に寄りかかるような体勢でフレンを見上げた。
隣でやたらとでかいバックの中をがさごそと漁っている。
最初に会ったときは気付かなかったのか、もしくはただ単にしていなかっただけなのか、今のフレンは眼鏡をかけていた。妙に似合うのは、やたらと顔が整っているからだろうか。
「それに、君が弾いてるのを見るのはこれが最初じゃないから」
「へ?」
間の抜けたユーリの返答に、気付かなかったかいと苦笑する。
「食堂裏のスペースで練習してただろう?あの時に初めて君を見たんだ」
「裏のって…あれ、確か一年の時じゃなかったか?」
「うん」
つまり一年生の時にフレンはもうユーリの事を知っていたわけだ。そのれなのに話しかけもせず気配すら感じさせず、三年まで。
なんだそれ。一種のストーカーじゃね?というユーリの内心のつっこみは表情に出ていたが、フレンは笑顔のままファイルの中を漁っている。ピアノ譜から書きかけの旋律までとりあえず書き溜めたらしき楽譜類は、厚さにしておよそ五センチ。作曲科の知り合いがいないため比べる対象は無いが、かなりの量だろう。しかも、カバンの中にはさらにスコアやら何やらが詰まっているようだ。
じっとユーリが見つめる中、「あった」とフレンは数枚の楽譜を取り出してユーリに渡した。
一目で手書きであると分かるそれは、数時間前にエステルの言っていた「僕が弾いてほしいと思った人に捧げる曲」だろう。
「これ、なんだけど」
「おう」
手渡されたそれに目を落とす。
楽譜は二段構成。すなわち、チェロとピアノによる協奏曲だ。
チェロ独奏だと思っていたため少しばかり驚いたが、ユーリをさらに驚かせたのはその楽譜からでも読み取れる旋律の滑らかさだ。
どちらかといえばノクターン(夜想曲)。まあフレンの雰囲気からスケルツォやマーチを好むとは思えないが、ユーリも早い曲よりゆったりと表現豊かな曲の方が好きなため、案外趣味は合うのではないだろうか。
10枚近いそれを眺め終わって、頭の中に旋律を描く。幻想曲と夜想曲の中間ともいえるメロディーは、短調から始まり徐々に表情を変えて和音とアルペジオが交わって展開していく。低い音は低くまとめ、張りつめた空間を息を潜めて歩くような緊張感。やがて訪れるのは月光が輝く夜空の庭園。一人そこを歩くようなゆったりとした曲調の中に織り交ぜられた清かな寂しさ。
自分がその中に浸るような感覚に、ユーリの身体は自然と動いていた。
楽譜を譜面台に置き、弓を構える。
初見での演奏は決して上手いものではないが、今の自分の同調を忘れたくなくてそっと弦が震えるままに任せた。
音符を追わずとも、不思議なことに、ユーリの指は次に訪れる音をあらかじめ察知していたかのように動く。
まるで、フレンの感性とも一体になって、全部彼の考えていることが分かるような。寧ろ自分の思った通りに曲が構成されているような。
そんな不思議な感覚を肌で感じながら、ユーリはただひたすら奏で続けた。
やがて訪れる終末の音色が響くのをやめたとき、一種の高揚状態にあったユーリが見たものは、目を輝かせて息をのむフレンの姿だった。
呆然、とユーリを見つめるフレンに逆に驚いてしまう。
「…フレン?」
「………」
「おーい、フレン」
ひらひらと手を顔のまで振れば、はっと目を開いて。
ゆっくりと賞賛の眼差しを向けて、嬉しそうに笑った。
ユーリの方が恥ずかしくなってしまう様な、純粋な喜びを集めた様な瞳。
「うん、やっぱり君しかいないよ」
「そ、そうか…?初見だし、大してうまくもないだろ」
「いや、むしろ初見でここまで弾けるとは僕も予想外だったよ」
それよりも、とフレンは楽譜をめくってある箇所を指す。
意外に大きいフレンの指はペンだこができていて、そこからもフレンの努力家らしい一面が覗いた。
「ここは、どうしていったん流れを変えたんだい?この小節も含めて、次のこっちまでは一つの流れだと考えたんだけど」
「ああ、それは……」
一を返せばニが返ってくる。音楽において解釈はひとそれぞれだと思っているユーリにとって、フレンの指摘は至極当然と受け止め自分の考えを述べていく。そうすればフレンも自分の考えを述べた上で、しかし弾き手であるユーリの感覚を優先して楽譜を直接書き変えていった。
そのやりとりが、酷く新鮮で。
気付けば、既に窓の外は陽が落ちて闇色が徐々に空を覆い始めていた。
* * *
帰り道は駅まで一緒というセオリーに則って、ユーリとフレンは語らいを続けたまま夜の道を歩く。
ユーリはチェロを肩にかけ適当な鞄に楽譜を詰め込み、フレンは大判楽譜が五冊は入るのではないかと思われる大きなリュックを背負って。
夜の闇の中でも綺麗なフレンの金髪は視界に入れていると何故だか見惚れてしまう。
だがそれを口に出して言うのは、流石に二十歳過ぎの男には難易度の高いハードルだ。エステルあたりなら天然も混ざって「フレンの髪って素敵ですね。王子様みたいで」とか言いそうだが。
「それでさ、今週末なんだけど」
「ん…あぁ」
曖昧な返事は自分の思考に浸ってフレンの話を聞いていなかったからだが、そんな様子は微塵も見せずに返答する。
「土曜日は空いてる?」
「そうだなぁ…朝早いのはちょっとあれだけど」
「君、早起きとか苦手そうだもんな」
「否定はしないけどな。苦手っつーか、別に普通に起きれるのは起きれるけど」
起きない要因は自分以外にあるのだが、とりあえずそれは置いておく。
早朝でなければいいのだ。普通に大学に来る時間であれば休日でも問題ないだろう。
「じゃあ、土曜日の11時でいいかい?」
「良いぜ」
しっかり手帳に書き込むフレンを尻目に、ユーリはチェロを背負いなおす。
まあフレンとの約束を忘れることはないだろうなと考え、ふとどうしてそんなことを思うのかと眉を潜める。
基本的に面倒くさがりやなユーリが、大好きなスイーツの事以外で約束を十割の確率で覚えていることは稀である(テストはエステルや同期がの親友がわざわざ指摘してくれるので、覚えずとも問題ない)。
それなのに、まるでフレンと会うのを楽しみにしているような。自分らしくない、断じて。
だが、正直に言えば、こうやってフレンと話をしている時間はとても楽しくて。話をしなくても、何となくそこにいるだけでいいのだ。
今までにないような、言わば半身を見つけた様な。そんな御伽噺と鼻で笑えるような擽ったい、でも嬉しい。
「じゃあ、僕こっちだから」
そう言って駅から少し離れた曲がり角でフレンは立ち止まった。
どうやら地元らしい。
「ああ。また明日、な」
「また明日」
軽く挨拶を交わして、フレンは信号を渡っていく。その後ろ姿が消えるまで眺めていようかとユーリはじっと見つめる。
そんな視線を感じたのだろうか、金髪が揺れて後ろを振り返った。
青の瞳が、口元が、笑みの形でユーリを見つめ返した。信号機を渡りきると、ひらひらと手を振って今度こそ背を向ける。
かっと頬に熱が集まるのが分かって、ユーリはぐっと唇を噛みしめた。
なんだこれ。どこの少女漫画の初恋だよ。
自問しても自答はない。
さっさと顔色を戻さないと、絶対に同居人に何かしら突っ込まれる。
フレンの笑顔を振り払って深呼吸をするその意味を深く考えないまま、ユーリは帰路へとついた。