青空の唄 8

*フレユリで現代設定
*倒れたり血の描写があります。苦手な方は注意。





「ぁ……」

景色が歪む。咄嗟に手をついて身体が倒れるのは免れたが、寄り掛かった身体はずるずると崩れていった。
膝から力が抜けていき、支えたくても支えられない。
――苦しい。息が、うまくできていない気がする。
ユーリは胸を抑え、乾いた音を立てる喉を通して呼吸を試みた。経験上、ちょっとくらいの動悸なら、少し経てば収まる。そう思って、必死に肺を落ち着かせようとするも、響くのは乾いた音だけだ。
頭の中でガンガンと鳴って、明滅する視界。
――おかしい。おかしい、今までこんなこと、なかった筈なのに。
床に手をつくと、更に視界が狭まって。
身体は暑いのに、冷汗が流れているように掌に滲む。
変だ、これは、流石にヤバいかもしれない。ユーリはそう判断して、周囲に落ちているであろう鞄を探してなんとか首を回す。比較的近い場所に、無残にも開いて中身が飛び出ている鞄を見つけ、ユーリは携帯を取ろうと手を伸ばした。

ドクリ。

再び身体中を駆け巡る、激しい動悸。伸ばした手を咄嗟に胸に当て、ユーリは身体をくの字に曲げて耐える。

「……ぁっ…う、ぅ…」

助けを呼んだ方がいい。だが動けない。止まりそうもない動悸が、ユーリの心に焦りを生む。
這うようにして身体をずらし、携帯を掴もうと出来るだけ腕を伸ばす。
焦点の合わない視界は向けることなく、手探りで目的のものを探す。
だがそれに辿りつくことができない。酸素を求める脳が身体全体を重くして、少しずつ動きが鈍くなっていった。

「……フ、レ、…」

自然と零れた名前は、先程まで一緒にいた、そしていつも一緒にいる、彼。だが彼の顔が頭に浮かぶと酷く苦しい気持ちになった。「いい迷惑だ」と。「放っておけ」と言っておいて。いざとなったら、フレンに頼ってしまう。
彼が隣にいるだけで、この動悸が収まるのではないか。そう期待してしまう。
矛盾してる。
矛盾して、なんて、都合のいい――
(――…フレン)
意識が遠くなっていく。暗闇が、光を潰すように覆っていく。
それでも、心の中で呼んだ名前はユーリにとっての光だ。



夕方にもなれば、冬空はもう藍色に染まっている。
ユーリは流石にもう帰っただろうが、帰りの足取りは重かった。顔を合わせたら何を言えばいいのだろうかと悩むなんて、初めてかもしれない。自覚したら途端に心が離れてしまったようで、戸惑っているのかもしれない。
だがとりあえずは、もう下校時刻だ。帰らないわけにはいかない。

生徒会室を出て下駄箱に向かうと、少しだけ騒がしいような気がして首をひねった。
何かあったのだろうかと早足で数人の人だかりを目指す。

「あ、フレン…」
「シーフォ君!」

女子二人が、フレンの傍にかけてくる。
焦っているのか困惑しているのか、眉が寄っている顔を見てフレンの瞳が鋭くなる。

「何かあったのかい?」
「それが…」
「フレン!!」

人だかりのさらに奥から響いた声は、聞き覚えのあるものだった。フレンは女子生徒から視線をはずし、エステルの姿を認めると足を進め。
…人だかりが割れた向こうに見えた、倒れ伏した彼女の姿に、足が止まった。

「フレン!ユーリが…っ」

エステルの声が遠い。泣きそうな顔をした彼女を慰めなければいけないのかもしれないが、フレンはユーリから視線を外すことができなかった。
しかし、ぜぇ、と明らかにおかしい呼吸が届いて、フレンは弾かれたようにユーリに駆け寄る。
汗が滲む手に触れると、その冷たさに驚いて、小刻みに震える身体を抱き起こす。
ぐたりと仰け反った拍子にきつく閉じられた瞼と熱い吐息の洩れる口が露になって、そのあまりにも苦しげな表情に胸が締め付けられる。

「ユーリ、ユーリ!」

名前を呼んでも、反応はない。胸元で握られた拳に掌をかぶせ再度名を呼ぶが、変わらない。
おかしい、いつもならこんなに酷くはない。背中をさすれば落ち着くし、ユーリの意識がないなんて、初めてで。
(なんで、なんで突然、こんな)
ユーリの身体を支える腕に力が入る。冷たい身体を温めるように。
すると、ユーリは縋るようにフレンの腕を掴んで、前かがみに身体を丸めた。

「げほっ…ぁっ、がぁ…」

咳き込んだユーリは強く強くフレンの服を握って。ごほっ、と嫌な音と共に赤い飛沫が口の端に流れた。
フレンの目が大きく見開かれて、エステルの短い悲鳴が響く。
縋りつく手を握り返し、フレンはユーリの身体を腕の中にかかえる。
ユーリの額を肩に擦りつけるように抱きしめ、背中をゆっくりと温めるようにさする。

「ユーリ、落ち着いて。大丈夫…大丈夫だから…」

その言葉をかけたのは、本当は自分のためかもしれない。
祈るような気持ちで、目を閉じた。





「フレン…」
「……エステルさん」

ジュディスが現れて保健室に連れて行かれたユーリは、そのまま病院に搬送された。おそらく、軽い肺炎と、喉の奥が切れた故の出血ではないかと言われ、そうですかとしか答えられなかった。
『死』を意識するなんて、そんな不吉なことはなかった。だが、このまま目を開けないのではないかと、不安で仕方がない。苦しくて歪むユーリの顔が、頭から離れない。
冷静なつもりだったが、ただの上辺だけで。ユーリが傍から離れてから、今度は自分の身体が震えている気がした。
寒くて…怖い。

「大丈夫です?」

控え目に尋ねられ、フレンはぎこちなく頷いた。視線は、落ちたまま。
エステルはその様子を見て、一つだけ息をついて。

「…フレンは、ユーリの事、好きなんです?」
「え…?」
「ユーリは、フレンの事が好きだと思います。言葉にはしていませんけれど」
「それは…」
「だから、ユーリの手を握っていてあげてください」

力強い言葉をかけられフレンの瞳に光が灯る。茫然とユーリを眺めていた瞳に。
エステルは唇を引き結んで首を縦に振った。声には出さないけれど、フレンには伝わる。何が言いたいのか。
(追いかけて、ちゃんと掴んでください)
ユーリの心を、ユーリの本心を。
もう答えは出てるのに、それを直視するのを避けてきて。


フレンは、自然と走り出していた。






(このまま離れてしまうなんて、あり得ません)
*****