十一人目の彷徨人

「あら、一騎はいないのね」

 高く幼い声が精一杯背伸びをしたような、大人びた物言い。
 聞き慣れた声の主の後ろから、瓜二つの容姿をした少女も姿を現し、甲洋は二人を迎え入れる。後から店に入った少女の方は、人好きする甘やかな笑みを浮かべ軽く会釈した。
「こんにちは、甲洋」
「ああ。いらっしゃい乙姫、織姫」
 着ている服こそ異なるが、背丈も顔つきも、寸分の狂い無く全く同じ二人は、双子ではない。名は皆城乙姫、皆城織姫。皆城総士の血縁であり、あえて関係性を言葉にするならば叔母と姪に当たるのだが、それも適切ではない。
 少々複雑な経緯で生まれ、その内実を知る者は僅か。かくいう甲洋や一騎も詳細は知らず、もし知っているとすれば総士のみだろう。双子のようで双子ではない、仲の良い親戚――乙姫と織姫に対して、周囲はそのような認識でいる。
「一騎は?」
「今買い出し中。少ししたら戻ってくるよ」
「なら他に客もいないし、都合がいいわ。甲洋、店を閉めてちょうだい」
 ざっと店内を見渡し確認したらしい織姫が、言い放った。突き放しているとも感じる冷たい声ではあるが、決して彼女の本心が冷酷であるとかいうわけではない。そのことを知っているので、虚を突かれはしたが不快には思わなかった……乙姫は「そんな言い方じゃ誤解されちゃうよ」と織姫を咎めているが。
「突然、どうしたの」
「店の前に、あなたたちのお客様よ」
「二人で寂しそうにしてるから、入ったらって誘っちゃった。いいよね?」
 疑問形ではあるが、否を認めないと目が語っている。
 確かに客はいないが、まだ開店して間もない。昼食時はこれからで、店を閉めるにはタイミングが悪かった。だが、乙姫の瞳には抗いがたい。彼女が言う『二人』が何を指すのか、わかってしまうからだ。
「……さすがに、今すぐに閉店は難しいよ。ランチをいつもより早めに切り上げて臨時休業にするから、それまで二階で待ってて」
 一応は、昼食時に賑わう店として、何の報も無しに突然の休みは避けたい。食材の関係もある。甲洋の言い分に、織姫はふんと鼻を鳴らして仁王立ちになった。
「食材を無駄にしろとは言えないわね。わかったわ。でも、何か飲み物が欲しいわ」
「ごねんね、無理にお願いして。ありがとう、甲洋」
「構わないよ。此処の大切な役割ではあるから。全員、アイスティーでいいかな?」
「ええ。乙姫、二人を」
 促された乙姫が、一度店の外に出る。どうやら用水路の手前にいるらしく、ミケを踏まないように端をジャンプで飛び越えて何かの前で中腰になった。
 乙姫を窓から見つめ、織姫はぽつりとつぶやく。
「此処は、彷徨人が帰る場所を見つけるまでの相談所のようなもの。甲洋も一騎も、その役割をきちんと果たしてくれているわ」
「きみたちは、相変わらず『いない人』が見えるんだね」
「そうよ。私たちは、厳密は違うけれど、甲洋や一騎と似たようなものだから」
 話は付いたらしい。乙姫が立ち上がるのに合わせて、彼女より少し低い背丈の子どもが二人、手を引かれて店内に足を踏み入れた。
「甲洋、二人を紹介するね。美羽と、エメリーだよ」
 泣き腫らした目元を擦り、顔を上げた二人は、幼く頼りない少女だった。


 ちょうど買い物袋を持って戻ってきた一騎に事の顛末を説明し、ランチタイムまで営業をして臨時休業の札をかけた。この店に『いない人』が訪れるという摩訶不思議な噂は事実として客の間では広まっているため、余程新参者でなければ「午後は臨時休業です」とだけ言えば理解してくれる。ありがたい話だ。
 店の扉に鍵をして、窓のブラインドを下ろす。これで陽の光は店内に差し込むが、外から中の様子は見えづらくなる。一騎と甲洋はカウンターの椅子、乙姫と織姫はソファ席に座り、身を寄せ合う幼い少女を囲んだ。
「それで、二人はどこから此処に?」
 美羽とエメリーは、一目見たところでは姉妹どころか血の繋がりを感じさせない容姿だった。おそらく国籍も異なる。美羽は、その名前から日本人である可能性が高いが、エメリーは外国の人であることは間違いない。
 何より、この二人が『いない人』になるにはあまりにも幼過ぎる年齢のように思えた。自分たちが謎の現象に巻き込まれ、翔子と衛が『いない人』になったのとそう変わらない、あるいはもっと年下か。甲洋はなるべく怖がらせないように、ソファで互いの手を握り離さない二人の前に膝をついて視線の高さを合わせた。
「……ママと、エメリーと一緒にいたの」
「ママがいるの?」
「うん。パパはいないけど、ママと美羽とエメリーで遊びに行ったの」
「私、日本に遊びに来ていたんです。美羽とは、昨年父の仕事の関係で日本に住んでいた時に会って、今は別の国に住んでいます」
「二人は友達なのね」
 頷いたエメリーは、美羽よりもしっかりと現状を把握しているようだった。年齢的にも、エメリーの方が上なのだろう。服を握り俯いたままの美羽を抱き締める姿は、彼女を守ろうとしているかに見えた。
「二人で遊んでいたら、金色の布みたいなものが突然現れて……気付いたらこのお店の外にいました」
「美羽も、離れ離れになったから探そうと思って、緑色の木がある場所にずっといたの」
「……そう」
 甲洋と一騎にも、身に覚えのある光景だ。二人は、かつての自分たちと同じ謎の現象に見舞われ、『いない人』になってしまった。緑の木も金色の布も、なぜそのようなものが存在しているのか何一つわからない。
 ただ、その存在に触れてしまった哀れな生贄のようなもの――偶然なのか、必然なのか。
「怖かったな」
 一騎が二人の頭を撫でてやると、美羽もエメリーも首を横に振った。
「まだ、美羽のお母さんを見つけていません」
「怖かったけど、ママがいないのはもっと怖い」
「お母さんは、その緑の木がある場所に行くまで、一緒にいたの?」
 織姫の問いに、美羽が頷く。
「なら、此処で待っていればきっと会えるわ」
「本当っ?」
「あなたのお母さんが、あなたを探しているなら」
「絶対探してる! ママは美羽のこと探してくれてるよ!」
「なら心配の必要が無いわね」
 涙に濡れていた顔をようやく上げて、美羽はエメリーに抱き着いた。良かったと嗚咽交じりにしゃくりを上げる背を擦り、エメリーは甲洋と一騎を見上げる。
「もう少しここに居させてもらっても、構わないでしょうか」
「ああ、もちろん」
「待ってる間、他に飲みたいのがあったら、言ってくれ」
 テーブルの上に置いたメニューを見て、エメリーが美羽に声をかける。密やかになにかを相談した二人が、悩んだ末に指したのは飲み物ではなく食べ物のメニューの方だ。
「えっと、メニューを見ていたら、お腹がすいてしまって。おすすめってありますか?」
 問われた甲洋は振り向き、一騎に視線を送る。意味を違わず受け取った一騎が肩を竦め、おまえに任せるよと頷いた。この手の質問はよくされるが、答えは決まっている。一騎なら今月の限定メニューを。
 そして、甲洋なら。
「一騎カレーだよ」
「一騎カレーね」
「一騎カレーかな!」
 見事に乙姫と織姫のおすすめまで被ったことで、一騎は恥ずかしいのかカウンターに引っ込んでしまった。


 一騎カレーを三つと、水を三つ。
 仲良くソファ席に並んで舌鼓を打つ美羽とエメリーに混ざり、織姫もカレーを堪能していた。そんな三人をカウンターから見つめる乙姫に、甲洋が珈琲を差し出す。ミルク多めの、乙姫所望ミルクコーヒーミント入りだ。
「落ち着いたみたいで良かった。二人がいてくれて助かったよ」
「私たちは見つけただけ。この場所が無かったら、きっとお母さんに会えずにあの二人は彷徨っていたよ?」
 マグカップを両手で傾けながら、乙姫は彼女こそが母親のような穏やかさで在った。こういう時、彼女の方が織姫よりも精神年齢が上なのだな、と感じる。それが正しい感覚なのか、甲洋には判断がつかないけれど。
「なんで、二人の母さんが此処に来るってわかるんだ?」
 先ほど聞けずにいたことを、一騎が切り出す。乙姫はしばらく三人を見遣り、やがて身体ごと一騎と甲洋に向き合った。
「私たちは見つけることができても、留めることができないの」
「留める?」
「『彷徨人』には、必ず帰り道が存在している。死んでしまった魂が再び循環するように、辿るべき道があるの。それが、ちょっと複雑なだけ」
「二人が言っていた、金色の布や翡翠の木は?」
「明確に表す言葉は無いけれど、彼らもまた帰り道を探しているだけなの。決して人を害そうとしているわけじゃない」
 彼ら、と乙姫が称す存在について、甲洋や一騎には断片的にしかわからない。二人がこうなってしまったのは、あの現象のせいだ。翔子と衛がいなくなってしまって怒りに身を任せてもおかしくないのに、互いにそんな感情に振り回されることはなかった。
 心のどこかで理解している。あれは、在るべき場所へと誘っただけなのだと。
「あなたたちが拓いたこの場所は、時に腰を落ち着け、時に話を聞いて、自ら帰り道を見つけるための……一度立ち止まることのできる分岐点のようなもの、かな」
「それは」
「俺たちがその役目を担ったのは、総士が関係しているのか」
 総士が差し伸べた手を取らなければ、間違いなく自分たちは『いない人』になっていた。そして、帰り道を求めて彷徨っていた。此処を訪れる彷徨人のように。
 ならば、乙姫と織姫の血縁である総士が、自分たちを『いる人』へと導いたのは決して無関係ではない。なぜ自分たち二人だったのか。それこそ、偶然だったのか。
 乙姫は困ったように首を傾げて、それはね、と続ける。
「総士がやったことは、総士の想いの強さが理由なの。一騎と甲洋に消えて欲しくないって、我儘だよ」
「わがまま……総士が?」
「総士はあの世界に干渉する力を持っていた……それも、二人を『いる人』へと強引に引き返させたせいで、失われてしまったけど」
 乙姫が言っている意味を、どこまで正しく理解できているだろうか。まったく意味不明な御伽噺を話しているような気すらしてくる。世界の仕組みの断片を説明されて、こうなっているからしかたないよと突きつけられているような。
 身に起こった出来事は事実で、受け入れているのに、あれが何であったのかを本能的に知っているような気がするだけで、実際は何一つ言葉にできるような知識が存在していない。
 すんなりと自分の中に落ち着くのに、何もかもが朧で虚ろだ。
「混乱させるだけだと思ってたから、二人には今まで何も話してこなかった」
 僅かに伏せた瞼の先に、黒く澄んだ珈琲。彼女もまた、一騎たちと同じ、一度『いない人』になり、『いる人』へと帰ってきたのか。郷愁が、遠くを見つめる瞳に浮かぶ。
「今の総士は、普通の人間と変わらない。代償とはいえ、もどかしい想いもしている」
「俺が――」
「総士が選んだ。一騎と甲洋がこうして此処にいてくれるだけで、総士は満たされているの。だから、決して一騎のせいじゃない。もしあなたたちを此方へ引き戻すだけの力が無ければ、あの時、誰一人として『いる人』には戻れなかったのだから」
 慰めではなく、事実を淡々と突き付けるように、乙姫は言葉を飾らない。彼女なりの優しさなのだ。偽りで無くとも、下手な同情は双方に傷を残すのだから。
「これからも変わらず、総士の傍にいてあげてね。一騎、甲洋」
「当たり前だ」
「ふふ、そうだね」
 即答する一騎と、首肯する甲洋に、乙姫はようやく心からの笑みを見せてくれた。
 きっとこれからも、本当のことなんてわからないまま。真実なんて、一掴みも理解などできない。
 それでも、喫茶楽園が必要とされている場所なら、二人は此処を護り続ける。
 二人にとって必要な場所でも、あるのだから。


「ママ!」
 窓の外に、一心不乱に何かを探す女性が映る。
 美羽が立ち上がり、大粒の涙を溢れさせながら飛び出した。
「ママぁ……ッ!」
「美羽、もう、どこに行ってたの!」
「ごめんなさい、ママ……うわぁぁん」
「本当に、あなたは……心配ばっかりかけるんだから」
 夕暮れの太陽が、赤く海を染める。水面に、朱色に輝く道を作っていた。
 膝をついて我が子を抱き締める女性は、正真正銘美羽の母親のようだ。黒髪を一つに纏め、彼女もまた目尻に涙を浮かべている。
 エメリーが駆け寄って、良かったね美羽、と一緒になって抱き締め合った。
 無事に再会した三人に、張り詰めていた空気が柔らかなものへと変わる。空の色は夜へと向かっていくけれど、一騎たちの表情は明るく安堵に満ちていた。
「良かった、迎えに来てくれて」
「探していてくれて、の間違いじゃない?」
「もう、細かいよ織姫」
 乙姫と織姫も一安心といった体だ。軽口を叩き合う二人の前に、女性は深々と頭を下げた。
「二人を見ていてくれて、本当にありがとうございました」
「いえ、俺たちは別に」
「此処にいてくれなかったら、見つけられなかったかもしれません。そんな恐ろしいこと考えたくもないけれど……感謝してもしきれないわ」
「――此処まで、探してくれたあなたのおかげです。二人がお母さんに会えて、良かった」
 甲洋の言葉には、どこか重々しいものが潜んでいるようだった。それを向けられた女性も、一騎も、感じ取れるほどに。
 親というものについて、甲洋が如何ほどの感情を抱いているのか、一騎はきっと他の誰よりもよく知っている。親に対する決して癒えることのない憎悪にも似た激しさを抱きながらも、彼女たちの再会を本心から喜んでいることを。
 女性の方は、言及することもなくもう一度礼を言って、美羽に振り返った。
「ママが帰り道を知っているわ。一緒に行きましょう」
「エメリーも一緒じゃなきゃ、やだ」
「そうね、三人で行きましょうか。パパも待ってるわ」
「本当っ? パパもいるの?」
「ええ。ほら、迷子にならないように手を繋いで」
 女性を中心に、美羽とエメリーが、左右に分かれる。手を繋ぐ寸前、二人は振り返って両手を上げた。
「ばいばーい! ありがとう!」
「カレー、美味しかったです! ごちそうさまでした!」
 四人が手を振り返し、今度こそ手を繋いだ三人は、夕暮れの道に溶けるように消えてしまった。いなくなってしまった。どこにあるとも知れない帰り道を正しく辿って、行き着くべき場所へ旅立ってしまった。
 それは少し寂しくて。

「――あれ」

 己の視界がぼやけていることに、一騎は首を捻る。衝動で落ちた雫がアスファルトに染みを作り、すぐに蒸発した。
「一騎? どうした?」
「や、なんかよくわかんないんだけど……」
 泣くほど感傷的にも感情移入していたつもりもないのに、涙はぽろぽろと零れる。嗚咽も無く、ただ静かに目から流れ出ているだけなのだ。
「ああやって帰る場所が見つかるのかなって思ったら……」
 例えば翔子が。例えばカノンが。例えば、衛が。
 いつか三人のように道を見つけて、帰ることができるようになったら。その時は、きっと、今以上に寂しくて、悲しいのだろうか。
 良いことのはずなのに、涙は止まらない。
「……優しいな、一騎」
 背中を小突かれ、なんとか止めようと目を擦って涙は落ち続ける。今まで流さなかった涙を全部出し尽くそうとしているみたいに、溢れ出てしまって。
 どうしようと一騎が困っているところに、輪をかけて一騎を混乱させる声が背後から近付いてきた。
「乙姫、織姫!」
「あ、総士だ」
「どうしたの総士、そんなに走って」
「お、おまえたちがっ……散歩に行くと出て行ったきり帰ってこないと、わざわざ僕のところまで、連絡があったんだ、ぞっ」
 ぜえぜえと肩で息をする総士は、常にない焦燥と怒り具合で二人を見下ろした。あ、これすごく心配かけたなぁと気まずさに顔を見合わせた乙姫と織姫が項垂れる。
「まったく、連絡の一つくらい」
「はい総士ストップストップ。心配したのはわかったから、家族会議は家でやってくれよ」
 長々と続きそうな説教の気配を感じ取った甲洋の割り込みに、ぐっと息をつめた総士は息を整えるべく深呼吸を重ねた。夕方の時分だ、そろそろ店も終いになる。
 おそらく乙姫と織姫が世話になったのだろう、二人に礼をすべく一騎を見遣った総士は、それどころではない状態の一騎にぎょっと慄いた。
「か、一騎? なぜ泣いているんだ」
「総士……」
「この二人になにかされたのか」
「あ、それ酷い」
「名誉棄損ね」
「ちょっと違うと思うよ」
 乙姫と織姫からの抗議を他所に、懐からハンカチを取り出して一騎の頬を拭ってやる。総士の顔をじっと見つめている琥珀色の瞳が、ゆらゆらと波のように揺れていた。
「嬉しいのと寂しいのが混ざったみたいな感じで」
「具体的に言わないとわからないぞ」
「いいんだ、わからなくて。俺もよくわからないから」
「……そうか」
 一騎は総士の手を掴むと、引き寄せて肩に額を押し付けた。
 涙が服に染み込んで、肩の下を濡らす。びっくりしたのかな、よくわかんないや、と取り留めないことを呟く一騎の頭に手を添えて、くしゃりと髪を掻き撫ぜた。
 何があったのかはわからない。
 けれど、悲しいだけではないのだろうということは、わかった。
「泣くのを我慢しなくていい……一騎」
 優しい声だ。一騎を導いてくれた声。
 すべてを任せられる、一騎の絶対。


 陽が沈む。夜が訪れる。
 宵の闇に包まれる前に、せめて店の中に戻った方が良いだろうと甲洋は総士の肩を叩いた。無言で促した一騎はおとなしく総士の腕の中に収まって、店内へと戻っていく。
「私たちは帰るわ」
「今日はありがとう、甲洋」
「送るか?」
「ううん、そこまで子どもじゃないよ」
「総士が泊まるって言っておくから、心配しないで」
 突然現れた二人は、颯爽と踵を返して帰ってしまった。甲洋は二人の後ろ姿が消えるまで見送って、扉を開ける。
 用水路の端で眠るミケを捉え、その先に消えていった親子を思いやった。

 あんな風に帰ることができたらいいな、と。
 そんなことを思いながら、閉店に書き換えた看板を掲げ、扉を閉じた。