ケチャップ オン ザ オムライス

 どうしてイケメンはその容姿から性格、果てには行動まで、イケメンなのだろうか。

 喫茶楽園のカウンターに頬杖をついた近藤剣司は、目の前で珈琲を淹れる春日井甲洋をじっとりとした目で見つめながら、世の不条理について深く考察していた。
 癖毛で波打つ髪を後ろでひとつに纏め、すっきりと整った横顔。背も高く、筋肉質ではないものの平均的な体躯。だが腰の位置が高すぎておかしい。同じ男か? 人類か? 幼少期から同じ地元で似たようなものを食べて生きてきたはずなのに、差が出すぎていやしないだろうか。
 黒いエプロンにジーンズとTシャツと飾り気の欠片もない格好のはずなのに、彼が動くだけで爽やかな微風が吹く気がする。実際その風に誘われてあっという間に甲洋から目が離せなくなる女性は後を絶たない。
 今この瞬間のおまえもそうだろうという突っ込みだけは受け付けられないので勘弁願いたい。近藤剣司には、要咲良という結婚を前提に付き合っている彼女がいるのだ。
 幼馴染という間柄の中で、春日井甲洋は抜群に容姿が優れている。例えば、彼と一緒にこの店を営んでいる真壁一騎は、格好いい系ではなく可愛い系だ。男に可愛いは決して誉め言葉ではないが、彼の母によく似た、というか瓜二つの容姿は明らかに女性寄りの男性なのだ。それなのに彼が女性っぽいかと問われれば全くもってそんなことはなく、多少ぼんやりしているところはあるが、運動神経抜群、男は言葉より背中で語れタイプと言える。
 小学三年生の時、体育の授業でドッジボールのボールが頭にクリーンヒットして気絶した友人を背負って保健室まで走った話は、未だに幼馴染の間では語り草になっていた。いくら小学生とはいえ、自分とほぼ同じ体格の、意識を失っている子どもを、軽々と背負って保健室まで猛ダッシュ。その後、『一騎くんに背負って走ってもらいたい』とうっとりする女子たちが続出して、男子陣のやっかみを受けた一騎は災難の一言だった。
 容姿云々ならば、皆城総士も外せない。剣司、甲洋、一騎、そして総士。物心ついた時から関わりが深く、腐れ縁もここまでくれば見事だと感心してしまうほど付き合いの長い四人の中で、最も内側の人間に甘く、情に厚い男。昔はスかしてていけ好かない野郎だと突っかかったこともあったけれど、とあることを切欠に彼の本当の性格を知って、今は同じ大学院に通いながら互いに切磋琢磨しあう仲だ。
 この男も、クールで知的な雰囲気が近寄りがたい美しさのようなものを醸し出していて、学内でもかなりの美形として扱われている。確か、大学生の時に大学のイケメンコンテストに出場しないかと声をかけられていた。本人は、不快感を隠そうともせず「は?」という一言だけで退けていたが。あれはしかたがない。ちょうど一騎とメッセージのやり取りをしていた最中だったのだ。凄まれた相手には気の毒だが、同じことをして許されるのは彼の内側に居る人間だけなのである。

 さて、長々とした回想に浸っている最中、剣司が注文した甲洋ブレンドは粉の表面からコポコポと泡を吹き、ゆっくりと一滴、また一滴とサーバーの中に落ちていた。お湯を注ぐ甲洋の手つきは慣れたもので、珈琲専用のケトル(ドリップポットというらしい)から一定のスピードでお湯が注がれていく。
 このケトル、実はかなり扱いが難しい。一度だけ試させてもらったが、一定の量とスピードを保つのは慣れが必要だ。こうやって手慣れた様子で湯を注ぐ姿だけでも様になるのだから、やはり剣司と甲洋の間には決して埋まることのない深い溝か、超えることができない高い壁が聳え立っているに違いない。
「……人が珈琲淹れてるの見ながら溜息つくのやめてくれない?」
「しかたねーだろ」
「何がしかたないってのよ」
 剣司の隣で、なにやら手帳に書きこんでいた咲良が不可解なものを見る目で剣司を睨んだ。その奥、咲良を挟んで右には、本から視線を外さないまま一人沈黙を貫いている総士がいる。
 残念ながら剣司の悩みを本当の意味で共有できる者はこの場にいないので、不満は飲み込むしかないのだ。わかってはいるが、正直虚しい。

 喫茶楽園にこうして集まるのは、実のところ久しぶりだった。
 月に一度は必ず集まろうと約束していたが、ついに就職先が決まった遠見真矢が、海外出張で二ヶ月弱日本を離れることになったのだ。今日の朝の便で帰ってくる、と一昨日咲良に連絡が来て、急遽集まることになった。こういう時、学生というのは時間の融通が利きやすくて良い。ちなみに咲良は非常勤講師で、今日は運良く休みだ。
「はい、ブレンド二つとミルクティー、お待たせしました」
 差し出されたカップは取っ手の部分まで仄かに温まっていて、珈琲が熱くならず、しかしすぐに冷たくならないような工夫がされていた。剣司も総士もミルクは入れない派なので、そのまま一口含むと強めの香りと舌に感じる苦みが程良く心を落ち着かせてくれる。うん、うまい。
「相変わらず美味い」
「ああ。本を読むにはこのブレンドがよく合う」
「っていうか総士、せっかく久しぶりに会ったんだから本なんて読んでないでなんか話題振りなさいよ」
「僕にそういうのは向かないと知っているだろう。そもそも久しぶり、なのはこうやって集まることに対してで、僕がほぼ毎日剣司と顔を合わせているし、一日おきにはこの店に足を運ぶことを心がけている」
 澄ました顔でさも当然のように語る総士だが、普通友人が経営しているからという理由だけで一日おきに店を訪れたりはしない。しないが、それをやるのが皆城総士という男であり、理由は単純明快。真壁一騎がいるから、である。そしてその理由は、誰もが納得するところなので、これ以上の話題の広がりは生まれない。
 呆れたと肩を竦ませる咲良の向かいで、甲洋は苦笑と共に三人の前に伝票を置いた。
「一騎、そっちは?」
「もうすぐできる」
 キッチンで料理を担当しているのは一騎だ。一騎カレー、オムライス、今月のサンドイッチ。それぞれ異なるものを注文しているので、先にできあがったのは一番手間のかからないカレー、そして仕込みを終えていたサンドイッチ。
 カレーを総士の前に置き、サンドイッチの方は食べやすいように二つに包丁で切り分ける。フレンチバケットの間に、低温で熟成させたしっとりとしたローストビーフ、オニオン、レタス、カマンベールチーズを挟んだ、一騎特製ソース付きのサンドイッチは今月限定のスペシャルメニュー。肉のうまみをぎゅっと詰めたローストビーフは柔らかいながらもボリュームがあり食べ応え抜群だ。
「一騎カレーと、サンドイッチ。オムライスはもうちょっと待ってね」
「相変わらず盛り付けもプロね……」
「なあなあ咲良、俺にも一口」
「い、や」
「えぇー」
 素気無く断られ、項垂れる。キッチンからはフライパンが軽快な音を立てていて、長く待たせることもなく黄金色の山が皿に乗って運ばれてきた。焦げ目一つない卵の表面が艶々と輝き、特に意識していなかった腹が小さく空腹を訴える。幸い両隣の二人には聞こえなかったようだ。
 冷蔵庫からケチャップを取り出した甲洋が、スプーンで赤い液体をすくい上げた。そこで、ふとした思い付きを口にする。
「そういや、ケチャップで絵とか描かねぇの?」
「絵?」
「ほら、たまにやってる店とかあるだろ。ケチャップで簡単な絵描くやつ」
「それ、こういう喫茶店じゃなくてファミレスのお子様ランチじゃない」
 剣司としては、そこまで子ども向けをイメージしていたわけではないが、確かによくあるのはクマやウサギがケチャップで描かれたものではある。
 本当にただの思い付きだったので深い意味は無かったのだが、甲洋は数秒の間思案すると、スプーンを小さいものに変えて、オムライスの中心にケチャップを落とした。
 大き目の円の周囲に小さな円を、スプーンに取るケチャップの量を調節しながら、うまい具合に等間隔に並べた。絵、というより、水玉模様に近いそれは、最終的に皿の上にも散らして、最後に箸の先で円から尾を引くようにスッと横にケチャップを引き延ばす。
 どこかで見たことがある。あれだ、よくフランス料理の有名店とかで有名なシェフが皿に乗せたソースにやるヤツだ。見様見真似でできるのか、あのセンス。
 思わず食事の手を止めて甲洋の手元を注視していた咲良と総士も、剣司と同じように信じられないモノを見るかのように目を丸くした。
「はい、こんな感じかな」
 時間にして数分も経っていないだろう。剣司の前に置かれたのは、素朴さを損なうことなく、しかしただソースを乗せただけではない遊び心を感じる模様がケチャップで描かれたオムライス。もはや何をモチーフにしているかとかどうでもいい。
「おまえ……なんなんだよいったい……」
 テーブルの上でスプーンを持つ剣司の手がギリリと音を立てる。恨みがましい吐息は、爽やかな黄色に吸い込まれていった。
「うーん、でもあんまり凝ったのだとオムライスが冷めちゃいそうだなぁ……あ、女性だったらハートとかなら喜んでもらえるかな?」
「このイケメンが!」
「諦めろ剣司、甲洋はこういう奴だ」
 剣司の渾身の突っ込みは意外な男に拾われた。隣でおとなしくカレーを咀嚼する横顔は無駄に整っていて、結果的に剣司の怒りを煽るだけであるが。
「まあ、ハートだったら悪くないとは思うけど。たぶん、あんたたちが苦労するだけだからやめておきな」
「ああ……うん、来年のバレンタイン企画とかにとっておくかな」
 咲良の忠告を正しく受け取った甲洋の態度は、悪びれもせず余裕を崩さない。わざと剣司を揶揄ったな、とカレーに舌鼓を打つ総士は、キッチンから姿を現した一騎に視線を移した。
 束ねていた黒髪をハーフアップに変えた一騎は、カレーを咀嚼する総士の姿にはにかむ。素直に可愛いな、と思った。彼の周囲に花でも飛んでいる気がする。
「一騎、今日のカレーも美味しい」
「ん、ありがとな。あ、そうだ総士、あれ」
 差し出された手に、キョトンと灰色が丸くなる。見つめ合うこと数秒の沈黙後、ようやく思い至った総士はスプーンを皿に置き、鞄から水筒を取り出した。
 なんの変哲もない緑色のそれを受け取り、一騎は軽く中を熱湯で濯ぐと珈琲を棚から取り出した。
「一騎?」
「なんだ?」
「いや、なんだっていうか、俺の方が聞きたいんだけどさ」
 流れるような手つきで珈琲サーバーに器具をセットし、抽出をかけ始めた一騎が首を傾げる。ふわりと香るのは一騎ブレンドで、つまり総士に渡された水筒に入れるためだろうというのは状況から予想がつくのだが、いったいなぜという疑問は本人たち以外の全員の視線が物語っていた。
「ゼミで、これから明日の朝まで、なんかのデータ? を取るから眠気覚ましに珈琲持たせてやろうと思って」
「眠気覚まし」
「珈琲」
「彼女かっ!」
「はは、俺男だぞ」
 甲洋、咲良、剣司の見事なトリプル突っ込みにも眩しい笑顔を崩さない一騎と、前を向いて黙々とカレーを頬張る総士は涼しい顔。「彼女」という指摘を「男だから違う」と天然ボケを発揮している一騎に対し、総士の真顔はどう思われても意に介さないという態度の表れだ。
 どちらかが女だったら今頃結婚でもしてるだろうに、と周囲に噂される程には近しい距離の二人ではあるが、幼馴染たちにとってみれば結婚なんて生ぬるいレベルで互いの存在理由に食い込んでいるのだ。
 なんにしろ、いまさら、というものである。
「ま、あんたたちの関係をどうこう言うつもりはないけどさ」
 大人な発言は盛大な呆れと共に咲良が場を和ませ、まだ食って掛かりそうな剣司の襟首をつかむ姿に「尻に敷かれているな」と総士が余計な茶々を入れた。
 だからそこで煽るなよ、と甲洋が言いかけたところに、今度は一騎が新たな爆弾を落とす。
「甲洋、練習したからほんとうまくなったよな」
「……は?」
「なんのことだ」
「ケチャップ。さっき剣司のに描いてるの、チラ見したけど、随分マシになったなあって」
 洋風レストランみたいでかっこいいな、と一騎の純粋無垢な笑顔が甲洋に向けられる。
 珈琲の良い香りが一瞬途切れ、甲洋は次の瞬間、顔を赤く染めて声を失った。
「なっ……ばっ……」
「あれ? 言っちゃダメだったか?」
「いーぜ一騎、そこんとこ詳しく!」
 とぽとぽとぽ、と水筒に珈琲を注ぐ一騎は、一つ唸って「それがさぁ」と続ける。
「ケチャップは結構前からやろうかなって話になってたんだ。でもほら、時間かかるし、俺も甲洋もあんまりうまくないからさ」
「さっきの芸術的センス抜群の模様は?」
「すっごい頑張って甲洋が練習した成果」
「〜〜ッ一騎おまえもう黙れよ!」
 背後から口を塞ごうと手を伸ばす甲洋をひらりとかわし、それでもなお羽交い絞めにしてくる甲洋は照れも混じって遠慮なく両腕に力を込める。それを見てムッとする総士を他所に、一騎は楽し気に甲洋とじゃれ合って剣司の背に冷や汗を流させた。
「いいだろ、うまくなったんだし」
「ちなみに一騎はなんの絵を描いたの?」
「『そうし』」
「「は?」」
 剣司と咲良の声がハモる。こいつ何言ってるんだろうと総士と一騎を見比べると、さすがの総士も予想外だったのか眉を寄せていた。
「だから、そうしを書いたんだ」
「これを?」
「おい、人を指すな剣司」
「いやだって、確かにロン毛で目に傷付ければそれっぽく……見えねえけどよ。難易度高すぎだろケチャップで人間って」
 じっと見つめてみても、とてもではないがケチャップで描ける人相ではなかった。少なくとも剣司には無理だ。たとえ咲良をケチャップで描いてみろと請われても、正直お断りしたい。
「あのさ、勘違いしてるみたいだけど」
 甲洋の腕から抜け出た一騎は、水筒をコトンとカウンターに置いて首を傾げる。
「ひらがなだよ、『そうし』って。俺に絵心無いのわかってるだろ」
「ケチャップで?」
「オムライスに?」
 こんもり黄色の卵の上に、『そうし』の文字。思い浮かべるとそれはまるで、子ども向けのお子様ランチのようであって。これはある意味酷いと言った方がいいのだろうか。剣司は本気で悩んだ。
「なんでもいいからって言われて、総士しか思い浮かばなかったんだ」
 とんだ告白が放たれた。総士が胸を抑えて水を一気に飲み干す。どうやら致命傷は避けたようだが、感極まったように「一騎……!」といろんな感情を絞り出した声で一人悶えているので、クリーンヒットはしたらしい。
 難しかったんだよなぁ、と和やかに話しかける一騎が幸せそうなのがなんとも言えないしょっぱさを感じさせて、本人たち以外は大きく溜息をついた。
 突っ込むのも馬鹿らしくなってきた剣司は綺麗に平らげたオムライスの皿を甲洋に渡す。ごちそうさん、と礼を告げる剣司に、甲洋はにっこりと笑った。
「ただの惚気話になったね」
「いつものことだろ」
「ああ……」
 遠見がいなくて良かった。もし此処に彼女がいたら、一騎と二人きりの世界に浸る総士に、それはそれは絶対零度の人を射殺しそうな視線が突き刺さっているだろう。
「ま、総士はなぁ。おまえらがいなくなった時のあいつ、見てらんなかったし」
「俺じゃなくて一騎だけでしょ」

「おまえも、だよ」

 剣司の声は、優しい中に有無を言わせぬ強さを感じさせた。甲洋とて、別に皮肉で言っているわけではない。だが剣司は、優しいから、いつだって誰をも平等に救おうとする。
 皆といると、心が安らかになって、反面、深いところがチクリと痛むのだ。
「……そっか」
「そうなんだよ。何回も言わせんな、記憶力抜群男が」
「その呼び方ダサくない?」
「だせぇな。今のおまえにぴったりだ」
「剣司も言うようになったなぁ」
「おっやるか?」
 満面の笑みで臨戦態勢に入った二人と互いにハートを飛ばしまくっている二人に挟まれた咲良は、呆れすぎて言葉を発する気力も失せていた。
 きっと真矢が話を聞けば、自分のオムライスにも絵を描いてほしいと一騎に強請るのだろうな、と平和な想像と共に美味しい紅茶を一口啜った。