皆を愛しています
*オールキャラ
どこが終着点かなど分かりはしない世界の中で、いつもどこかを見つめている人がいる。
夢を追うような心地のまま彼の背中を追っていけば、きっとその終着点に辿り着ける。
そう思わせる様な、芯の通った後姿。前を見つめる横顔。遠くの空を彩る瞳。
無限に続く闇を切り裂くように、光を求め、でも影になる事を厭わない。
彼は正しく、世界を変えた。
彼の存在なくして、世界は変わらなかった。
彼の決断こそが、世界を変わる必要性へと導いた。
無論、世界を変えたのは彼だけのせいじゃない。彼はそんなに傲慢ではなく。
彼に責任のすべてを押し付けるような真似をするほど、自分たちは薄情ではない。
ただ、自分たちは気付かなかった。
それはもしかして、星喰みを討つために魔導器を犠牲にしたことよりも罪深い。
暗く淀み光の射さない、そんな深淵が彼の中にあるなど思いもしなかった。
それとも、あえて見ぬふりをしてきたのか。どちらにせよ、結果は同じだったのか。
人間という物語が進む以上、他者との関係の中で誰かを犠牲にすることはある。
それは他人であり、もしかしたら知己かもしれない。
その覚悟なしに、世界というシステムの中で生きているなんてありえない。
当たり前であり、重く圧し掛かるそれを、彼は背負って生きていた。
きっと自分たちよりも強い覚悟をもって、未来という現実を受け止めようとしていた。
彼という存在がもたらした、世界の意味の変革。
「私という世界が意味を変えた」のは、彼という存在が理由。
凛々の明星の皆は、誰もが己の世界の変わる瞬間を視た。
それすらも彼にとっては重荷だったのだろうか。
こぼれた涙が、頬を伝う。
遠ざかる背に、手を伸ばした。
いかないで、いかないで。
伸ばした手は、闇を掴むばかり。
握りしめたいのは暗闇色ではない。
深く蒼い、紫紺を混ぜたような宵闇の色。
凛々の明星が瞬くような美しい夜空の色。
いかないで、どうか消えてしまわないで。
私が手を伸ばしても、彼はきっと振り向かない。
ならば、誰の手が彼に届くだろう。
―あなたが背負ったものは、そんなにもあなたを苦しめていたのですか。
いかないで
暖かい陽の光がカーテンの隙間から射し込んで、瞼の上に明るさを感じた。
小さく呻いて体を起こせば、見慣れた部屋の景色の中に不審なものはない。
それなのにどこか不穏な、ざわめくような落ち着かなさを覚えて、目が冴えた。
変な夢を見ていた気がする。暗闇の中で、誰かの背中を見続けている夢。
会話もなく、その人が誰かも分からない。「彼」の姿を覚えてはいなかった。
ベットから滑り出て、衣服を整える。
ユーリみたいに長くなるには時間がかかるけれど、鏡の中の自分の髪は肩くらいになった。
いつものドレスではなく、なるべく軽装で今日は出かける予定だ。
公務が重なったことと、凛々の明星に依頼が立て込んでいたから、会うのは数週間ぶりになる。
久々に凛々の明星が下町にやってきたのは、一昨日。楽しみにしていた邂逅は今日、叶う。
下町に行くことは、フレンにもヨーデルにも伝えてあるから、護衛の騎士はつかない。
一般の兵士よりもエステルの方が強いことは、二人が一番よく知っている。
それでも心配をしてくれるのは嬉しいし、何かがあってからでは遅いのは理解しているつもり。
なので、フレンにひと声かけてから下町に降りることにした。
長い廊下を進み、突き当たった階段を上れば、騎士団長室。
軽く部屋の扉をノックすれば、はい、と朝の眠気を感じさせないはきはきとした応えが中から響いた。
「おはようございます、フレン」
「エステリーゼ様…おはようございます」
暖かい声はいつも通りで、仕事をしていたのか書類が机の上に山積みになっている。
朝からこの状態では、今日はユーリの元に行くことはできないかもしれない。
そう思いながら卓上の紙束を眺めていると、フレンがくすりと苦笑した。
「こんなに溜まってしまって…まったく、やってもやっても終わりません」
「お疲れ様です。ヨーデルに渡すものがありましたら、持っていきましょうか?」
「そんな、エステリーゼ様にお任せするなんて」
「あら、そんなに頼りないです?」
意地悪かな、と思いながら質問をすると、案の定真面目なフレンが渋面になった。
ふふ、とエステルは笑って、冗談ですよと付け足した。
「でも、本当に手伝えることがありましたら、言ってください」
「大丈夫ですよ。それに今日は、下町に行かれるのでしょう?」
「はい。本当は、フレンも一緒に行ければと思ったのですが…」
書類の山では、難しそうだ。残念に思っていると、フレンは「それでは」と椅子に背をもたれ掛ける。
「私は会いに行けないので、エステリーゼ様が存分に楽しんできてください」
「フレン…」
「流石にこの量では、難しそうですし」
そう言って諦めのため息をつくフレンに、エステルは両手を握りしめた。
疲れているフレンにも、少しは休んでもらいたい。
その気持ちを実現するには、どうすればいい?
「…わかりました。では、ユーリに言っておきます。たまにはフレンの顔を見に行けって」
「エステリーゼ様…」
「我慢は禁物ですよ?」
そう言って、目を閉じた。
朝の夢は、すっかり忘れていた。
下町へ降りる道すがら、これから会う仲間の事を考える。
レイヴン。いつもみたいに飄々として、皆の一歩後ろから優しい眼差しを送ってくれる。
カロル。きっとユーリの隣で、依頼書を片手に奮闘してる。背は伸びただろうか。
ジュディス。齢は対して変わらないのに、きっと変わらず大人びた表情で労ってくれる。
リタ。背が伸びてすごく可愛くなって、一緒に洋服を買いに行きたいっていう約束は覚えてるだろうか。
ラピード。少しは慣れてくれたけど、まだ気安く触らせてはくれない。今度こそ。
ユーリ。
皆の中心で、面倒くさいと言いながらもきっとたくさんの人を助けている。
ユーリならきっと何とかしてくれると、彼を知る誰もがそう思っているから。
ああ、早くみんなに会いたい。
そう思いながら進んだ先に、街並みが広がって。
帝都の防壁の外に、バウルが停まっている。ちゃんと来ているのが確認できて、自然と急ぎ足になった。
中央の広場に、先ほどまで脳裏に描いていた五人と一匹の姿が見える。
急ぎ足はやがて駆け足になり、声を上げるべく胸に息を吸い込んだ。
「皆さん!」
大声は、まずリタを、次にジュディスを、遅れてレイヴンとカロルとユーリを振り向かせる。
ラピードはちらりと見ただけで、ユーリの隣を離れることはなかったのが、少し残念ではあるけれど。
「エステル!久しぶりね」
「少し背が伸びたんじゃないからしら?」
「およ?お嬢ちゃんはまだ成長期かな〜いいねぇ若いと」
「レイヴンはあとは縮むだけだもんね」
「酷い!首領ったら最近おっさんに冷たい!」
わいわいと賑やかな、心を許している者同士の会話。
今では当たり前で、昔は当たり前ではなくて、ずっとずっと続けていきたいと思う関係。
そんなみんなを後ろから眺めているユーリと目があって、エステルは淡く優しい気持ちに包まれた。
ユーリもまた、変わらない笑みを浮かべ、長い髪を風に揺らし、満足そうに言う。
「久しぶりだな、エステル」
「はい!」
柔らかにかけられる声に、ああこれだけで十分だと感じる。
この人の傍にいるだとか、この人に好かれなくちゃいけないとか、そんな緊張のない挨拶。
ふと、夢を見ている気がした。
此処と向こう、隔てられた世界。エステルはユーリの背中を見るだけの世界。
つらく、悲しく、苦しい。これは、きっとユーリの世界。
美しい明星が瞬く。ユーリは振り返らない。ただどこかを見据え、どこかを目指し、進んでいる。
ああ、これは。
「エステル?」
リタの声に我に返り、エステルはあわてて手を左右に振った。
「すみません、何でもないです」
「本当に?忙しくて呆けてるんじゃないの?」
「具合が悪いのなら、遠慮なく言ってね」
「ありがとうございます、リタ、ジュディス。でも、大丈夫なんです。気を遣わせてしまってすみません」
無理はしないでよね、と念を押すリタに、素直に頷く。友人の忠告は、いつだって素直に聞くものなのだ。
「さてと、今日はどこに行く?」
「そういやカロル先生、帝都に仮アジトみたいなの作りたいとか言ってなかったか?」
「無理だと思うけれど」
「無理じゃない?」
「レイヴンもジュディも、ダメ出しないでよ!」
分かってるよそれくらい、と半ば自棄になるカロルは、くるりとエステルに向き合う。
「今日は、ハリーから手紙を預かってるんだ。フレンに会えないかな?」
「フレンに?フレンでしたら、今執務室にいると思います」
「んじゃ、カロル先生はそこな」
「えー…ユーリも行くんだよ!」
「パス!」
「パス!じゃないよほらユーリ」
「……」
カロルも強引になったよねえ、と年寄り染みたレイヴンの声は誰にも賛同されはしなかったが、誰もが心の中で思ったことだろう。
ユーリの扱いだって、かなり板についてきたカロル。
そのたくましさに、エステルだけでなく、全員が自然と笑みを浮かべた。ラピードだけは、呆れ交じりに欠伸をする。
「それじゃあエステル。買い物にでも行く?」
「ぜひ連れて行ってください!リタとジュディスとお揃いの物、何か買いましょう?ね、リタ」
「お、お揃いって……」
エステルにとって、世界を変えた人。
フレン。優しくて、お伽噺の王子様みたいな人。
リタ。初めての友達。かけがえのない、大事な人。
ジュディス。自分に自信を持つ事を教えてくれた人。
カロル。頑張れば、なんだって出来るんだってことを教えてくれた人。
レイヴン。支えられ、支える人。
パティ。恋する意味を考えさせられた人。
ユーリ。私に世界を教えてくれた人。
「えーおっさんハブり?アウトオブ眼中?」
「何言ってんの、レイヴンも来るに決まってるでしょ」
「おっさん、来い」
「おっさん犬じゃないわよ!」
−辛いこともたくさんある世界だけど。
世界は続いていると、実感させてくれる。
生きたいと思えてよかった世界に、したいと思う。
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お姫様。