桔梗の夢現
*遊郭パロを舐めていた結果の産物
*泣ける話を目指したけど挫折した結果の産物
*遊郭パロだけどそれらしいシーンはありません。あくまで言葉に留めています。
装いの絢爛な建物の二階から眺める景色は、春夏秋冬の変化を楽しめるものとはいえいつも同じだ。
切り取られた一枚の絵。和紙を糊で貼っただけの、作りものの世界。
この目が捉える景色は、それだけ。移ろいゆく四季も風の匂いも、感じてはいても感動は無い。
薄暗い廊下と、仄かな明かり。肌を焼かないように外出は滅多なことがなければ許可されず、重い着物を手枷足枷の如く重ね着る。
美しいと評判らしい髪は腰まで長く、指を入れても絡まることがないように禿たちが、毎晩丁寧に梳いて。
夜になれば、鎖骨と首元が露になる商売衣装に着替え、髪を結って簪を挿す。足元はつま先がほんの一瞬見えるほど裾の長い着物。
黒に近い紫紺地から白い肌を晒せば、大抵の客は息をのむ。
それに嘲笑うような嘲笑を覚えるのも最早日課になってしまったが、それでも相手は大金を貢ぐ大事な客だ。
ある程度までの遊戯は必要で、相手の話に耳を傾けつつ相槌を打ってやる。
早急に事に運ぼうとする客も稀にいるが、そもそも自分に触れるためには途方もない金額と「太夫が触れることを許した」という事実が必要だ。
だから、みんな躍起になる。次こそは、次こそはとお金を注ぎ込んで、笑み一つ向けられる日を想像しているのだ。
だがそんなの、知ったことではない。
自分がこの心に触れることを許すのは、生涯にただ一人。
昔は同じく遊女として属していたが、五年前に記憶喪失となり、自分との思い出全てを失って立派な武士の家に引き取られた彼。
ただずっと待ち続けて、待ち続けて、でも会いたくないと思う人。
月のように輝いていて、太陽のように明るい。
たった一人、自分に感情を与え続けてくれた、大事な大事な――フレン。
こっちを向いておくれ、と目の前の男がだらしなく目元を緩ませる。
その懇願にもそっぽを向いて、手元の扇で口元を隠したままユーリは小さく息を吐いた。
整った眉が嫌悪に寄せられる。しかし男はそれに気づいた様子もなく、近づきたくても近づけないもどかしさにいら立っているようだ。
苛立ちたいのはこっちだ。特に愛想良くしたわけでもないが、どうも相手には妄想癖でもあるのか、勝手に仲良くなった事にされている。
今日も金額に物を言わせて馴染みの客の前に割って入り、こうやって目の前に座っているだけのユーリに言葉を投げている。
それに対する応えなど息一つ聞こえていない筈なのに、この男の脳内では一体どんな補完がされているのやら。
パシリと扇をたたむ音と次いでそれを叩く音が部屋に響き、控えていた禿が襖を開けた。
お帰りの時間です、と半ば連行される男に一瞥もくれることなく、ユーリは詰めていた息を吐きだした。
無口で居続ける、というのもなかなかに疲れるものだ。たいして長い時間ではなかっただろうが、せめて言葉一つ吐き出せば、逆に相手がつけ上がる。
焦らして焦らして…大金を払ってもらわなければいけない。
自分に課された金額を満たさなければ、此処を出ていくことができないのだ。
そして、無形の枷を嵌められた彼のためにも、自分には金が必要だ。たとえ、この身が彼ではない誰かに汚されたものだとしても。
*
フレンとユーリは、所謂孤児と呼ばれる親なしだった。
流れ着いた街で罠に嵌められて、見目が綺麗な子供を売る人攫いに捕まり、買われた先がこの花街の一遊郭。
今では界隈の店と比べても圧倒的な人気を誇るこの店で、ユーリとフレンは遊女としての振舞いを覚えさせられ、客をとった。とにかく二人は、武士の間で密やかに名が売れるほど美しく若かったのだ。性別など関係ない。男としての自分ではなく、遊女であるというそれだけが、二人の身分だった。
「フレン、大丈夫か…?」
「大丈夫だよ、ユーリ。ね、もう寝よう?」
朝日が昇る前のほんの数時間、寝ることを許されて二人で寄り添って月光を浴びた。
鉄格子から見える夜空はとても綺麗で、隣で眠るフレンの髪と同じくらい好きで。
暖かな体温に包まれて、いつも一緒にいた。
でも心の中で、ずっとフレンはこんな場所にいてはいけないと思っていた。フレンはきっと、優秀で格好良くて、誰にも負けない正義感をもった武士になる。
こんな所にいたら、フレンの綺麗な瞳が濁ってしまう。だから、自分がフレンを連れ出して、いつか絶対にフレンを武士にするのだ。
そんな矢先、ユーリにとって忘れられない日が訪れる。
客をとって気絶したフレンの身体を綺麗にしていたユーリは、目を覚ましたフレンにいつもと同じように声をかけた。
大丈夫か、辛くないか、と。
するとフレンは、ぱちりと瞬きして不思議そうに尋ねたのだ。
「――きみ、は?」
「は?お前、何の冗談…」
「君は誰?此処は…」
綺麗な青の瞳はいつもと同じなのに、フレンの声も視線も表情も、全部ユーリの事を知らないと語っていた。
信じられない。どうして。忘れてしまうなんて。全部。自分の、ことも。どうして?
「覚えて、ないのか?」
「からだが痛い…ねぇ、此処はどこなの?」
縋るように、フレンの両手がユーリを掴む。
忘れてる。全部、全部全部。此処での事も、ユーリの事も、思い出も、ぜんぶ。
そこまで、心に傷を負ってそれを隠してしまうまで、フレンは追い詰められていたのだろうか。
身体を売るしかない現実に、目をそむけてしまうほどに。
だったら――
ユーリは立ち上がって、フレンに着物を着せた。寝こけている金庫番の目を盗んで、あるだけのお金を手に取る。
訳がわからず困惑するフレンの手を掴んで、朝方の露が冷たい道路を裸足で駆けた。
フレンをこんな目にあわせた顔も知らない男を恨みながら。全部忘れてしまったフレンに憎しみを抱きながら。
それでもフレンを愛おしいと想う気持ちを、胸に閉じ込めて。暖かい彼の体温に包まれたまま、優しく優しく遠くへやって。
目指した先は、遊郭とは離れた場所にある、街全体を取り仕切る武士の家の前。
アレクセイというらしい当主の家は、とても立派で入れてくれそうにもなかったが、ユーリには此処しか縋れる場所がなかった。
以前取った客の中に、アレクセイの側近だという男がいたのだ。とても誠実で、同僚に勧められてどうしても来なければならなかったのだと、苦笑していた。彼なら。もしかしたら彼なら、何とかしてくれるかもしれない。
浅はかで何の思慮もない考えで其処に立っていたら、後ろから声をかけられた。若い男の、声。
「君たちは…?」
帯刀している。斬られるかもしれない。そう思いながらも、ユーリは懇願した。
「こいつ、記憶喪失なんだ。お願いだ、助けてやってくれ」
「記憶喪失?…見せてみなさい」
落ち着いた雰囲気の青年は、フレンを両腕に抱いて膝をつく。
すごくいい人だ。この人なら、もしかしてフレンを助けてくれるかもしれない。
ここで…別れよう。名前も告げず、知らない人になろう。きっと、フレンに取ってはその方がいい。
「フレンのこと…頼む」
「この子は、フレンというのか?」
こくりと頷いて、ユーリはそっとフレンの髪を撫でた。
知らない人を見る目で、ユーリを見るフレン。大丈夫。きっとこいつなら幸せになれる。
帯刀しているこの青年は、おそらく武士だ。彼がどんな人かはわからないが、突き放してフレンを殺してしまうようには思えなかった。
だから、きっと――
「お願い、こいつを助けてあげてくれ」
「君は一体…いや、そもそもこんな処で何をしているんだ?」
「お願い…すぐに、いなくなるから。ただ、こいつだけは…こいつだけは、助けてやってくれ」
言葉が足りない。お願い、助けて、しか言えない。
懐から取り出したお金を、どうしていいか分からないままフレンの手に握らせて、即座に踵を返す。
走り出したユーリの背に青年の焦った声が届いた。それでも立ち止まらず、ユーリはただどこかへ行こうと走った。
街を突っ切ろうとしたら、途中で店の者に捕まってしまった。フレンを逃がしたこと、店の金を盗んだこと。
心の命じるままにやったことでも、店にとっては損害だ。だから、全部ユーリが払えと、大金を背負うことになった。
肌に傷をつけないように鞭で打たれることはなかったが、代わりに毎日「客の取り方」を身体に叩きこまれて、外出は禁じられた。
窓枠の向こう側の世界に、想いを馳せるだけ。
何人客を取って、何人が肌に触れたかなんてもう覚えていない。
それでも、五年経った今、自分は『高貴な花』になった。
触れる人間を選べるくらいの地位と、大金を叩いてでも通うだけの価値を手に入れたのだ。
*
――ふと、意識が上昇する。
懐かしい夢を見ていた。頬が濡れていて、久しぶりに泣いたと自嘲する。
感情など、フレンに関係すること以外では全く覚えることがない。
嬉しいも辛いも悲しいも、全部フレンがいないと自分に訴えてこないのだ。唯一自然に浮かぶのは、不快感だけ。
窓枠が朝露に濡れていて、顔を出していない朝日が空を赤く染める。
綺麗。フレンを連れて出た朝と、同じ色。
フレンは、あれからどうしているだろう。
実は一度だけ、この窓枠の向こう、外の世界にいるフレンを垣間見た。
実際にフレンかどうかは分からない。でも、あんな綺麗な金髪はフレンしかいない。まだ青年とは呼べないまでも背が高く、凛々しい後姿。帯刀していたから、武士になったのだろう。
良かった。あの武士は悪い人ではなかったのだ。何人かと一緒に歩いていたから、きっと打ち解けられる誰かに出会えて、ちゃんと生きているのだ。
それだけで、いい。
フレンが、ちゃんと生きて幸せになっているのなら。
それをただここから願って、いつか自分も外の世界に出られる日を夢見て。
太陽のように明るい笑顔を、彼に向けてもらえる日はもうないだろうけれど。いつまでも彼を愛し続ける。
愛おしい、大切な、誰よりも守ってあげたい、彼を。
「…フレン」
身体をくの字に曲げる。
最近、どうにも胸が痛くて、咳が出る。窓枠に腕をついた。
少しすれば落ち着くから、きっと風邪か何かの症状だろう。風邪をひいたことがない自分でも、もしかしたらという事もあるかもしれない。
けれど客を取らないわけにはいかないから、悪くなるようだったら主人に相談しよう。相談してもなにかしてくれるかどうかは分からないが、客が取れなくなったらそれはそれで問題だ。
「フ…レ、ン…」
空みたいに青い瞳が、こっちを見て。
優しく笑って、名前を呼んでくれる。
ああ、フレン。
全部、思い出したのか。
そんな、儚い夢を見た。
(桔梗―「誠実」「変わらぬ愛」「従順」「悲哀」「運命」)
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決して死にネタではありませんよ!死んでませんよ!
フレンsideも書こうか悩みましたが、これはこれで気に入ったのでこのままに。
趣味丸出し…ユーリを悩ませたり悲しませたりするのが好きだ。←最低だなお前
夢現はゆめうつつと読んでください。夢なのか現実なのか、それすら定かではない世界。