明星
かちゃりとコーヒーカップが細い指によって持ち上げられる。優雅なティータイムと言いたいところだが、目の前にいる人物にそう悠長なことも言えない。本人は気にした風も無く最高級の茶葉を蒸らして淹れた紅茶を堪能しているのに、溜息すらつきそうだ。
「そんな睨まないでください」
「そうは言うけどな、殿下。用が無いなら、帰りたいんだけど」
「用ならありますよ。貴方と一度、ちゃんとお話ししてみたかったんです」
「……」
「というのは、半分は冗談ですが」
「…はぁ…」
フレンが居たら鉄拳でも飛んできそうな態度も、ヨーデルはくすりと笑ってティーカップに再度口を付ける。
「甘いものが好きだとエステリーゼから聞いていましたので、もし宜しければこのお菓子をお持ちください」
「あんた、俺の事ガキと勘違いしてないか」
「そんなはずないじゃないですか」
ヨーデルに手渡された箱の中にはクッキーなどのお菓子が所狭しと詰まっていて、本当に用意したのか、と驚く。
しかし、ユーリ一人の為にしては量が多い。不思議に思って箱の中をもう一度覗くと、一枚の紙が挟まっていた。怪訝に思いそれを引き抜いてみれば、封筒の宛名には副帝の名が綴られている。なるほど、とユーリは肩から力を抜いた。
「貴方は大事なお友達ですから。いつでもいらしてくださいね」
「そりゃどーも。あんたも無理すんなよ」
「そうですね。エステリーゼの様に、貴方に攫ってもらいましょうか」
「…冗談だよな」
「さあ、どうでしょう」
にこりと笑う顔は、どこまでが本気かそうでないのか。俺を犯罪者にするなよ、とユーリが眉を寄せる。
「…お話をしたいのは、本当です。貴方は、嫌かもしれませんが」
「…ま、最近の皇族ってのは変わり者が多いみたいだしな」
「ありがとうございます」
同時に、扉を叩く音と騎士らしき鎧の音。ヨーデルは礼を言い、立ち上がった。
「次はぜひ、もっとゆっくりと」
「俺もそこまで暇じゃないぜ?」
最後まで笑みを崩すことなく、ヨーデルはユーリの手を握った。
城を一歩出ると、眩しいくらいの太陽が輝いていた。冬晴れというやつだ。寒さには慣れているつもりだが、吹く風は冷たい。
ここ数年で見慣れた、城から下町までを見下ろす景色。階層ごとに住む場所が区切られているその様子は、以前よりも少しだけ縮まって感じられた。と、紫の羽織が視界に映って面倒くさそうな顔がユーリを見て空の太陽の如く輝いた。
「青年、いいところに!」
「却下」
「なによ冷たいわね〜」
「俺はこれから下町の様子見てエステルに用があるんだ。残念だったな」
「ちょっとくらい付き合ってくれたっていいじゃない」
おっさんいじけちゃうよ、と纏わりついてくる腕を振り払って、ユーリは背を向ける。
「んじゃ、ハリーのお遣い頑張れよ」
「あら、わかってるじゃないの」
「カロルが朝言ってたからな。おっさんに会ったらよろしくだとよ」
そのカロルも実は下町に居ると思われるが、どうやらこの反応では会っていないようだ。レイヴンは腕を後ろに組んで、手紙らしきものをひらひらとそよがせた。さて行くか、と歩き出したところに、再度声がかかる。
「そう言えばユーリ、今夜暇?」
「…エステルんトコに早く着いたら、一応暇っちゃ暇だな。流石に帝都に戻ってくるのは無理だろうけどな」
「あー今日じゃなくてもいいんだけどさ。ダングレストにできた新しい酒場、せっかくだから一緒に行かない?」
「珍しいな。おっさんが俺を誘うなんて」
普段はジュディスとか、少なくとも男は誘わないだろうに。
「若人と語りたいこともあんのよ」
「…大丈夫かおっさん」
「ちょっとそれどういう意味」
「いや、本気で心配しちまったよ」
考えておいてねと、ときめきもしないウィンクと共に城内に去っていく。後姿を見送って、ユーリは箱を片手に下町に降りていった。
水路に流れる水を追うと、下町はすぐだ。魔導器に頼らずとも、水は手に入る。簡単なことだけれど辿りつくまでには時間のかかった、人間の生きる強さを象徴する噴水の前には、今では子供の笑い声が絶えない。
現在は井戸も兼ねているその噴水の前に、体格と不釣り合いではなくなった大きなバックを肩にかけた少年が腕を組んで立っていた。
「よ、カロル」
「ユーリ!」
「あら、いたのね」
「ジュディも居たのか。久しぶりだな」
「ええ」
背が伸びたカロルは、ジュディよりはまだ低いが伸び盛りのぴんとした背筋で満面の笑みを浮かべる。幼かった少年は、様々な経験と時の流れを経て容姿の成長も顕著に現れている。
対してジュディスは、相変わらずの露出度を誇る服のまま、だ。さらに豊満な体型になってしまい正直目のやり場に困るというのが男性陣の意見である。
「どうかしたのか?」
「最近寒くなったから、井戸の調子がおかしいみたいなんだ。滑車が凍って動かなくなっちゃったんだと思う」
「それで、井戸の構造を変えてみようってことか」
「そこまで大がかりなものができるかは分からないけれど、使えなくなったら大変だものね」
「火で燃やすわけにもいかないから、何かいい素材とか無いかと思って」
「なるほど…な」
井戸を作るメンバーの一員だったユーリにしてみれば、重要な課題である。カロルが何とかするかと思うが、下町の事であれば動かないわけがないのがユーリ・ローウェルという男だ。
「なんか手伝うことあるか?」
「今の所、どうすればいいかは分からないから、とりあえず保温性のある魔物の毛皮とかを使って滑車や紐が凍らないようにしようと思ってる。気温ばっかりはどうしようもないし、下町の人にもコツを覚えてもらうのが一番早いかと思うんだ」
「とりあえずは、カロルに任せても問題ないと思うわ」
「そっか。頼んだぜ、カロル先生」
「うん!」
カロルが元気よく返事をする。こういう前向きで一生懸命な性格は変わっていない。
ユーリはこの場は任せても大丈夫だと判断し、踵を返そうとするが、その背をジュディスが呼び止めた。
「バウルは必要?」
「いや、大丈夫だろ」
「そう。気を付けてね」
「ああ」
「あ、そうだユーリ!今度、ハリーがユーリに会いたいって言ってたよ!」
「ハリーが…?なんか用でもあるのか?」
「さあ…でもその時は、僕達も一緒に行くから。明後日くらいにダングレストに行けないかな?」
「ああ、いいぜ」
「よろしくね。久しぶりに皆で会いたいなぁ」
カロルの声を背に、ユーリは手を振って別れを告げる。
太陽は輝いて、ユーリの髪は柔らかく舞い上がった。
冬化粧がちらほらと残るディドン砦の待合室。
その一角に分厚い本を読み耽る少女が一瞬のうちにリタであると分かってしまい、ユーリは苦笑しながら近寄った。
「おーい、リタ」
「……」
「リタ!」
「……」
「…お、エステルがいる」
「え、エステル!?」
先ほどまでの集中力はどこへ行ったのか、エステルの名前一つで顔を上げる。ここ最近、エステル好きに拍車のかかるリタの行動に今度こそ声を上げて笑い、ユーリはぐしゃぐしゃと頭を撫でた。
「おっす」
「…ってなんだ、あんたじゃない。邪魔、手退けて」
「おっさんみたいな扱いするなよ」
「おっさんだったら問答無用で一発お見舞いしてるわよ」
「それもそうだな」
手を退けて、隣に腰掛ける。本に視線に戻し、再び無言になったリタをちらりと見ながら、特に話題もなくユーリも大人しく門が空くのを待った。やがて間もなく開門を告げる声が聞こえ、そちらの方へ首を向けた。
「そういやあんた、今暇?」
「残念ながら。エステルへの御遣いを頼まれてるんでね」
「ふうん。じゃあ仕方ないわね」
「はぁ?」
「あたしもエステルのとこ行くから。二人旅よ」
「二人旅ねえ」
茶色の頭を見下ろして、腕を組む。何よ、と睨む視線にふと笑みを零して、ユーリは何でもないと返した。
「そんじゃ、行きますか」
ハルルの樹も、冬は代名詞である桃色の花を咲かせることはない。四季が訪れるようになってから――いや、結界魔導器としての役目を終えてから、穏やかな流れに身を任せるように、折々の表情を見せるようになった。その木下を、寒くはあるものの、子供は元気よく外を駆け回っている。眺めながら坂道を登っていけば、二人の前に桃色の少女が姿を現した。
「ユーリ!リタ!」
「エステル!」
「よっ」
リタはエステルに駆け寄り、ユーリは片手を上げる。
「お久しぶりです、ユーリ。何かあったんですか?」
「殿下にお使いを頼まれたんでな。ほれ」
「これは…」
手渡された箱の蓋を開け、エステルの目が丸くなる。どうやら、頼んでいたものというわけでもないらしい。
中に入っていた手紙に目を通すと、なるほどと微笑んだエステルは頬を染める。
「ありがとうございます、ユーリ。これから、どちらかに行かれる予定はあります?」
「…今日はないな。明後日までにはボスと合流するぐらいだ」
「それでは、今度是非私にお菓子の作り方を教えてください」
「この前は、確かプリンを作ったよな」
「はい。あれから練習したので、少しは上達してると思います」
「そりゃ楽しみだ」
びゅうと風が吹く。冷たい風が二人にかからないように少しだけ体をずらして、ユーリは揺れる髪を手で押さえつけた。外は冷えるし、そろそろ夕方に近い頃だろう。できれば今日中にカプワ・ノールに入っておくべきか。
「んじゃ、また時間がある時でいいから呼べよ。お菓子教室はその時だな」
「はい」
「そんじゃリタも、またな」
ぱたぱたと手を振るリタに、小さくお辞儀をするエステル。
少女たちに見送られ、ユーリは歩き出した。
「おお!ユーリではないか!」
金髪三つ編みの海賊帽。これでもかというほど特徴的なその容姿で背後からタックルをかまされ、ユーリはつんのめる。がっしりと腰に回された腕は実は囲い込むには長さが足りず、冷たい手がユーリの腹に触れた。
「つめたっ!やめろパティ!」
「やめないのじゃー。うちの腕はタコの吸盤のようにユーリから離れないのじゃ」
「威張っていうな!本当に冷たいんだよ!」
せめて手を離せとパティの両手を掴むと、今度は逆に掴み返されて前かがみになる。眼前に迫ったパティの顔に思わずぎょっと目を剥いて、離れるべく足に力を入れるが、ぎゅうと頭を抱え込むように頭を抱かれた。不覚にも、抵抗できない。
「…おーい」
「大好きなのじゃ」
「それはどーも」
「ユーリもうちを愛しておるか?」
「はいはい」
苦しいって、と背中を叩けばむうと頬を膨らませたままではあったが、ユーリの頭を離す。その隙に息をついて、ぽんと頭に手を乗せた。紺色の帽子がその拍子にずれ、パティの視界を覆う。
そもそもパティがなぜ突然、エフミドの丘の手前で現れたのか分からないが、この少女に関しては謎が多いので追求しないでおく。
「宝探しの最中なのじゃ!」
と思っていたが、聞かずとも教えてくれた。
「海のロマンの最中じゃが、生きていくためには食料が必要なのじゃ」
「つまり、ハルルまで買い出しに行ってたんだな」
「うむ!ユーリはこんなところで何をしてたのじゃ?」
「俺はダングレストまで行く途中だよ」
「ユーリなら何の問題もないとは思うが、気を付けるのじゃぞ」
わかっておるとは思うがな、と言い残して風のように小さな姿は森の中に消えて行った。あっけにとられるユーリは残されたままの手を眺め、ため息をついた。掌には、砂色の貝殻。
また会おうぞ、と小さく描かれたそれを握りしめた。
澄んだ青空が広がる。海との境界線は薄い霧のようなものではっきりと見えるが、何度見ても息をのむ光景だ。旅は帝都から始まったけれど、このエフミドの丘は旅だけじゃない、全ての始まりなのだと感じる。
崖ぎりぎりに立てば、まるで空気になったかのようだ。息を吸う。肺にたまる潮風の香り。目を瞑れば、世界と溶け合う。
一歩間違えれば生死に関わる場所であるというのに、心は不思議と穏やかだ。目の前に広がる色が、大好きな青と重なるからかもしれない。
「…君は、そんな所に立って海にでも落ちるつもりかい?」
「そう言うなよ。人がせっかく気持ち良い気分だってのに」
「心配させるユーリが悪いよ。僕だって、声をかけるつもりはなかったんだ」
「俺のせいかよ。ったく、勝手言うな」
振り返れば、相変わらずどこぞの王子様のような容姿を蒼いマントで更に精悍にさせている、幼馴染。騎士団長という肩書にも関わらずフットワークの軽いこの男は、今日もまた意外なところでユーリと出くわした。
ユーリの隣に並び、海を見渡す。冬の海は太陽に照らされて、光を反射する水面はまるでフレンそのものだとユーリは思う。
「そういや、初めてだよな。お前と此処に来るの」
「言われてみればそうだったね」
初めてこの丘を訪れた時は、フレンを追っていた。海を知り、世界を知り、空を駆けた。自分より一歩も二歩も前を進んでいた彼を、いつの間にか半歩先で待つようになった。そして今、自分たちは同じ場所に立っている。
「ねえ、ユーリ」
「ん?」
「今の世界を見て、隊長はなんて言うだろう」
「…お前」
「ナイレン・フェドロック、ドン・ホワイトホース、アレクセイ・ディノイア…僕もまた、彼等の様になるんだろうか」
「…そんな大層なモン、追っかける俺の身にもなれよ」
「……」
「気張るな。お前はお前の思う通りにやればいいんだ」
「うん」
「それに、忘れてるぜ?」
「何を?」
「お前の隣に、誰がいるんだよ」
にやりと笑えば、フレンも少しだけ驚いた様にユーリを見て、そして破顔した。
金色と青が混ざって、落ちていく太陽の赤い光に照らされる。柔らかく、優しく、力強い。
「…ああ。僕と君が居れば」
「できないことなんてないだろ」
「間違いないね」
「おう。それに、俺だけじゃないぜ?」
「君からそんな言葉が聞ける日が来るとはね」
「何なら、またうちに来るか?キツい一発がもらえる」
「魅力的な提案だけど、遠慮しておくよ。今日は、ダングレストまで行かなければ行かないからね」
「何だ、目的地一緒かよ」
「一緒に行くかい?」
「冗談。俺はゆっくり後から行くさ」
「残念だな」
「だからお前の残念は、全然残念そうに聞こえない」
そうかな、と苦笑して、フレンは踵を返した。風を纏って歩くその姿に、誇らしい思いが胸を打つ。
ああ、
「…フレン」
「なんだい、ユーリ」
凛とのばされた背筋は、光だ。世界にとっての。
「…またな」
そして、ユーリにとっての。
「ああ」
明星
あらたな夢と未来を追いかけ
しらない何かを探し求めて
ただ君の傍にいられればいい
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テーマは「約束」