※ほぼユーシス中心で成り立っていますが、ユシリン絆MAXが前提です
「特務支援課?」
聞き慣れない名前を反復すると、リィンは頷いてクロスベルタイムズをユーシスに手渡した。
「クロスベル警察特務支援課。内戦が終わってすぐ、俺がクロスベルに派遣された時に会ったのが、ロイドという特務支援課の警察官だったんだ」
渡された紙面を広げれば、そこにはロイド・バニングスの名と同年代を思わせる顔立ちの青年の写真が小さく掲載されていた。クロスベルにおける階級に詳しくないが、捜査官という地位と記述の内容から人気の高い人物であるという事が伺える。
「クロスベル独立まで色々あったけど、彼等が居てくれて良かったと思う。立場上、直接のやり取りはできないのが残念だ。ユーシスにも会ってもらえたらいいのにな」
「…お前がそこまで言う人物なら、少々興味はあるが」
現実的に考えれば無理だろう。
リィンも最初から分かっている事だから、苦笑するに留めて紙面を折り畳む。
紅茶を淹れようか、と明るく言葉が続いて、それに是を返しーー
ーー気がつけば、窓の外は既に夜の闇が広がっていた。
数ヶ月前の夢を見ていたようで、リィンの眩しい笑顔がまだ瞼の裏に焼き付いている。
名残惜しいが、目が覚めてしまえば眼前に広がるのは現実だ。
書類の束は、十数枚を残して目を通した。残りは明日でも問題ないだろうと、立ち上がって軽く肩をほぐす。
仕事前に目を通していた帝国時報がいくつかの書類の下敷きになっていて、息抜きついでに軽く片付けた。取り立てて大きなニュースも無く、国内は比較的安定傾向にあると言って良いだろう。あの宰相の下で安定というのも皮肉だが、共和国との小競り合い除けば内政に乱れは見られない。
リィンが任務だという連絡を寄越してから既に三日が経っている。その間に音沙汰がない事を考えれば、外国に遠征に行っているか厄介な件に巻き込まれているか。どちらにしても、ユーシスには待っている事しかできない。
窓枠に手を添えて、そっと撫でる。リィンが好んで腰掛け、外を眺めている場所だ。横顔が静かに硝子に反射して、他愛も無い会話をする時間はいつだってユーシスの心を穏やかにしてくれた。
「やはり、少し遠いな」
こんな弱音、たとえリィンの前でも吐き出す事は無い。一人だからこそ、考えてしまうだけだ。
共に居る方が短いのに、愛おしく濃い時間は日々を暮らすよりもずっと自分に深く刻まれている。もちろん、民の声を聞き、民の為を優先するのは義務でありユーシスの意思。それとリィンは全く関係ない。いや、切り離して考える事ができるようになったからこそ、自分達は”大人”になったのだろう。
年を越える前にリィンが戻ってくるかは分からない。でも、此処を動く事ができないのだから、ユーシスにできる事は彼の帰りを待つだけ。その居場所を守り続ける事は、自分達が選び取った現状で最大の幸福だと思っている。
「早く帰ってこい、阿呆が」
だから、こうして一人の時に悪態をつくくらい、リィンなら笑って許してくれるだろう。
先程の夢の中の笑顔と執務室で寛ぐ顔が重なった時、不意に記憶を浸食する音が部屋に木霊した。
「ユーシス様、宜しいでしょうか」
アルノーだ。
この時間に執務室に来るのは珍しい。急ぎの書類でもあるのだろうか、と入室を促せば、いつもと変わらない出で立ちで頭を下げた。
「夜分遅くに申し訳ございません。バリアハート空港より急ぎの伝令でございます」
「空港から?いったいなんだと言うのだ」
常に無い事態は、凶事の前触れ。
ざわりと肌を撫でる悪寒と、耳障りな心臓の音。
アルノーの重い口が開くまでとてつもない時間がかかっているように感じられた。
「…リィン様が任務先で負傷なされたと、ルーファス様よりご連絡がありました。既に傷は塞がっているそうですが、絶対安静のためにも此方で預かるように、と」
夢の中のリィンの顔が陰る。
息が止まった事を認識したのは、ほんの数秒の後だ。ぐっと拳を握って、ユーシスは努めて冷静になるように己に言い聞かせた。
やけに早打つ脈動が、煩わしかった。
「無論だ。リィンの部屋を用意させろ。部屋付きのメイドは、お前に任せる」
「承知致しました」
「兄上はいらっしゃっているのか?」
「生憎、警備隊に通信でご連絡頂いたようですので、直接バリアハートに赴いていらっしゃるわけでは」
「兄上と直接連絡を取れるよう手配する。お前は」
「いえ、ユーシス様。どうか、リィン様の御側に」
遮られた言葉に、ユーシスは目を見開いた。
アルノーは、主の言葉に忠実な人間だ。だが、彼はただ機械的な人間ではない。
いつだってユーシスを思いやって、未熟な己を立ててくれる、理想の臣下だ。その彼が、ユーシスに意見するような容態にリィンが陥っていると、暗に告げている。
奥歯を噛み締め、事態の重さに目を閉じた。一瞬だ。再び瞼を開け、ユーシスはリィンの友として彼を案じる一人の青年であることを己に許す事にした。
「兄上と連絡が取れれば、すぐに呼べ」
「畏まりました」
ーーリィン
名を呼べば、彼はすぐに応えてくれるだろうか?
"I am calling your name"
クロスベル空港に、太陽の輝きを受けながら一隻の白い船が降り立った。
客船とも巡遊艦とも異なる、小回りの効くシンプルな造りながら帝国の技術の粋を集めて作られた艦。其処に乗る人物が帝国に置ける有数の参謀であるというのに、実戦を想定して建造された艦でクロスベルを訪れたことに疑問を持つ人間は此処に何人居るだろうか。
帝国の艦の向かい、顔を合わせるように座する共和国の飛行船。比べれば一回り以上大きいそれは、国の力の誇示か将又別の意図があるのか。戦車一つ収まっても可笑しくない程の巨大さに帝国軍人が顔を顰める中、ルーファスは颯爽と艦を下りて、専用車に乗り込んだ。常に貼付けた微笑みはそのままにレクターとリィンを伴っている姿を、クロスベルのマスコミらしき数人が撮ろうと躍起に警察官の間から腕を伸ばしている。
彼等の努力も虚しく、三人を乗せた車はおよそ十分もかからずに庁舎に辿り着いた。
レクターとルーファスが車を降りたのを確認すると、リィンは視線だけでざっと周辺を見渡した。
敵意を持った視線は感じない。テロの危険が減ったとはいえ、ここは帝国領では無いのだから、いつだって要人は狙われる立場にある。
いつでも抜刀できる体勢のまま、ルーファスの後ろに続いた。
「ようこそクロスベルへ、ルーファス・アルバレア様。遠い所をご苦労様です」
「これはエリィ・マグダエル殿。出迎え、感謝致します」
落ち着いた声音に顔を上げれば、見覚えある面立ちの女性はルーファスと握手を交わしていた。
エリィ・マグダエル。クロスベル独立国マグダエル首長の補佐を務める直系の孫。帝国政府の資料上の記述だ。リィンにとって馴染み深いのは、彼女のもう一つの肩書きの方になる。
「本日の警備を担当するクロスベル警察一課、ダドリーです」
「よろしくお願いするよ。なにぶん、最近は物騒な事が多いからね」
何を白々しい事を、とダドリーは思っているだろうなとリィンは心の中でルーファスを睥睨した。物騒な出来事の種を蒔いているのが帝国だけとは言わないが、少なくとも芽が出る寸前まで育てているのはこちらにも非が在るというのに。彼の後ろについているため表情は見えないが、きっとうっすらと笑っているであろうと想像がついた。
そんな中、挨拶を交わす両者よりずっと後方、オルキスタワー入り口付近に目立つ赤毛がこちらを見ていて、そのすぐ側に見知った顔が続いた。
(…ランディさんと、ロイドさんか)
リィンに気付いたのか、二人は鋭く此方を眺めていた視線を僅かに和らげてくれた。ロイドは、久しぶり、と語るように笑みを浮かべている。なるほど、彼等も警備に加わるらしい。
色々あった末に純粋な味方というわけにはいかないけれど、ロイド達の強さを目の当たりにしたリィンは、彼等が信頼を置くに値すると思っている。たとえ何かが起こっても、彼等なら適切に対処してくれるだろう。
できれば、の話かもしれないが。
(あとは何事も無く会談が終わってくれれば問題ない、か)
挨拶を終えたルーファスの後に続くリィンは、一昨日執務室で目の前の人物に告げられた事を思い出した。
リィンとユーシスの時間を奪うつもりはなかった、とわざわざ謝罪されたのは初めてだ。それ故に、クロスベルで何かが起こるのではないかと危惧してしまう。
その何か、が杞憂であればいい。
嫌な予感を振り払うように肚に溜めた息を吐き出した。
エレベーターを上がり、直接会議室へと通された一行を待っていたのは共和国の面々と思しき五人。共和国の国旗を背にこちらに笑みを向けた女性は、確か大統領補佐官のキリカ・ロウランだ。
ひゅう、と口笛を吹く真似をするレクターは嬉しそうだ。何がそんなに嬉しいのかリィンには分からないが、おそらく顔見知りなのだろう。交渉事については右に出る者はいないとルーファスでさえ認めるのだ、どんな人物と繋がりを持っていても可笑しくない。
「初めまして。共和国大統領補佐キリカ・ロウランです。以後、お見知り置きを」
「帝国政府宰相代理、ルーファス・アルバレア。補佐のレクター・アランドールです。既に二人は、旧知の仲と伺っておりますが」
「あら。アランドール『大尉』はそんな事までお話しされていたのね」
「いやぁ、前にクロスベルで絶世の美女に会えたって自慢したもので、ロウラン『女史』?」
含み笑いの応酬の意図は分からずとも、ぴりりとしたやりとりには思わず内心で身震いしてしまいそうだ。
ルーファスとレクターが席につき、リィンは後方で待機する。ルーファスの護衛として会談に臨むのは初めてではないから、帝国軍式の立ち姿にも随分と慣れてきたものだ。
こういった自分の面を、ユーシスに見せた事は無かった。機会が無いのだから当たり前だが、知って欲しいかと問われるとどうだろうかと自問する。彼が仕事をする傍らに、自然とリィンが居るのと同じようには思えないだろう。重ねた年月や、お互いへの配慮、色々な要素が絡み合った末に落ち着いた二人なりの暗黙の了解と関係性があるのだから。
冬空の透き通る青が窓越しにリィンに語りかける。
会いたいだろう、と。
ユーシスの姿を思い浮かべて、心の中で答える。会いたい、今すぐにでも。けれど、今この瞬間この場に居る自分は、決してルーファス以外を優先してはいけないのだ。
彼を護る事が、自分が選んだ選択肢なのだから。
行ってこい、とARCUS越しに背中を押した声に恥じない為にも。
ーー不意に、背を抜けた敵意の渦にリィンは頭上を見上げた。
割れる窓ガラスと降ってくる明かり。
酷い雑音はなにから発せられているのか、リィンは周囲に視線を巡らせて扉付近の警備隊が吹き飛ばされる様相にぎり、と奥歯を噛んだ。
悪いユーシス、やっぱり嫌な予感ほど当たるみたいだ、と扉の向こうから顔を出した銃口を睨みつけた。
*
テロリストの一人の銃口が、ルーファスに向けられた。
その背後にも、横にも。考えられた連携だ。確実に彼を仕留めるために、練られた作戦なのだ。
ルーファスの敵は多い。帝国内部にも、もちろん共和国にも、クロスベルにだって居るだろう。
だがそれ以上に、帝国に、自分にとってーーユーシスにとっても、ルーファスは決して失ってはならない人物。
ルーファスに何かあったら、ユーシスが悲しむ。彼が悲痛に胸を抑える姿を見たくない。強い心を持っている人ではいるけれど、決して傷付かない訳じゃない。むしろ、傷付いても曝け出す事無く内に溜め込んで、一人で痛みを押さえ込んでしまう。彼の性質は昔と変わらず己に厳しいから、余計に。
彼が大切に想う兄を守るのがリィンの役目だ。ここで彼を失ってしまってはいけない。
引き抜かれた太刀は凄まじいまでの覇気を纏って、空間を切り裂くかのような斬撃が彼等に向かって放たれた。
無力化するのではない。人を殺してしまう程の、攻撃が。
運が良いのか悪いのか、反射的に身構えず、狼狽え立ち止まった一人の銃を切り裂いた。その奥の魔獣には斬撃が直撃し、消え去る。
ルーファスの背後から彼を狙った一人は、リィンの早さに驚きの声を漏らして銃口を逸らした。
ルーファスを狙う前に己が倒されてしまうと本能的に悟ったのか、男の口から悲鳴のような叫び声があがって引き金を引く。
でたらめな銃撃が当たる筈も無く、リィンは軽やかに避けた速度のまま相手の懐で薙いだ。
血が舞う。紅く、忌避する色が。
どさり、と身体が地に落ちた時には、もう一人の敵をルーファスが無力化しているところだった。
レクターと戦術リンクを繋いでいるようだから、戦力バランスとしては問題ないだろう。
助太刀が無ければ難しかっただろうが、相変わらず腕が立つとリィンはルーファスの名を呼ぼうとしてーー己に突き付けられた銃口と剣先に足を止めた。
一瞬前まで気配を殺してリィンに近付いてきた。その技量に、驚き目を見張る。
「灰の騎士」
淡々とした声と、首筋から感じる冷めるような殺意。
目の前の敵は、眼前に銃口を据えたまま言葉を続ける。
「貴様が殺した多くの命を覚えているか」
「……」
「貴様も貴様の役割を果たしたのだろう。ならば、それ相応の報いを受けてもらおうか」
引き金に掛かった手が、グリップを握りしめた瞬間、リィンは目にも留まらぬ早さで刀を翻した。
片刃の武器は、速度で切れ味が変わる。音も無く凪いだ攻撃は、それだけ威力が高い。
そしてその攻撃は、的確に敵の腕から力を奪い、首筋の殺意を消し去った。
「ルーファス卿!!」
誰かの声が、叫ぶ。
振り返れば、腕を抑えてうずくまる姿に息が止まった。
護衛も何人も倒れ、クロスベル警察が突入する。
混戦だ。どこまでが敵か味方か、判断が難しくなる。
「ルーファスさん…っ!」
彼を、たすけなければ。
その思考が支配したリィンの身体を、とん、と何かが押した。
同時に、ぽたりと紅い色が身体から染み出ていった。
この色は嫌いだ。
何もかもを自分から奪う、忌々しい色。
紅い色。己の瞳の色。明るい街を染めた絶望の色。クロウから命を奪った色。
まもらなきゃ、と唇が言葉を象って。
リィンはもう一度身体に軽い衝撃を感じ、己が無様に倒れゆくのを感じた。
澄んだ青い空が、まるで焼き付くように瞳を、意識を焦がし、遠退いていく。
ーーユーシス。
名を叫んでも、応えてくれる声は無い。
*
アルバレアの名を冠する屋敷に勤める使用人は、皆優秀だ。
当主の命に従う事はもちろん、長年アルバレアに仕えてくれるアルノーを初めとした古株の執事は、ユーシスが気付かぬ箇所まで細かな気配りをしてくれる。
医師の手配を命じれば、既に専属の医師が到着している事、リィンを部屋に運んだ事を報告された。医師が寝泊まりできる客室も用意したらしく、どうやら、ユーシスがリィンの部屋を指示しなかった場合に備えて客室まで準備をしていたようだ。
まったく頭が上がらない、と苦笑しつつも、ユーシスは己の足が離れへ向けて急いている事を自覚していた。
リィンの容態は聞いていない。良いも悪いも全て自身で判断する為に、あえて何も聞かずにおいた。ただ一言、一命は取り留めています、という言葉だけでも動揺してしまったのだから、尚更。
使用人達が行き交っているはずなのに、音は耳に入ってこなかった。
離れへの道は静寂に包まれていて、不気味な程に鼓動が早まる。
常ならばノックを忘れる事など無いのに、その時のユーシスは扉を開けた意識すら無かった。
「ーーっ!」
やっと辿り着いた部屋の中、医師が付き添うベッドの上で彼は目を閉じて眠っていた。鍛えられたはずの腕は細くて、そっと手を取れば暖かな鼓動が彼を中心に広がっていく。
リィン、と名の音色が静寂に響いた。世界に音が戻っていく。彼の胸が上下する、呼吸の音。夜のバリアハートを微かに彩る列車の汽笛。看護師が布を水に浸してリィンの額に置けば、僅かに彼の手に力が籠る。
「酷い傷ではありましたが、幸い回復アーツが使える人が居たようで大事には至りませんでした」
医師は手にしたカルテを看護師に渡してから、淡々と切り出した。
「ただ、出血が多かった事もあり体力の低下が著しい。意識が戻ってくれればこちらとしても安心なのですが」
「…酷い傷、というのは」
「正面、背中からあわせて二発」
言葉を飾らずに告げられた内容に、リィンの手を強く握りしめる事で込み上げた何かを抑えた。
「一体誰が、そんな事を…!」
「申し訳ありませんが、こちらも守秘義務がありますので。患者に関わる情報は、知る知らずに関わらずお話しする事はできません」
「俺の命令でもか」
「クライアントに、そのように厳命されております」
クライアント。この場合は、帝国政府か、それとも連絡を寄越したルーファス本人か。
どちらにせよ、この件を医者から聞き出すのは難しいようだ。食い下がった所で、診察に支障が出るようなプロ意識の低い真似をするとは思えないが、帝国政府から口止めされているなら寧ろ何も知らない可能性の方が高い。
やはり、ルーファスに直接話を聞かなければと判断し、ユーシスは丁重に礼をした。
医師を客室に案内するように使用人に言いつけベッドサイドの椅子に深く腰掛ければ、夜もすっかり更け朝方に近い時間になっている事実に驚く。カーテンを少しだけ開くと、夜にしては明るい空の色が広がっていた。リィンの髪の色と、似ている。
「…リィン」
静かに眠る彼の傍ら、ユーシスは零れおちるように自分の喉を振るわせてリィンの名を呼んだ。
一度だけではない、二度、三度と。
身じろぎ一つせず深い眠りに身を委ねている姿を見つめていたら、不意に彼の声が聞こえた気がした。ユーシス、と呼ぶ声。それはきっと、最後に電話越しに聞いたものだ。任務が入ってしまって、いつ戻れるか分からないと謝罪された。それに自分は、どう答えたのだったろうか。確か、待っていると、そう伝えたような気がした。
「早く目を覚ませ。俺は気が長い方ではない事など、お前が一番良く知っているだろう…?」
身体中に巻かれているであろう包帯は、ベッドクロスの上からでは分からない。だが、重傷と評された。正面と背後から二発。ヴァリマールに乗っていて負った傷とは考えにくい。なら、ルーファスが連絡を寄越した事を考えても、彼の護衛中何者かに襲われ、庇って負傷した線が濃厚だろう。
明確にどのような任務をリィンが担っているか、ユーシスは詳しく知らない。帝国時報の情報や、兄から齎されるちょっとした雑談、もしくはリィンが口外しても良いと判断した情報のみに留めていた。リィン自身が多くを語れない立場である事を理解し、あえてユーシスはリィンの帰ってくる居場所である事に徹した。彼が安らげる場所が、ユーシスの隣で在るように。
しかしそれは、情報を集める手段が無い事と同義ではない。アルバレアの情報網は帝国でも指折りであり、父のネットワークをさらに広げる手腕がユーシスにはあった。リィンが知らないだけで、彼に関する情報を集めることは、余程の機密で無い限り不可能ではないのだ。
ARCUSを開いて、個人的な連絡先を展開する。久しく会っていない友人達の何人と連絡が取れるだろうか。リィンの身が害されたと知れば黙っていない面々は自分だけではない。皆、己の取り得る手段を惜しむことなく利用して、力を貸してくれることだろう。
ユーシスは、しばし手元を眺めていたが、一つ息をついてARCUSを閉じた。
朝日が昇るまでもう少し。動き出すには早い。
今はただ、右手から伝わるリィンのぬくもりを、もう少しだけ感じていようと目を閉じた。
*
『ちょっとこれ、どういう事なのよ!?』
耳元からやかましく鳴る声に、朝食を終えたユーシスは「朝からやかましいな」と言葉を飾らず冷酷に言い放った。リィンの部屋へと続く廊下で突然着信を告げたARCUSを取れば、開口一番の叫びである。一旦足を止めて、機械越しの甲高い声に溜息をついた。
『やかましいって……ああもう、とにかく今朝の帝国時報、ユーシスも読んだのでしょう?』
「ああ」
『何か知らないの?リィンの容態とか、今どこにいるかとか』
今朝の帝国時報は、ユーシスも目を通した。
クロスベルにて灰の騎士負傷、帝国政府は共和国軍の関与を示唆すると踊る見出しから得られる情報としては、クロスベルで帝国と共和国の間に何らかの外交があり、その機に乗じて何者かが襲撃しリィンが怪我を負った、というくらいだ。大衆向けの情報では、本来の襲撃犯など分かりはしない。
「何故、俺にリィンの事を聞く」
『何故って…そんなのリィンから直接聞いてるからよ。あなたの護衛もやってるってね』
Z組の面子には、本当に隠し事ができないようだ。リィンは言いふらすような性格でもないから、大方アリサが彼に詰め寄って聞き出したのだろう。
それにしても、こちらから連絡を取ろうと思っていたのだから好都合だ。アリサの助けがあれば各自への連絡は彼女に一任できるし、何よりラインフォルトの内部事情を知る人物ならば情報も手に入れ易い。
「アリサ、手は空いているか?」
『手?まあ、仕事はあるけれど最近は落ち着いているから、少しくらいなら』
「ならば、Z組で連絡が取れる面子に声をかけてくれ」
『ちょ、ちょっと!一体どういうことなの!?』
「リィンなら、今バリアハートの屋敷で療養している状況だ」
すぐに返事は無かった。
呆気にとられている様子が目に浮かぶ。絶句している、とはまさにこの事だろう。
構わずユーシスは続けた。
「情報が欲しい。リィンが負傷する程の相手だ。何らかの組織か、手練か、あるいは両方か。何れにしても、俺一人では限界がある」
『ああ、もう!』
がたり、と椅子を蹴る音がアリサの声に被る。
『分かったわ、皆に連絡してみる。それで、今日中の列車でそっちに向かうわ』
「仕事はいいのか」
『リィンのためなら、母様だって無下にしないわよ!優秀な補佐もいるしね』
補佐がシャロンの事を指しているのは明白で、例の組織の存在が次いで疑惑を沸き起こす。それはアリサも思い至っていたのか、シャロンにも一応聞いてみるわ、と流石の頭の早さを伺わせた。
また連絡する、と短く挨拶を交わした後、ユーシスは次に連絡を取る相手を考え、一瞬逡巡する。
こちらから連絡をするなど癪な相手の名前がまず脳裏に浮かんだ事に舌打ちしたい気分だが、現段階で最も情報を得る事ができる立場に居る男だ。何しろ、若くして帝都の政治の中枢に居るのだから。
だがユーシスからではなく、アリサから連絡がいくかもしれない。別にそれを待ったところで問題は無い。無いのだが、個人的に前もって調べておいてもらいたい事象があった。
一人唸ってARCUSを睨みつけ、数十秒。
背に腹は代えられないと通話ボタンを押す寸前、着信を示す音が鳴り響いて反射的に耳に添えた。
『…久しぶりだな』
聞こえてくるのは、苦渋に満ちたと言わんばかりに歯切れの悪い声。なるほど、同じような葛藤を抱いて相手に電話をかけるか否かを判断し、結局折れるのが遅かったのはユーシスの方というわけだ。
なぜだかこの男と対すると、妙な競争心が沸き起こる。こればかりは、長年の付き合いで解消されるものではないだろうし、ちょうど張り合いがある。
お前から連絡とは随分と融通が利くようになったと揶揄すれば、リィンに関することなら不本意でもお前が一番詳しいだろうと返されて、思わず口ごもってしまった。完全に不意打ちの指摘だった。自分達の関係を明らかにした事は無い筈なのに、見透かされているような気がするのがZ組の恐ろしいところだ。
アリサと同じく、リィンがユーシスの屋敷に居る事を教えれば、相手は安堵の声色へと変化した。とりあえず任せる、と告げられて、任せられる事にユーシスは笑みを浮かべる。昔のユーシスならここで、随分と殊勝な事だと皮肉ったであろう。だが代わりに、手にしていた書類を改めて確認し口を開いた。
「マキアス・レーグニッツ。お前に調べてもらいたいことがある」
*
リィンが運び込まれて三日目の夜。
未だ目を覚まさない彼の寝室の隣でユーシスを囲む懐かしい面々は、再会を単純に喜べない事に多少の落胆を抱えつつも、リィンの無事を確認し一旦は安心したようだ。
アリサ、マキアス、エマ。ユーシスを合わせた四人は、それぞれが持ち寄った情報を改めて整理する。
クロスベルでの会談は共和国から打診されたものであり、ここ最近の戦闘で帝国側の有利な状況が続いていた事を踏まえた一時停戦協定の場であった。帝国政府からは当初情報局の人間のみが非公式に赴く予定であったが、共和国側からあえてルーファスを指定してきたようだ。ちなみに、その事実はマキアスが情報局に近しい人物から聞いたらしい。
ユーシスが懸念していた、例の組織との関わりも薄いようだ。シャロンはここ最近組織と連絡を取っていないが、二国間の争いに表立って関わる可能性は低いだろうと言っていたらしい。彼女の方でも情報を集めてくれると、アリサは淡々とした口調の中に頼もしさを含めて微笑んだ。
加えて、ラインフォルトは帝国軍からの受注が増加し武器の生産ラインが拡大。新型ARCUSの実戦配備も急かされており、実質的に軍事力の増強が図られている。
「あえて共和国を焚き付けているようにも見えますね」
「同感だ。おそらく狙いがあるのだろう」
エマの指摘に同意したマキアスは、ふむと腕を組んで何事かを考え始めた。
ユーシスも、思いの外情報収集が困難を極めている事に歯痒さを覚えて舌打ちしたい気分だ。
「正直な話…更に情報を集めるのは、かなり厳しいと思うわ。帝国政府が一切の情報を遮断しているし、ルーファスさんとも連絡が取れていないのでしょう?」
アリサの言葉に、三人は押し黙って互いの顔を見合わせた。
実際、これ以上動き様が無いのが事実であった。
リィンが未だ目を覚まさない状況では、具体的にクロスベルで何があったのかも分からない。帝国政府は情報公開をしておらず、おそらく今後の帝国時報で『クロスベル総督を守って内戦の英雄が負傷』といった賛美の見出しが羅列するのみである事は想像に難くない。
いくら情報局などの軍人のツテがあるとは言え、ユーシス達が願ったからといって全てを明らかにしてくれるわけではない。
「くそっ…せめて兄上と直接話ができれば…」
兄が無事である事は、昼間に帝国政府から直接報告を受けていた。
事件から三日。そろそろリィンの様子を看にバリアハートを訪れてもおかしくはない。
だがそれを待っていては、全てが闇に包まれたまま終わってしまうのではないかという漠然とした予感があった。
マキアスが腕を組み、ラウラもまたどうにか出来ないかと思考を巡らす。
手が浮かばない。そう四人が思い至った時、突如部屋に備え付けの通信端末が起動音を鳴らした。
「な、なんだ!?」
マキアスの驚きの声を背に、アリサが一目散に画面に目を走らせた。
この場に居る誰よりも、アリサが最も情報機器の取り扱いに長けている。それは学生時代よりも顕著であり、更に磨きをかけた今は、到底三人では追いつかないスピードでキーボードを叩いた。
「これ…!」
「何か分かりましたか?」
エマの問いに頷き、驚きを乗せた声が深まった。
「クロスベルからよ…」
「クロスベル、だと?」
「どうして…しかもこれ、アルバレア家のセキュリティを?い潜って…?うそ、どんな処理能力があったらそんな事できるっていうのよ」
アリサが信じられないとキーボードを叩く後ろで、エマとマキアスが顔を見合わせる。
ユーシスは、アリサの隣に立って画面を見下ろした。
「誰からか分かるか?」
「…いいえ、難しいわ。たぶん、正規の通信じゃなくて秘匿回線を使っているから、割り出すのはここでは無理よ」
「兄上からなら、わざわざこのような細工はしないだろう」
「ハッキング、というやつか」
マキアスの指摘にアリサは、ええ、と相槌を打ってどうするかとユーシスを見上げた。
ここはアルバレア家。ユーシスが是というならば、回線を繋いで不審者と相対する事になる。逆も然り。
その判断は、ユーシスにしか下せないのだ。
「…構わん、繋げ」
「分かったわ」
逡巡する間を置いて、可能性に掛ける意思を伝える。
アリサが端末を操作して数秒、ザザ、と通信特有の雑音を経て画面に現れたのは、猫耳のような機械を取り付けた少女だった。
ぎょっと目を張るマキアスと対照的にユーシスは目を細めて映像を見つめる。
少女はほっと安心したように息をついて微笑んだ。
『ロイドさん、繋がりました』
『ああ、ありがとう』
『ひゅーさっすがティオ助。お前さんにかかればどんなセキュリティも突破できんじゃね?』
少女の姿が遠ざかる中、新たに男性二人の声が響いたかと思えば、場所を変わったのか青年が画面に姿を現した。
随分と若そうな風貌だが、年の頃はユーシス達と大きく変わらないだろう。だが精悍な顔つきには年齢に似合わぬ重みがあった。
『自分は、クロスベル警察特務支援課、ロイド・バニングス。突然の通信を失礼する』
「クロスベル警察…?」
「特務支援課…なるほど、お前達が」
聞き覚えのある名称は、学生時代から帝国時報にも掲載されていたもの。そしてリィンからもその存在と縁を持っていると聞いていた。クロスベル独立の影の立役者とも言うべき、志し高い者達の事を。
ロイドが四人の顔を順に見渡し、最後にユーシスを見て少しだけ唇を引き結んだ。その様子に、ユーシスも合点がいく。彼は、自分の事を知っているのだと。
『お前さんが、ユーシス・アルバレアか?』
問うたのは、青年の後ろに居る赤毛の男性の方だった。
映像が荒く容姿まで細かく把握は出来ないが、そこそこ大柄な体格であるのが分かる。
答えの分かった質問をしていると声が語っていて、ユーシスは是を返した。
「よく俺が分かったな。アルバレアの屋敷に何の用だ?この通信も、正規の物では無いらしいな」
『あんたのお兄さんには世話になってたからな』
『ランディさん一言余計です。…警察の通信網を使うと、どうしても帝国政府のネットワークを通りますから…ロイドさん、あまり時間はありませんよ』
『分かってる』
少女の声の後、ロイドは何かディスクのような物を掲げて眼差しを鋭くした。
『これは、先日クロスベルで起こったとある事件の捜査資料だ。犯人の手がかりとなるが、一切帝国政府から公開するなと言われている。それをこれから、そちらに転送する』
「ちょ、ちょっと待って!それっていくらなんでも…!」
『こちらの操作で、そちらの端末に転送され次第追跡されないようにします。そして、そちらが端末にデータを取り込んだ瞬間からコピーだけが残る。足跡は全て隠蔽されます』
まるで呪文のように少女が告げる内容は、おそらくアリサにしか相違なく伝わっていないだろう。
案の定、アリサを除いた三人が目を丸くしている中、一人少女の言葉に食いついて疑問を投げかけた。
「こっちでダウンロードしたら元のデータごと消去するって事でしょう!?こんな短時間で…!」
『時間が限られています。こちらも、正直違反ぎりぎりのところですから』
『こうでもしなければ、この事件は闇に消えてしまいます。俺達では、これ以上の捜査ができない。だから、あなた達に頼みたい』
ロイドは通信越しだというのに、とてもまっすぐとユーシスを見据えた。
『…リィンを助ける事ができなくて、すまなかった』
「……っ!」
『俺達の立場では、見舞いに行く事すらできない。勝手な事だとは分かっているけれど、どうか無事を祈らせてくれ』
声音は真摯だった。心の底から想っているのだと、伝えてきた。
ロイドの懺悔にも似た伏せられた瞼と、下げられた頭。
彼が本当に悔いているのだと、ユーシスは肩を下ろして口を開く。
「…危険な手段だと承知した上での情報提供、感謝する」
『後を頼む事しかできず、すまない』
「十分だ。起きたらあいつにも、伝えておこう」
ロイドは目に見えて双眸を和らげて、ああ、と頷いた。
警察にしては表情がころころ変わるな、と無表情のままのユーシスはアリサにデータの状況を聞く。
後もう少し、との言葉通り、数秒後にデータ受信を知らせるアラーム音が鳴った。
同時に、ぷつりと映像が途切れ展開されたデータフォルダが表示された。
「なんて技術なの…それも一瞬で…」
アリサが呆然と呟くのを尻目に、ユーシスは自ら端末を操作してフォルダの中身をクリックする。
捜査資料にしては簡素な文面は、おそらく抜粋した物なのだろう。一つのフォルダに一つのファイル。厳重にロックされているような印象を受けるが、ファイルを一つ開けるごとにフォルダが消えていった。これがおそらく、元データを消去する、ということらしい。
「彼等はいったい…リィンの知り合いというのは分かったが」
「クロスベル警察特務支援課。お前も聞いた事はあるだろう?」
「もちろんだ。しかし、何故彼等が僕たちの連絡先を知っていたんだ」
「おそらく、リィンが俺の事を話したのだろうな。でなければ、此処に直接秘匿通信を使って連絡してくる事などしないだろう」
マキアスの指摘は根本的な事ではあったが、今は手詰まりの状況で彼等の情報を頼るしか無い。
何しろ警察が、己の捜査資料を外部に漏らしたという事になるのだ。彼等にとっても大きな賭けであったに違いない。
全ては、リィンのために。
その想いを真実と仮定しなければ、到底彼等を信じる事などできはしない。
「画像…が、ある」
不意に、アリサが呟いた。
文字の羅列が多い中、一つのフォルダから表示された画像。
血塗れた床、そこに散乱する幾つかの武器。
この血が誰の物かを特定する事はできないけれど、嫌な考えは振り払って武器の部分を拡大する。
ある程度の解像度で表示された武器に、さっとアリサの顔が青ざめた。
「これ…うちのだわ。この形、生産ラインで見た事あるもの」
エマが驚きに目を見張り、ユーシスは苦渋に顔を顰めた。ラインフォルト社製の武器が、外国や裏ルートで売買されている事は学生時代から目の当たりにしてきた現実だ。頭では理解していても、やはりショックは大きかった。
アリサがいくつかのフォルダを検索する中、押収された武器の一覧が記されたファイルにマキアスが食いついた。
「アリサ…今の資料を見せてくれ!」
「え?ええ…」
画面に拡大すると、マキアスは持参したバッグの中からいくつかの書類を引っ張り出して交互に見比べ始めた。その行動の意味を理解できたのはユーシスだけで、アリサは戸惑いを露わにしつつもマキアスに言われるままに写真ファイルも展開していく。
やがて数分もしないうちにマキアスは書類を机に叩き付け、ユーシスを睨み上げた。
「どうやら君の想像が当たったようだ」
「忌々しいことにな」
どういう事なの、とアリサが問うのにマキアスは小さく息を吐く。
「ここに記された武器…全て帝国解放戦線が所有していた物と同じだ」
「帝国…」
「解放戦線……っ!!」
息を飲む女性二人を見下ろしながら、ユーシスは酷く頭痛がしそうだと目元を押さえた。
マキアスに頼んだ調べ物は、一瞬だけ浮かんだ当たって欲しくない想像に過ぎなかった。
帝国解放戦線。
クロウがかつて所属し、巨大な資金力と軍事力を有していた組織。政治の場、軍事の場、その両方に名の挙がるテロ組織は、決して帝国内部に限って構成員を有しているのではない。宰相によって土地を、国を、家族を奪われた者は国内外に存在する。宰相自身を狙うテロも稀にではあるが起こっているのだ。
ならば、今回もその可能性がありはしないか。
その懸念をマキアスに伝え、可能な限り帝国政府の所持する帝国解放戦線に関わる情報を得るよう頼んだのだ。
「帝国解放戦線は、未だ巨大な組織だ。その一端が関わっていたのだろう。だが、クロスベルの昨今の状況を考えても単独組織がテロを起こすには舞台が派手すぎる。共和国側からも何らかの手引きがあったと考えた方が自然だ」
「共和国側の手引き…」
「灰の騎士への恨み、か」
マキアスが示したのは、皆が思い至った最も悲しい現実だった。誰かが誰かを傷つけ、復讐へ繋がる。その連鎖を自分達はよく知っている筈なのに、断ち切るどころか生み出してしまう。想いよりも血の跡が深く刻まれてしまう。
ユーシスは、隣の部屋で目を覚まさないリィンが抱えざるを得ない業を改めて認識し、苦い気持ちが溢れそうだった。あまりにも深く昏い、終わりの見えない連鎖だ。人一人の決意など簡単に押し流してしまう程の濁流に、リィンは身を投じているのだ。
力を持つ者の義務だと鼓舞するリィンを、ユーシスは止めたいとは思わない。止められるとも思わない。ただ、軽くしてやりたいとは思う。彼が手の届かぬ場所へ行ってしまうことを避ける為にも。
「…いずれにせよ、犯人が分かったようで特定できない。もどかしいが、ここからどう動けるか、という事か」
「それについて、一つ提案があります」
八方塞がりの状況を、エマの声がやぶった。静かでありながら、何かを確信した瞳で三人を見渡す。
「ユーシスさん。バリアハートの地下は、まだ使用されていますか?」
「地下?確か今は封鎖しているはずだ。地下水の定期点検以外は、魔獣が徘徊しないように導力器も設置した」
何か気になる事でもあるのか、と問えば、エマは一つ頷いた。
ゆっくりと瞳を閉じて、ふわりとどこからとも無く風が舞う。魔女の術なのか、エマを起点に波紋のように広がった。
「バリアハートの地下に、複数の気配を感じます。魔獣ではなく、武器を所持した人間です」
「なんですって!?」
「バリアハートの地下というと…地下牢もあったな」
「地下牢の場所なら、この建物のすぐ近くに気配がある筈です。ですが、バリアハート全体に点々と広がっている」
眼鏡の奥の瞳が再度姿を現したとき、風はやんでいた。
だが、三人の心には不穏の波が漂いお互いに顔を見合わせる。
行くべきだろう、とユーシスが言うのに全員が頷いた。
「目的は分からんが、俺の足下で不穏な動きがあるならば見過ごす訳にはいかん」
「そうね。今は夜だから、相手も油断してるかもしれないし」
「案外、ビンゴかもしれないからな」
「クロスベルから最も近い大都市バリアハート、しかもリィンさんが居る公爵邸に繋がる地下に潜伏している。疑うには十分の条件です」
「ふん、頼もしい限りだな」
夜も夜中、しかも深夜に近い。にも関わらず、不敵な笑みを浮かべる仲間がとても頼もしい。ユーシスが珍しく素直に褒めれば、何を今更とアリサが胸を叩いた。
「これでも弓の腕は衰えてないわよ?オーバルアーツだって、しっかり調整済みだわ」
「魔女の修行の成果を披露するにはちょうどいい機会ですから」
「僕の射撃も、もちろん当てにしてくれて構わない。それに何より、」
「リィンに傷を負わせた奴等なら存分に叩きのめす」
四人の声が調和を果たした時、己の得物を携えて久々の戦術リンクを繋ぐ事になった。
薄暗い地下をエマの案内で進んでいく。エマのアーツで相手の動きを鈍らせ、アリサとマキアスの遠距離攻撃で一掃、最後はユーシスのアーツが止めを刺す。連携は学生時代には及ばないものの、何ら隙を見せることはない。
帝国解放戦線と言っても、どうやら幹部とかつて呼ばれていた面々のように特別な力を持った実力者はいないようだ。順調に半ばまで辿り着いた所で、開けた空間に差し掛かった。
軍用犬や手配魔獣と戦ったりと、何かと縁のある場所だ。三度目ともなれば、自ずと身構える。
そしてその勘は当たった。一斉に導力灯から明かりが消え去り、四方から躍り出た数人がユーシス達に襲いかかる。
「遅い!」
マキアスがクラフトを放つのと、ユーシスのプラチナシールドが相手の攻撃をはじき返すのは同時だった。たじろいだテロリストをエマの炎が囲み、アリサのフレアアローが同属性の力を借りて威力を増し降り注ぐ。
たちまち上がる悲鳴をかき消すように、ユーシスのフロストエッジが炎を沈め敵の動きを封じた。
最早実力から言っても敵ではない。
油断からユーシスが戦闘の構えを解いた時、がり、と耳障りな音が真後ろから響いた。
「ユーシス!!」
アリサが叫ぶのと、苦し紛れに暴れだした一人がユーシスに銃を突き付けるのは同時だった。
導力銃ではない、純粋な鉛玉が詰め込まれた銃口がやけにはっきりと見えて、防御の暇も無い無防備な体勢である事に気付いた。撃たれる、と判断するまでの時間がやけに遅い。
何故か、這い上がる死の予感が非現実的であった。
リィンが目を覚ます前に居なくなってしまうのかと、ひどく他人事のように己自身に問いかけていた。
それは駄目だ、と恐れがやっと意識を染めた時。
ーー血飛沫が舞う。地下の薄暗い緑光に、濁った色が混じった。
刹那の攻防は、相手に混乱と恐怖を与える。ユーシス達も、何が起こったのか分からずに呆然と彼を見つめた。
振り払った刀から飛び散る赤が地面に彩りを与えた時、戦いたテロリストがわめいて彼を指差す。
「リ、リィン・シュバルツァー…!!化け物が…ッ」
「あの時確かに心臓を打ち抜いたはずだ!!」
「…残念ながら、俺は生きています。二度目は無い」
紅が風に翻り、その場にいた全員の視線を集めたリィンが鋭敏な動きで逃げようとした残党に刃を向けると、我に返ったユーシスが静止の声をあげて咄嗟にリィンとリンクを繋いだ。
「お前がどうして此処に居るのか問いつめたいが、今はこいつらを懲らしめてやらねばならないようだ」
「ユーシス…」
「説教は俺以外の適任も居るしな。覚悟しておけ」
今はやるぞ、と背中を預ければ、ああ、とリィンが太刀を構える。
気迫に押されたのか、逃げ腰になった残りを追いかけるべくリィンが地を蹴った時、対照的に涼やかな靴音が場を支配した。
「残念ながら君達に逃げ場はないよ」
美しいと評するに値する声が、地下にやけに大きく響く。次いで十人を超える足音が道の尽くを包囲し、言葉通り逃げ場を塞いでいく。似た光景を目にしたことがあるユーシスは、驚き以上にどこかやはりと思う自分に苦い感情が渦巻いた。兄はいったいどこまで、見通しているのだろうと。
姿を現したのはルーファスであった。リィンの近くまで歩く姿は優雅であり、肩に手を置いて立ち止まるとさながら主人と騎士のような錯覚に陥る。
「俺達を捕えたところで、帝国解放戦線は潰えない」
「同志《C》の敵、ここで討たせてもらう!」
最早命すら惜しまぬ特攻に、冷ややかな視線を送っていたルーファスは軽くリィンの肩を押した。クロウを示す呼称に動揺する様子も無く、ぶれない切っ先は捨て身の攻撃をあしらって彼等を地に着かせていく。
リィン、と口の中で呼ぶ名が、渇いた息を生んで消えた。
彼は今、帝国軍の人間としてこの場に立っている。それを否応無くユーシスは実感する。リィンの軍人としての姿を見るのは、初めてで。
こんなにも、こんなにも感情を押し殺した瞳で人を斬る彼が、あまりにも遠い気がした。
呆然とするユーシス達に構う事無く軍が駆けつけ、テロリストは呆気なく拘束されていく。その手際の良さに、何もかもが偶然ではない事実がルーファスを睨み上げる心境に繋がった。
「兄上…どうして、何一つ連絡をくださらなかったのですか」
「ユーシス。まずは、シュバルツァー中尉を匿ってもらった事を感謝しよう。そして私が連絡をしなかった理由だが…既にお前なら分かっているだろう」
「バリアハートの地下に潜むテロリストの一味が、盗聴によりリィンの居場所を特定しないため、とういのは理解できます。それでも、方法は他にもあった筈です」
「弁解はしないさ。私は私のすべき責務を優先し、お前への配慮を怠った事実は、変わらないのだから。それでも…お前なら、きっと悪いようにはならないと勝手に信じている私を、許してはくれないだろうか?」
「…その言い方は卑怯です、兄上…」
リィンが、そっとユーシスの手を握った。交差する瞳には、心配そうにユーシスを見遣る彩り。一瞬の事で、すぐに離されてしまった。それだけの事なのに、彼の温かな手が頑に兄を責めようとする心を解していくのを感じた。
「…もし、地下に気付かなかったらどうしていたのですか」
「もちろん、お前に許可をもらって掃討作戦に踏み切っていた。だが、魔女殿がバリアハートを訪れた時点で、気付かぬ筈は無いと思っていたのだが」
「それは…」
エマは言葉を濁して腕をさすった。魔女という呼び方に、彼女の姉に当たる人物を思い出さずにはいられないのだろう。
「それより、どうしてリィンがここにいるの?」
アリサの疑問は最もであり、ユーシスの隣で一言も発しなかったリィンは己に向けられた全員の視線にたじろいだ。ユーシス達が地下に入ってから数刻経っている。その間に目覚めたとしても、あのように武器を振るう体力がある程生易しい怪我ではないはずなのだ。
「え、えっと…ユーシス達が地下のテロリストを追ったって聞いて…居てもたってもいられなくて…」
言葉の途中で注がれる視線の厳しさを感じ取ったのか、後半はルーファスをちらりと見て引きつった笑みが浮かんだ。
「ルーファスさんに頼んでとりあえずアセラスの薬で回復して追いかけてきた」
「じっとしていろ!!」
「じっとしてて!!」
マキアスとアリサの雷が落ちた。
しゅんと首を竦めるリィンは、本当に無我夢中だったのだろう、怒られる事など分かりきっているだろうに自分の事を他所に仲間を助けようとする気質は昔と何一つ変わらない。
結果的にリィンに助けられる身となったユーシスは、その時ふと彼の首に一筋の汗が流れるのを見た。そもそも病み上がりなのだ、このような場所に長居するわけにはいかない。
ルーファスも承知のようで、拘束したテロリストは軍に任せて一旦領主邸に戻ることとなった。
***
アリサ達は、明日にはそれぞれの日常に戻らなければいけないので、リィンといくつか言葉を交わしてそれぞれの部屋へ戻っていった。とりあえず目が覚めて良かった事、きちんと療養する事、無理無茶は絶対に慎む事、と念入りに約束している様子は苦笑を禁じ得ない。ユーシスよりも遥かにリィンを頷かせる事のできる女性二人がきつく説教をするので、逆に慰めてやろうかという気にもなった。
彼等がリィンに張り付いている間、ユーシスはどうしても確かめておきたいことがあった。既に空港へと向かう車に乗り込まんとする兄を呼び止め、問いかける。
「どうして、リィンが怪我をしたのですか」
夜の空に、二人の金糸が舞う。未だ兄を見上げる身長差が、今はいつもより近く感じられた。
「私を庇ったから、だろうね」
「兄上が遅れをとるような相手であった、と?」
「お前は私を買いかぶり過ぎだ。剣術ならまだしも、総合的な武芸の才では今やお前にも及ばないかもしれないよ」
「ご冗談を」
二人の間の温度が、少しだけ冷えたように震えた。
ルーファスの顔から笑みが消えた時、ユーシスもまた己の勘が事実であるのではないかと告げていた。
「今回の件、共和国側も一枚噛んでいた。リィンを囮に帝国解放戦線と、共和国は軍内部の不穏な一派を炙り出す事が目的だったのではありませんか」
軽く目を見張るルーファスに、言葉を続ける。
「灰の騎士は、囮として十分な効果がある。それは認めます。ですが、あいつの命を蔑ろにするようであれば、たとえ兄上であっても俺は許す事はできません」
きっぱりと、ここまで強く兄に申し出たのは初めてかもしれなかった。それくらいの怒りが己の中にあったのだと、ユーシスは今実感したのだ。リィンの気持ちも意思も理解はしているし尊重するけれど、それとは全く別のところで、腕の中に囲ってしまいたいという欲が在る。彼を害する全てから、彼を護りたいという意思もユーシスの本心なのだ。
ルーファスは、目の前の弟から視線を外し、徐に空を見上げた。夜空には、星が瞬いている。もうすぐ年越しだが、いつもと変わらぬ美しい夜空。
兄が何を考えているのか、ユーシスには分からない。だから、ただ待った。告げる言葉が無いのであれば、それでも良いと思った。
「ーー以前の私なら、くだらない感情だと切り捨てていたかもしれないね」
思い出す過去があるのか、視線は遠いままで。
「だが、今はお前にそう言われる事すら、私は嬉しいと思っている。変な兄だと思うだろう?」
「兄上…?」
「何一つお前と約束する事などできない不甲斐ない私を、責めてくれて構わないよ」
寂し気に瞼を閉じたルーファスは、ユーシスの一方的な子供染みた??責すら負うと言っているのだ。ユーシスは恥じた。兄がリィンを駒のように扱っているのだと思っていたけれど、そうではないのだ。ルーファスも、立場と責務と思惑の中で最善を尽くそうとしている。
大勢の上に立つ、そしてその下にリィンが居るルーファスと、大勢の上に立ちながらそれを支えてくれるリィンが居るユーシスとでは、違っていて当たり前なのだ。
それなのに。
「ーー兄上!!」
飛行船に乗り込もうとするルーファスの背に、ユーシスは声を張り上げた。
「どうか、ご無理をなさないよう。兄上のご来訪をいつでもお待ちしています」
家族なんだから大切なのは当たり前だろう、とかつて微笑んだリィンに、そうだな、と心の底から同意した。
邸に戻れば、既にほとんどの明かりが消されている中、リィンの部屋の明かりだけが点いたままであった。まだ起きているのかと部屋の中を覗けば、窓際に本来なら寝ているべき病人の姿があって思わず溜息をつく。
入るぞ、と声をかければ、数刻ぶりにちゃんとリィンの顔を見たと妙な実感がわいてくる。だがそれと同じくらい腹立たしさも感じて、問答無用のままベッドに引きずり倒した。
まったく、危険に首突っ込むのも大概にしろとユーシスが腕に力を込めると、俺だって好きで巻き込まれているわけじゃないと不貞腐れた顔でリィンが反論した。
未だ包帯を巻かれている状態では説得力に欠けるものの、眉をハの字にして不機嫌に顔を背ける動作があまりにも幼く逆に怒る気が削がれる。
先程の兄との会話が、思いの外精神的に堪えたらしい。リィンが当たり前のように此処に居て、会話をしているという現実が尊いものであると今更ながらに目の奥が熱くなった。
リィン、と此方を向くように促しても、機嫌は直らない。
仕方が無いので立ち上がって、強引に唇を奪いにいく事にする。
ユーシスの顔が突然現れ視界が覆われる。混乱にリィンがユーシス服を掴めば、後頭部に回された手ががっちりと頭を固定して口付けを更に深くする。
息継ぎの間すら惜しむユーシスに、流石に体勢が辛くてドンドンと抗議の音を鳴らす。
すると、流石に怪我人を慮ってかすぐに唇は離された。
「……っ…と、唐突すぎるだろ…!」
「お前が俺を見ないのが悪い」
横暴な理論に反論しかけたリィンの視界を、再度ユーシスの金髪が埋めた。
だが、今度は抱き締められた。強く、離さないと言わんばかりに。
縋り付く動作に、リィンは突き放す事無く抱き締め返した。本当は、ユーシスが何を言いたいのかちゃんと分かっているから。心配をかけた事を謝りたいと、ずっと思っていたから。
「すまない」
「俺より先に死ぬのは許さん」
「うん」
「怪我一つ負うのも許さん」
「うん…それは難しいかもしれないけど」
「地下で人を斬るお前を見て、ひどく遠い存在になってしまったように感じた」
リィンの身体がぴくりと跳ねる。
抱え込むようにユーシスの腕が腰に廻って、お互いの表情は見えないまま心臓の音だけを共有していた。
「兄上の傍に控えるお前を囲って、本当は俺の唯一なんだと公言してしまえればどれほどの幸福だろう。だがそれはもうお前ではない。酷い矛盾だ」
「…お前は、本当に優しいな」
「お前を遠い存在なのだと思ってしまった自分に吐き気がする。お前は、いつだってお前なのに」
そっとリィンの手がユーシスの頬を撫でた。
「軍人としての俺を見せるつもりなんて無かったんだけどな。でも、誓っただろ?俺の帰る場所は、ユーシスの隣なんだ」
「……」
顔を上げて、ユーシスを見上げれば、空色の瞳が薄く光を纏って揺らいでいた。リィンの顔が映るのが見えるくらい近く、心配に彩られたそれ。
「ただいま」
「…おかえり、リィン」
頬に手を添えて、今度はリィンの方から顔を寄せた。頬を擦り寄せ、信頼と愛情を贈りあう。どちらからとも無く、無意識のうちに触れる唇がくすぐったくて、でも心地よくて。
ここに帰って来れて良かった、と心から安堵した。
「ユーシスが俺を呼んでくれている声、ちゃんと届いていたよ」
ありがとう、と一筋の涙が溢れた。
“I can here you calling my name”
結局今回の事件、何がどうなったのだとリィンはユーシスに尋ねる。
ちなみにリィンはルーファス直々に療養のために休暇を言い渡され、アルバレア邸で過ごすこと既に一週間が経過している。やっと包帯がとれたとは言え、まだ運動は禁止、戦闘行為など以ての外。目を覚ましてすぐにユーシス達を追いかけた事が医師の耳に入ってしまい、ルーファス共々苦言を呈されるというなかなか面白い事態になったのだが、それもあってリィンへの監視の目は厳しい。
クロスベルからの通信の事は、ルーファスには伝えない事にした。あの通信のお陰で敵を絞り込めたとは言え、兄には全てお見通しだったのだから、今更あえて秘密を明かす必要もない。
「バリアハートに潜伏していた帝国解放戦線のメンバーは帝国軍に引き渡した。帝都を直接狙った計画もあったみたいだが、そちらも情報局と軍が動いたらしい。共和国の方は、共和国側のテロリストと軍の強硬派を纏めて締め上げるのが目的だったようだ。経緯は知らんが、そちらも片がついたそうだ」
「そっか…俺が怪我して寝ている間に全部終わったんだな」
「そう言えば、一つ忘れていた」
リィンが疑問符を浮かべながら瞬くのを見て、モニタ越しの青年が良かったと笑う姿が浮かんだ。いつか会ってみたい、と思う。リィンも会わせたいと言っていたのだから、ユーシスとしては二人でクロスベル旅行も悪くないだろうかと思案するところだ。
「お前の事を心配していた。助けられなくてごめん、と謝っていたぞ」
「?誰の事だ?」
名を告げれば、驚きに彩られた顔がきっと瞬く間に笑顔になるのだろう。そして自分の為に危険を冒した事を酷く深刻に捉えるに違いない。
世話の焼けることだと思いながら、それすらも愛おしい。
ユーシスは穏やかに笑って応えた。