(リィンとユーシス。出会って初め頃)



「ユーシスさんのお好きなお料理ってなんですか?」

無邪気な質問にユーシスの表情が凍りついて、がたんと椅子を蹴る大きな音が食卓に木霊した。




家族全員で食卓を囲み、今日の出来事を両親に話す。まずはリィン、次にエリゼ。
それはシュバルツァー家にとっての日常で、リィンが家族の一員となってから欠かされたことはない。
エリゼと母は話すのが好きで、話題の中心は専らエリゼと母が一日何をしていたか、だ。麓の学校に通っているリィンと違い、エリゼの話題は大抵バドと何をしたかとか、母と一緒に薬草を摘んだとか、他愛もない事ばかり。でもリィンはそんなエリゼの話を聞くのが好きだったので、いつもしっかりと耳を傾けていた。
だが最近は、そんなシュバルツァー家の食卓にもう一人。あのアルバレア家の嫡男であるユーシスが淡々と四人の話に加わることなく、食事をしている。
もともとユーシスは寡黙だ。と言うか、無駄なことを話さない。リィンと同じ10歳であることは初めて会った時に父から聞いているが、年齢よりも随分と大人びて見える。
男の自分から見ても綺麗な容姿だから、余計に凄みがあってなんだか表情が強張っているように感じられた。
ユーシスがシュバルツァー家に滞在するのは、一ヶ月弱らしい。もう一緒に暮らし始めて四日経つけれど、ユーシスの好きな食べ物とか、本とか、何一つ聞き出せていなかった。
聞けばちゃんと答えてくれるのだろうけれど、特に好きな食べ物の話になるとユーシスはすごく不機嫌になってしまうから、なるべくその話題は避けるようにしていたのだ。

だからやはり、純粋にユーシスの好みを知りたかったのだろうエリゼの質問は、ユーシスにとって怒りに触れるところだったようで。
椅子が大きな音を立てて、エリゼは身をすくめた。
ユーシスは一瞬エリゼを見て、そのまま逃げるように部屋を後にした。
母が驚いて、父が何かを言う前に、リィンは自分が行くと席を立つ。エリゼが泣き出してしまいそうだが、母がきちんとフォローしてくれるだろうし、ユーシスの表情がとても引っ掛かったのでそちらが気になって仕方がなかった。
エリゼを見たユーシスは、ほんのすこしだけ顔を歪ませて、今にも泣き出してしまいそうだった。ユーシスの何かが傷ついて、でもそれを自分達に見せないようにしていた。
理由は分からないけれど、それがとても悲しくて辛いことのような気がして、追いかけなくてはという思いに突き動かされた。

「ユーシス!」

ユーシスに充てがわれた自室に飛び込んだ彼が鍵をかける前に、リィンは強引に扉の間に身を滑り込ませる。ぎし、と扉に挟まれた腕が嫌な音を立て痛みが走る。思わず呻いて、勢いを殺せないまま後ろにつんのめる形で尻餅をつく。
あまりの醜態にユーシスは流石に驚いたらしく、慌てて駆け寄ってきてくれた。

「何をやって…見せてみろ!」

痛すぎて声も出ない。隣で膝をついたユーシスが腕を捲って、赤く腫れた腕が晒される。これは後で痣になりそうだ。

「追いかけてくるならもっと気をつけて追いかけて来い!」
「あはは…」
「まったく…」

先程の食卓での雰囲気はまるで消え去って、呆れたと溜息をつかれてしまった。リィンは怪我をしたのとは別の手で頭を掻いて、ユーシス、と改めて彼の名を呼ぶ。

「さっきのエリゼは…悪気は無かったんだ。怒らないでやってくれ」

懇願するかのような声に、ユーシスは少し逡巡したように目を泳がせて、いつも背を伸ばしている彼とは思えないくらい項垂れた。父に怒られて反省している自分とそっくりだと思った。

「さっきのは俺が悪かった。彼女に非が無いのは分かっている」
「…どうしてそんなに料理の話が嫌いか、教えてもらってもいいか?」

少し躊躇いはしたけれど、素直に聞いてみる事にした。そうでないと、ユーシスの事を何も知らないままだ。
やはりユーシスは言い淀んでいたけれど、根気強く待っていたらぽつりと囁くような感じで話してくれた。

「母上が…作ってくれた料理が好きだった。スープとか、ハーブティーとか、シチューとか」
「……」
「でも、もう食べれない」

続いた言葉は、想像していたよりもずっと重い言葉だった。
指し示す事実は、自分でも分かった。それがユーシスにとって、とてもとても辛い事で、本当は泣きたいくらい俯いている顔を歪ませている事も。
どうしたらいいのか、正直よく分からない。だって自分は本当の両親を知らないから。彼の気持ちをどれくらい分かっているのか、彼の辛さをどれだけ理解できるのかが分からない。
自分が辛い時は、母がいつも先回りして見つけてくれる。泣きそうな時、ぎゅっと抱き締めてくれる。本当の母じゃないけれど、エリゼにするみたいに柔らかく包み込んでくれる。
だから、同じ事をすれば、ユーシスの心が痛いのもちょっとだけ和らぐかもしれない。
ユーシスを両手で抱き締める。二人とも座っていたから、俯いているユーシスの頭を抱え込むような形になってしまったけれど、片方の腕が痛みであまり上がらないからこれが精一杯だ。
ユーシスはちょっと驚いたみたいで、もぞもぞと腕から逃れようとしていたけれど、それが逆にリィンの腕にちくりと痛みを与えてしまって。唸ったリィンの声に、動きをとめて今度はじっとした。

「…ユーシスは、悲しかったんだな」
「…余計な世話だ」
「ごめんな」
「…謝るような、ことでも、ない」

震える声は聞かなかったことにした。
それから、母が自分達を呼びに来てくれるまで、ずっと何も話さなかった。
もちろん、手も離さなかった。



母が暖め直してくれた夕食をユーシスと二人で食べていると、ノックの音と兄様、とか細い声がリィンを呼んだ。
間を置いて入ってきたエリゼの目元が赤いから、おそらく泣いていたんだろう。
ユーシスを怒らせてしまったと、ショックを受けてしまったに違いない。
エリゼは謝らなくてはと思い詰めて、ちゃんと言葉にしにきた。兄として誇るべき、心優しい妹だ。

「ユーシスさん…」

おずおずといった様子で、上目遣いに椅子に座ったユーシスに声をかける。
するとユーシスもエリゼと向き合う形で立ち上がった。

「…あの…ご不快な事を言ってしまってごめんなさい!」

きっちり頭を下げ、また泣き出しそうな大声で謝る姿に、ユーシスはそっと膝に手を置いて屈んだ。
エリゼと目を合わせて、決して幼いからと彼女を見下す事無く。

「先程のは、俺が悪かった。お前はごく自然な質問をしただけだ。だから、謝る必要は無い」
「でも…でも…」
「俺の好物は、スープなんだ」

先程リィンに見せた弱々しさなどまるで感じさせない。
エリゼを思いやってくれている。それがリィンには嬉しかった。

「ハーブを使ったスープだ。あと、紅茶も」

紅茶、と聞いてエリゼの目が輝いた。エリゼも紅茶が好きで、よく母に淹れてもらっている。

「母様が淹れてくださった紅茶が、すごく美味しいんです!ユーシスさんも後で頂きましょう!」
「喜んで」

その時のユーシスは、此処に来て初めて見る笑顔を浮かべていた。
懐かしむような、そう、リィンが初めて父に貰ったベストを見ているときと同じ顔だ。もう小さいから着る事はできないけれど、大事に大事に閉まってあるそれを眺める時と同じ。

「兄様も!」
「ああ、でもまだ夕食が終わっていないから、待っていてくれるか?」
「あっ…ごめんなさい」

とたとたと弾むように扉まで走り去っていったエリゼは、可愛らしく会釈をして部屋を後にした。
赤かったのは目元ではなく、頬になって。
良かった、と安堵するリィンを眺めて、席に戻ったユーシスは食事を再開しようとカトラリーを手に取った。

「…リィン」
「なんだ?」
「母の話をしても良いだろうか」

なんだって聞く。たくさん教えて欲しかった。
でも何より、ユーシスが自分から話してくれるのが、嬉しかった。

「もちろん!」

今日は嬉しい事がたくさんあるな、とリィンは笑った。
ユーシスも、そんなリィンに、目元を和らげた。