※閃の軌跡、バリアハート実習と夏至祭あたりをかなり捏造しています。
※最初はリィン視点、最後はユーシス視点です。













夏至祭のメインイベントとも言える、晩餐会。政治家、軍部、貴族の名だたる面々が集まり、皇帝の御前で忠誠と帝国の繁栄を祝う催しに参加するのは初めてで、リィンは極力目立たないように部屋の隅でノンアルコールカクテルを口にしていた。

貴族とは言え末端、しかも領主である父はおらず、実習で顔を合わせる事になったアルフィン皇女殿下にお願いされて出席している身。招待客と言えば確かにその通りなのだが、如何せん場馴れしていない雰囲気がありありと表れているだろうし、とそっと広間の中央に視線を送った。

遠目からでもその存在感は抜群で、一回りは年上であろう大人たちに混ざりながら何か語らっている金髪の美男子。リィンの位置からは、他の女性が遠巻きに彼を見てひそひそと話をしている姿を捉えることができて、やっぱりそうだよなぁと納得した。
士官学院でも噂されることは多かったが、やはりこのような社交界の場で彼を見ると格の違いがよく分かる。ピンと伸びた背、さらりと揺れる髪、指先にまで行き届いた優雅な動き。洗練された雰囲気を纏って、輪の中心にいる姿。
自分とは正反対の物腰は、素直に格好良いと思う。そしてそれは、取り巻く女性たちも同じだろう。彼に話しかける機会を虎視眈々と狙っている様は、怖すぎて近寄りがたい。
けれど、ふと一瞬だけ逸らされた青い瞳に、違和感を覚えた。

(ユーシス、もしかして疲れてるのか)

彼は、決して話し相手から視線を逸らさない。公爵家の人間として染み付いた癖だと本人は言っていた。
晩餐会が始まってから、既に二時間近く経っているだろう。その間、ユーシスはずっと誰かしらの相手をしているから、集中力は下がるかもしれない。

(助けたいけど…)

何ができるだろうか。あの輪の中心に入り込むのは気が引けるが、それ以外に方法は無さそうだ。
と悩んでいるうちに、奥の方から何やら楽団らしき人々が楽器を持って集まってきた。自然とフロアの中央から人の波が引いていって、ダンスが始まる時間が迫っている事が分かる。

今がチャンスだろうか、と腹を決めて持っていたグラスをカウンターに置いて、新たなグラスを手に取る。
他の女性達がユーシスにアプローチをかける前に、早足で彼のもとへ急いだ。

「ユーシス」

後方から声をかければ、特に驚いた風もなく振り向いて「リィンか」と微笑む。こういう余裕があるところは流石だと思いながら、グラスを差し出した。
飲むか、と問えば、渋い顔をした彼はグラスを受け取る。

「お前が給仕のようなことをせずともいいだろう」

言われて確かに、と苦笑する。
無意識の行動だが、そう思われても仕方ないだろう。

「ダンスも始まるみたいだし、少し休んだらどう?」

提案すると、ユーシスは少しだけ悩むそぶりを見せたあと、そうだなと頷いた。疲れていたと感じたのは間違っていなかったらしい。ほっと安堵してユーシスの顔を見上げたら、彼のグラスを持っていない方の手が差し出された。
確認するまでもなく手を取れという意味だろうが、意図が分からないまま反射的に手を重ねる。
軽く引っ張られるのに連れられて一歩踏み出せば、ユーシスは先程まで話し相手をしていた貴族たちに目を奪われる程の優雅な会釈をした。

「少々失礼させてもらう」

颯爽と踵を返す後ろ姿。心なしか繋いだ手に込められた力が強まった気がした。
ドレスに足をとられないようにしながら後に続けば、遠巻きに見ていた女性たちから微かに悲鳴のような声が届く。口々に何かを囁いている中に、あれは誰だという疑念の眼差しを肌で感じて思わず彼の手を強く握り返した。
さりげなく振り返って、ユーシスは自信をもてと言わんばかりに口の端だけで笑んだ。対照的に、青い瞳は気遣いに満ちていて、荒立っていた心の波が穏やかになっていく。気づけば周りの声は聞こえなくなっていて、魔法にかかったみたいだ。

胸に灯った暖かさに、少しだけ顔が赤くなるのを感じた。





雲間に漏れる月明かりに照らされたバルコニー。
室内から優雅なチェロの音が届き、ちらりと視線を送れば数人の女性と目が合った。
見られてるなぁと居心地の悪さを感じていると、突然視界がカーテンに覆われた。驚いて目を丸くしていると、ユーシスは事も無げに告げる。

「気を使われたんだろう。どうやら、優秀な執事でもいるらしい」
「優秀って…」

こうして招待客に気を配るのが仕事とはいえ、流石に目が届きすぎだろう。そういうものなのだろうかと首を捻っていると、今度はユーシスからじっと見られていてたじろいだ。
青い瞳は真剣だ。

「えっと…ユーシス?どうかしたのか?」
「…いや、すまない。不躾だったな」

問いに返ってきたのは謝罪だった。もしや、この格好のせいだろうか。ひらりと揺れる裾の長いドレスはラウラに選んでもらったもので、剣のセンスだけでなく服のセンスもZ組女性陣のお墨付きで安心していたのだが。

「もしかして、似合わないかな?」
「そんなことはない」

間髪入れずに返された答えは思いの外力が込められていて、そうか良かった、と微笑む。ユーシスに是を貰えれば、少なくともおかしなところは無いだろう。
ユーシスの格好は黒のスーツ。胸元には翠のハンカチが納められていて、勿論の事ながら抜群に似合っている。普通の、何の変哲も無いフォーマルの筈なのに、なぜか彼が着ると他の人とは一線を画している。最早ユーシスだから、という理由だけで万人が納得しそうな勢いだ。少なくともリィンは、それだけで頷ける。

無言が続く中、楽団の音色はカーテンを隔ててこちらにも聞こえてきた。
肩に羽織ったショールが風に揺れて、夏の夜の涼しさが肌を通り過ぎる。
軽やかなダンスが部屋の中で繰り広げられているのだろう、楽しそうな慎ましい笑い声に想像力が掻き立てられ、ユーシスが踊っている姿が浮かんだ。きっとすごく綺麗で、エスコートも完璧。勿論、相手が少女から母親ぐらいの年齢の人までユーシスと踊りたい女性はいるだろうから、曲が終わる度に声をかけられそうだ。

リィンはと言えば、一応ダンスくらいは踊れるとは思うが、何しろ披露した事が無い。こうした社交の場に出る事自体が初めてに近いのだ。とてもじゃないが、部屋の中に戻って一緒に踊ってくださいと誰かを誘う度胸は無かった。
でも、もし踊れるんだったら、ユーシスとーー

「踊ってみたいけどなぁ」

思わず、ぽっと浮かんだ考えが口をつく。声にしていた事に気付いて、ばっとユーシスの方を振り向いた。
やはり聞こえていたらしく、瞠目してリィンを見つめる瞳に慌てて左右に手を振った。

「あ、違っ、ごめんなんでもないから…!」
「何を一人で焦っている…踊りたいなら、中に戻るか」
「だから違って…えっと、踊りたいとかではなくて、なんていうか…」

何と取り繕うかと頭をフル回転させる。あまりこういった言い訳は得意じゃない。ごまかそうとすればそれだけ下手な嘘をついてしまいそうだ。ユーシスに対して不誠実な態度を取るのはためらわれたし、何より彼の表情は雄弁に語っていた。言いたくないなら言わなくていい、と。
その優しさは、時に背中を押して一歩踏み出す勇気をくれる。リィン自身の意思でちゃんと伝えるまで待ってくれている。
だから、それに応えたいという欲が生まれた。

「…ユーシスと踊りたいな…って…思って…」

我ながら囁きに近い声音だ。俯いていたから尚更。けれど、言ってしまってちょっとだけ気持ちがすっきりしたから、ちゃんとユーシスと視線を合わせようと顔を上げた。
ユーシスは、微かに目を見張ってーー口元に手を当てて視線を逸らされてしまった。さっと高揚していた気分が冷める。まさか、不快な思いをさせてしまったのだろうか。伝えるべきではなかった、のだとしたら。

「ご、ごめん。私なんかと踊ったら駄目だな。ユーシスに妙な噂が立っちゃいけないし」

慌てて取り繕った声は震えていた。冷や汗が流れる。先程感じた夏の涼しさは肌を打つ冷水のようで、そこから逃れるように身体を引いた。
せっかく上げた顔は下を向いていった。そうだ、当たり前の事だ。ユーシスはアルバレアの人間で、もう将来の相手が決まっているかもしれなくて。学友に過ぎない自分が踊ってほしいなどと、勘違いも甚だしい。
バルコニーに居る事すらも耐えられなくて、カーテンの向こうに戻ろうと踵を返す。

足を踏み出す前ーー暖かな腕に縫い止められて、肩が跳ねた。
リィンの腕を掴む手から逃れる事はできなくて。背後でユーシスが「すまない」と小さく呟いたのに、息が止まった。
彼の謝罪の意味が分からなくて、無言のまま肩を下ろす。拘束の力は弱まる事無く、密着はより深くなってユーシスは言葉を続ける。

「そういう意味じゃない。勘違いをするな…嫌な思いをさせたなら、すまなかった」

低い彼の声。勘違いをするな、とはどういう意味だろう。ユーシスは、自分と踊りたくないのではないのだろうか。

「リィン」

思考を溶かすような甘い声が、脳内を侵して抵抗の力を根こそぎ奪っていく。
そっと腕が解放された代わりに肩を押される力のまま、ユーシスと相対する。月明かりを背にした彼の金髪は輝いて、逆行になっていても青の瞳は美しい空色をしていた。

「手を」

彼の右手が差し出される。
先程と同じだ。だが、今度は少しだけ勇気が必要だった。
ゆっくりと差し出した手を、恭しく彼は持ち上げる。そのまま膝を折って、手の甲に彼の唇が寄せられた。
一連の流れるような動作に、声も出なかった。止まっていた思考が再び時を刻み始めて、冷えた四肢に暖かさが灯る。

「俺と踊ってくれないか、リィン」
「…っ…本当に…?」
「偽りなど言うわけが無いだろう。お前と、踊りたい」

つん、と鼻の奥が痛んで言葉に詰まった。
請われた内容が信じられなくて、本当にこんなに幸せでいいのかと不安になってしまう。
言葉にならなくて、かろうじて頷く。胸の奥から溢れる想いはどうしても形にならない。頬を伝う暖かさを乱暴に拭おうとすると、ユーシスの手がそれを拒んだ。代わりに彼の胸元を彩っていたハンカチーフが引き抜かれ、目尻に優しく当てられる。

「泣き顔など、お前には似合わない」

いつの間にか立ち上がっていたユーシスの胸に顔を埋めて、必死に涙を止めようとハンカチに押し当てる。
それでも次から次へと零れていくのに追いつけず、ユーシスを困らせてしまっている気がしてぎゅっと目を瞑った。
ふわりと瞼の上を何かが擦って、くすぐったさに目を開く。すると、予想外に近くにユーシスの顔があって、あまりの近距離に驚いて涙が止まってしまった。ふ、と微笑むと眦が下がる彼の顔をこんなに近くで見るのは初めてだ。

柔らかな笑みに心が凪いでいく。
自然と腰に回された手に導かれて、リィンはそっとユーシスに身体を寄せた。

カーテン越しの音色は、優しいワルツの調べに変わっていた。



親愛 と 恋心




「そう言えば、さっきの勘違いって何だったんだ?」

室内から流れる音色が別の曲調へと移り、自然と密着していた身体が離れる。
リィンがことりと首を傾けて聞いてくる内容に、何の事だろうかと先程までの会話を巻き戻した。

大人達に囲まれ、兄がどうであるとか、今度うちの娘と食事をなどと、面倒な頼まれ事に断りを入れるのにうんざりしてきていた時、丁度リィンがこちらに寄ってくるのが見えた。
彼女の誘いに乗ってバルコニーまで辿り着けば、気の利く執事が煩わしい視線からこちらを遮るようにカーテンを閉めてくれたお陰で、やっと一息つけた心地だった。

改めてリィンの格好を見れば、その美しさは月明かりのもと更に際立っていた。
士官学院で日々鍛えているせいか、無駄のない二の腕は柔らかなショールを羽織って、ちらりと合間に見える鎖骨の上に深紫のペンダントが輝く。普段は肩より下に伸ばした髪は結われていて、首筋から肩にかけるラインが晒されているというのは、目のやり場に困った。ドレスは藍色に紫苑のレースが控えめにあしらわれ、すらりとした彼女の体格にとても似合っている。

ここで白状するならば、ユーシスはリィンに好意を抱いていた。
まっすぐにこちらを見据え、人の本質を捉えようとする姿勢は心を揺さぶった。バリアハートで庇われた時、彼女を傲慢と断じながらも怪我を負わせてしまった事に戸惑うくらいの焦りを覚えた。
そう、きっかけはバリアハートでの一件だ。目が冴えてしまい、寝付けずにホテルのロビーに足を運んでみると、寝ている筈のリィンが何故かソファに座って一人外を眺めていた。思わず「なぜここにいる」と怒鳴りつけてしまいそうになるのを抑えて声をかければ、「なんだか眠れなくて」と同じような理由が返ってきた。そうして眠れない者同士、色々な話をしているうちに、ただのクラスメイトだった筈の彼女に生い立ちや父との関係まで吐露していた。彼女には不思議と頑な心を溶かすような優しさがあった。自らに否定的な彼女は、同時に他人に対してだけ大きな包容力を持って接していた。とても歪で、不安定な、優しい人。

その認識が、無意識にリィンを目で追う理由となった。
ガイウスに「ユーシスはリィンの事が好きなのか?」と聞かれたときは、飲んでいたハーブティーでむせてしまう程の衝撃だった。傍から言葉で示されてしまうと、とてもそんな感情を自分が抱いているとは認めたくなくて否定したが、逆にリィンの行動を意識して追ってしまうようになり。

そう。だから、彼女に「踊りたい」と請われた時、頭を支配した感情は愛おしさ。
まさか、綺麗で見蕩れていたから、返事がすぐにできなかったなんて言える筈が無い。こちらがいかに平静でいようとしても、リィンのさりげない動作はいつだって簡単に自分の心を乱す。
リィンに視線を戻した時、青冷めた表情は一瞬で現実をユーシスに突きつけた。いくらユーシスが彼女の事を想っていても、言葉にして伝えた事がないのだから彼女が知っている筈が無い。だから、彼女の性格ならば、ユーシスの行動は拒否と捉えても仕方なく。

「…お前が、相変わらず自己嫌悪に陥って勝手に俺の行動を勘違いしていた、という事だ」
「えっと…ごめん」
「何に対して謝罪している?」

何かと謝罪の言葉が先に出るのは悪い癖だろう。
そう指摘するには、まだお互いの事を知らなすぎるが。

「…まあ構わないが。それより、お前こそ俺で良かったのか?」
「へっ?」
「お前がどう思っているかは知らんが、俺は噂されるならそこらの貴族よりはお前の方がいいからな」

素っ頓狂な声があがったかと思うと、みるみる頬が赤く染まっていく。
こちらの言葉の意味を理解したのか、彼女にしては珍しく聡い。
口を開けたまま何度か瞬きを繰り返し情けないくらいに眉が下がってリィンはドレスを握りしめた。

「私も…ユーシスがいいなら、その、ユーシスとが…」

焦点の絞られていない言葉に、彼女の心の内が混乱している事が手に取るように分かる。
思わず苦笑してしまい、まずはこれくらいが妥当かと一つ息をついた。

戻るか、とリィンを促してカーテンを開けようと手を伸ばす。
だがその手は彼女の手に遮られると同時に、背後から柔らかな暖かさが背を包んだ。

「で、できればもう少しこのままで…」

肩越しに聞こえる声の意味するところは、ユーシスの予想の範囲外だった。
リィンの方からこのように引き止められるとは思っていなかったから、まったく本当に、彼女の言動は簡単にこちらの理性の枷を外そうとするのだ。
ユーシスからの一方的な好意ではなくて、彼女からもそれを返してもらえるなら、それ以上に幸せな事は無い。でも今はまだ、その時ではないだろう。

肯定を返す代わりに、カーテンに伸ばした手を己の横に戻してリィンと手を繋いだ。
先程までの敬う繋ぎ方ではなくて、指と指を絡めて、親愛の意を表して。

リィンが応えて握り返してくれるのを心地よく感じながら、この幸せが永遠に続けば良いと願った。