(4)

惚けたようにこちらを見ているリィンと目が合って、クロウはむくりと体を起こした。窓の外は既に夕暮れ時。どうやら、自室で眠ってしまっていたらしい。

「起きたな。まったく、後で部屋に行くと言った筈なんだけど」

水差しを持って、リィンは隣に腰掛ける。差し出されたコップには水が注がれていて、ありがたく頂戴して喉を潤した。ふうと一息つけば、手にしていたコップを回収され水差しと一緒にテーブルに置かれる。

「で、何か夢でも見てたのか?」
「ん?俺なんか言ってたか?」
「苦しそうだと思ったら、突然目を開くから。起きてるのかと思って呼んだけど、返事は無いし」

心配そうに見つめられるのは居心地が悪い。お前の夢を見てました、とは流石に恥ずかしくて言えそうになかった。

「…覚えてねえな」

当たり障りの無い回答をしておくことにする。リィンもそれ以上追求するつもりは無いのか、そっか、とだけ呟いた。
夢の中で感じた恐怖は、もう微塵も残っていなかった。あんなにも鮮明に見せつけられたにも関わらず、自分にとってそれはもう意味の無い恐怖だと知ってしまった。
自分が作り出した幻想だろうか。こんな優しくて、都合のいい、幻のような夢。

「先延ばしにしたところで、何も変わらねえ」
「…さっきからどうしたんだ、本当に」

怪訝な目で睨むリィンの頭を撫ぜれば、逆に腕を取られた。
両腕を握りしめる手には縋るような必死さがあって、クロウは苦笑する。

「なんか変な事考えてるな、クロウ」
「何も。ただ…夢はもう終わりなだけだ」
「違う、夢なわけが無いだろ!!」

縋る力が強くなる。自分の中のリィンはこんなに弱く脆い。夢の中で儚く笑いながら消えていった姿と、今目の前で必死にクロウを見上げる姿が重なる。
ここで、リィンの背に自分の腕をまわす事が出来たらどれだけの幸福だろう。
それを選ばない自分を理解していても、この後輩を前にすると甘やかしてやりたい気持ちになる。

「クロウはここにいる。俺の目の前に」
「俺はもういない。いてはいけない。それは逃げだ、リィン」
「約束したんだ!絶対に連れて帰る、取り戻すって…」

震える語尾と重なって、ぽとり、と光るものが床に落ち吸い込まれていく。項垂れて、縋っていた手の力が弱まって、こらえきれない嗚咽が静かな部屋に響いた。
ふと、どこからか泣き声が聞こえる。リィンのものではない、もっと幼子の声。紅の制服が、見知った顔が、彼女と一緒に涙を流している。得るものの無い戦いを制し、彼等が在るべき場所へと帰る前に、喪失の痛みを明日への一歩に変えようとしている。

目の前のリィンは、もう居なかった。眠っていた自室ですらなかった。
空虚な白に覆われた世界で、想いの残影でしかない自分は、遠くから彼等を見守っている存在だった。語りかける事もできない。

リィンは仲間と共にその瞳を揺らしながら、全てを堪えて口を閉ざしていた。

例えば、生きてトールズに残る事ができたなら。
例えば、同じ騎神の乗り手として背中を預ける事ができたなら。
例えばーー彼等と共に、明日を歩く事ができたら。

幸福は、そこにあった。
だが、もう、お終いだ。

『前へ、進め』

伝えたい想いは、それだけだった。
きっと、リィンなら乗り越えていける。
立ち止まってもいい、でも進むことを諦めるな。

そう信じて、願ってる。



「なあ、じいさん。俺は負けたけど、実は結構良い人生だったんだと思わねえか?」

そうだな、と頭を撫でてくれる手と、闊達な笑い声は、幼い頃の思い出と変わらなかった。