(3)
目を開くと、蒼く光る空間と蒼の騎神が眼前に片膝をついて座していた。斜め前には、妖艶に笑むヴィータが同じく蒼の騎神を見上げている。懐かしい光景だ。オルディーネとの邂逅は、いつ思い出しても深い感慨と高揚を齎す。
ヴィータは何も喋らない。見上げていた視線をクロウに移して、行きましょうと手を差し出すだけだ。無音の世界は本来なら有り得なくて、ああこれは夢かと目を閉じた。
確か、リィンと一緒にジョルジュの元を訪れて合鍵を受け取った後、来年から導入されるカリキュラムの話をしていた。士官学院にも機甲兵が導入され、クロウはその担当教官となる。帝国を動乱に導いた張本人が教官とは馬鹿らしいと一蹴する事はできなかった。そもそも、クロウに選択肢は無かったのだ。正規軍が帝国の事実上の武力を掌握することとなり、”貴族派”と”革新派”が手を取り合った以上機甲兵の乗り手は戦場において重要な役割を担う。すると、卒業後の進路に軍人を輩出するトールズとしては、これまでの座学で教えてきた戦術だけでなく、機甲兵を早くから乗りこなし戦力となる人材を育成する必要がある。ならば、その適任は誰か。
ナイトハルトが教官として在籍しているならば、彼が最も適任だったであろう。だが、彼は軍へと戻っていった。次に白羽の矢が立つのはリィンかクロウとなる。リィンは在学中で、かつ軍人としての肩書きを仮であっても既に負ってしまた以上、教官は有り得ない。最終的にクロウがその役を引き受け、実際のカリキュラムを練る必要がでてきたのだ。
リィンは、とても安堵したようだった。卒業して全く会えなくなってしまったら悲しいし、クロウなら一人でどこかに行ってしまいそうだったから、と。確かに、それは考えた。自分は、リィンにとって一番の足枷となる。足枷となってしまうくらい、危うい執着をもたれている。卒業した自分はトワ達のようにトールズを離れ、リィンはZ組という場所で切磋琢磨し健全な関係を築くべきだと。だがユーシスやエマのように、内戦はZ組が全員で卒業するという機会を奪ってしまった。彼等が揃って謳歌すべき青春は、夢となってしまった。
その事に、罪悪感と後悔とが渦巻き、トールズに残る事を決めた。せめてリィン達が卒業するまでは傍に居て、できる事があるならば手伝いをしよう。機甲兵という流れを生んでしまった以上、トールズの卒業生が生き残れる可能性を最大まで高めよう。それは、宰相やルーファスの駒である事を承知して選んだ、クロウの道だった。足枷になるなら、逆にそれを利用して、リィンを絶対に彼等の色に染めてしまわないように。
再び目を開けると、ヴィータはもう居なかった。オルディーネも姿を消していて、空虚な空間が目の前に広がっているだけだ。どうやら夢から覚めた訳ではないらしい。
さっさと覚醒してしまいたいと思いながらぼんやりしていると、どこからか名を呼ばれた。
『クロウ』
それは聞き覚えの無い声だった。振り返ってみても、誰もいない。
いったいなんなんだと頭を掻いて、もう一度正面に視線をやれば、今度はあの巨大な扉がそびえ立っていた。オルディスの地下や、旧校舎の最下層にあったものと同じ。その前に、リィンが立っている。
夢に彼が出てきたのは初めてで、仄かに細められた薄紫の瞳がこちらを見下ろしていた。
『クロウ』
手が差し出される。握り返すにはだいぶ遠いので、ポケットに手を入れて「なんだ」と問うた。リィンは何も返さない。手は差し出したまま、もう一度クロウの名を呼び、静かに佇んでいる。
彼の手を取れば夢は覚めるだろうか。
握り返すために、一歩踏み出した。
ーー突然轟音が響き渡り、リィンの背後の扉が開かれる。這い出す暗闇が彼の背を覆い、飲み込むかのようにその手を伸ばした。
「……っ!」
反射的に駆け出して、差し出されたままのリィンの手に己の手を伸ばした。
あの闇がリィンを喰らう、その恐怖が一気に思考を埋め尽くし、決して遠くはない筈の距離が果てしなく長く感じられる。
闇は一瞬にして二人を包んだ。クロウの視界も真っ暗になる。だが、リィンだけは見えた。手を掴まなくては。彼を自分の腕の中に閉じ込めて、この闇から守らなくては。
限界まで張り上げた声で、名を叫ぶ。足下から彼の体を這い上がる闇はやがて胸元まで到達し、伸ばされていた筈の手がぱたりと力なく下ろされた。
なぜだ、なぜ届かないと焦りが支配する。なんで諦めたように笑う。良かったと言わんばかりに目を閉じるんだ。自分を生かし、引き止め、共に在る事を望んだ筈なのに。
これは夢だと分かっていても、クロウが感じているのはまぎれも無い喪失への恐怖だった。
リィンが闇に飲み込まれる。
届かなかった手が、空を掴む。
そのまま膝を付き、呆然と両腕を眺めた。
『クロウ』
ああ、誰かが泣いている。
どうして、と自問自答しながら、喪失の痛みに震えている。
(悪い、そっちには行けないんだ。)
空を見上げた。透明な蒼が広がっていて、それは士官学院の屋上から見上げる空と同じ色をしていた。
気付けば、制服を纏っていた。平民を意味する、緑の制服。作り上げられた経歴の中で、唯一クロウの真実となった身分。
(そうか、俺はもういないのか。)
良かった、となぜか溢れる想いはそう言葉になって、音にならずに夢に溶けた。