※※クロウが生きて士官学院に戻っていたら、どんな世界が待っていただろうかと思いながら書きました
※※話の帰結は、「クロウが死んでしまった世界が正しい流れ」です。



(1)

3月15日、卒業式を控えたトリスタは、どこか浮き足だったような陽気さと毎年恒例の少し物悲しい雰囲気に彩られていた。卒業生達は皆、各々の進路について語り合ったり、離れていても変わらない友情を誓ったりと大忙しだ。
昨年はどうだっただろうかと、クロウは咲き始めのライノの花を見上げながら思い起こす。確か、トワやジョルジョ、アンゼリカと過ごした特別クラスが解散し、新しくZ組などという試みに巻き込まれることになった新入生の名簿を眺めていた。
卒業する先輩よりも、新入生に興味があった気がする。災難だな、とか思う反面、なんとなく居心地の良かったクラスと非日常的なカリキュラムも終了かと少しだけ残念に思っていた。しかしそれ以上に、残り一年を切ったのだと、暗い喜びがあった。鉄血の心臓に穴を開ける日を数えて来た日々も、あと一年もせずに終わりを迎えるのだと。
これはゲームだと、言い聞かせていた。空を駆ける白の戦艦の中でリィンに語ったように。故郷を見放し、有志を集めた自分が、大きな博打をうつのだ。鉄血という時代の産物が勝つか、ひっそりと時代の隅に取り残された芽が勝つか。立つ場所が違えば正義は悪となり、悪は塵となるという大義名分を掲げ。
その過程で多くの人が死に、犠牲を生み、家族を亡くし、愛する人を失ったとしても、成し遂げると決めた。あまりにも身勝手で、いくら糾弾されても拭えない罪で、テロという行為が悪であったとしても。
士官学院に入学しても、志は同じだった。鉄血を撃つ隠れ蓑に選んだ学生という身分。社会的に保護され、疑われにくく、水面下で行動しても気付かれるリスクが低いという利点は、他のメンバーとの繋がりを把握されずに行動するために必要だった。スポンサーであるカイエン公の情報操作で偽の身分を手に入れて入学を果たしても、不真面目な生徒を演出して勝手に帝都へ出掛けては下見を繰り返し、友人を作って当たり前の学生生活に馴染んでみたり、どうやって疑われない自分を作り上げるか考えた。
そうやって一年を過ごしていく中、鉄血を討ち果たした先の事を想うようになった。鉄血が死んだら、全て終わりだと勘違いしていた。もしその先も生きるなら、いったい自分はどのような道を行くのだろうか。おそらく鉄血が殺害されれば、帝国は混乱する。もう用は無いと見捨ててどこか別の国に渡るか。それとも、ヴィータが所属するという組織に身を置くか。少なくとも、まともな道は残されていないはずだと決めつけたーー彼等に、会うまでは。

出会いは、まるでどこかの陳腐な小説なようだった。
自分の半分程の背丈しかない、あまりにも小さな女の子。前が見えなくなる程積み上げた書類を抱えて歩いていたらしく、廊下の曲がり角で出会い頭にぶつかって散乱する紙。さすがに驚いて少女が紙を集めるのを手伝っていると、後方から降ってきた「トワ、大丈夫かい?」というやたらとハスキーな女声。確かログナー侯爵の娘で、名前はアンゼリカ。どうやら先程ぶつかった少女はトワというらしい。そう言えば、クラスの誰かが、相当優秀な一年生がいるだがすごく小さくて同じ年とは思えないと話していたが、この子の事だろうか。
せっせと書類を束ねているトワに自分が集めた十数枚を渡すと、申し訳なさそうに「ありがとう、ぶつかっちゃってごめんね」と謝罪されたので、こちらも悪かったと返す。前方不注意だったこの男が悪いのだからトワが気にする事じゃないよ、となぜかアンゼリカのフォローが入る。なんなんだこの女と思わず胡乱に見据えてしまったところを、慌てて更にフォローするトワがまるで漫才のようだ。
その時は、名乗らなかった。日常にある平凡な一幕で、彼女達とそれ以上の縁が続くと思っていなかったから。だが、運命とやらはどこに繋がっているか分からないらしく、その数日後に学院長直々に呼び出された先で待っていたのは、彼女達と、太りすぎて大丈夫かと言いたくなる人の良さそうな男。
トワ・ハーシェル、アンゼリカ・ログナー、ジョルジュ・ノーム。実習とARCUSのリンクを通じて、クロウが、初めて”守りたい”と願った大事な友人達が、戦乱に巻き込まれてもその先を生きられるように、この力を使おう。そう決意した。
そしてーー

「お、クロウじゃないか。どうしたんだこんな所で」

ライノの花を見上げながら物思いに更けていたところ、かけられた声は文武両道を地でいく同級生のクレインのものだ。肩を竦めて制服のポケットに手を入れた。

「ジョルジュに呼び出されたんだよ。あの技術棟の裏に出来たやつの合鍵、渡すってさ」
「ああ…確か、機甲兵が収容されるんだったか。カリキュラムも様変わりするな」
「そういうお前も、卒業後は正規軍だろ?機甲兵部隊への配属だって有り得るだろ」
「まあな。クロスベル方面の戦闘は先が見えないし、西部は内戦が終結したとは言えない情勢だ。どちらにしても、数ヶ月後には前線の可能性が高いだろう」

至極当たり前な事を告げられているだけなのに、心が痛んだ。そんな資格すら無いとは分かっていても、鈍い痛みはじわりと体全体に広がって、ここにいる事への反発が生まれる。

「ま、それでも正規軍に入る事を決めたのは俺の意思だ。お前がそんな顔をするような事じゃないさ」

ぽん、と肩を叩かれて、引き止めて悪かったなとすれ違い様に告げられた。
どうやら心配されるような顔をしていたらしい。
クレインもそうだが、トリスタの人々は、クロウが何をしてきたのかを知っていながら、今までと変わらずに接してくる。お帰り、と言ってくれる。

ー待っていたよ。
ーお前が居なかったら張り合いが無いだろう。
ーレースの結果、ちゃんとメモってるからな。
ーお前と酒飲みながらレースを予想するの楽しみにしてたんだ。
ーブレード、本気のクロウと戦うために毎日やってたんだから。

それが辛くて、信じられなくて、嬉しい自分が醜くて。ありがとうすら言えない。言うべきじゃない。そんな事をしたら、今まで散っていった命は。自分が散らした命は。

『ほら、クロウ』

項垂れる自分の背を押して、リィンは笑った。その後ろで、裏切ったはずで罵られてもおかしくないZ組の面々が、トワやアンやジョルジュが、同じように笑う。

『おかえり』

涙を溜めたトワが頷く。トリスタの人たちの顔がまともに見れなくて、ただいまと言う事もできなくて、くしゃりとリィンの頭を撫ぜた。そうしていると、トワに抱きつかれ、同級生達に囲まれ、顔馴染みに叩かれ、もみくちゃにされて。
帰ってきて良かったのだろうか、という漠然とした不安がその時だけは消えて、優しすぎる現実に身を浸していたくなった。

復讐のためだけに生きてきたようなものだ。
士官学院の生活は全てかりそめ。そこで得た物を捨ててでも、やり遂げるべきは鉄血を撃つ事。
だが、捨てると思っている時点で、自分にとって学生であった事は大きな意味を持っていた。
守りたい友人ができた。
背中を押してやりたい後輩ができた。
笑いあえる仲間ができた。

だから、今だけ、今だけは、帰ってこれて嬉しかったと思える自分を受け入れよう。
トワ達と卒業させると言って聞かなかったリィンの想いを、受け止めよう。

そう決断して、本当にそれでいいのかと自問自答しながら、既に三ヶ月近くが経過した。
その間にも、クロスベルでの戦闘や西部の混乱は収まる事は無く、飼い殺しのような形でトールズにとどまっている。
クレインの言葉を反芻すると、苦いものが口に広がって思わず眉をしかめた。

クロスベル方面の戦闘。つい数日前まで、リィンが身を置いていた戦場。あのお人好しが、灰の騎神と共に共和国軍を退け、クロスベル臨時武官という似合わない肩書きを背負い、立っていた場所。忌々しくて舌打ちしたくなる。
鉄血宰相が生きていた事は、最早それ以上でも以下でもない。自分は暗殺に失敗した。ゲームに負けたのだ。敗北者は敗北者らしい末路を望んでいた。だがあの男が、敗北者が満足するような結末を用意しているわけが無く、用済みの自分を最大限に利用して、リィンと灰の騎神を自らの陣営に取り込んだ。

『リィンは、クロウを取り戻せるならいいと言っていた』

フィーは、何の感情も無く、淡々と言った。その後ろで、ユーシスも言葉を飾らずに告げる。

『あの阿呆が何を優先するかなど、分かりきったことだ』

微かな苛立ちを含む声は、リィンがクロスベルに派遣される事を止められなかった事を悔いているのだろう。リィンと、おそらく情報局との間で何らかの取引があった。瀕死の重傷を負った自分を助け、戦犯とさせない何らかの取引。そしてその条件は、想像に難くない。クロウをわざわざ生かしておくに足りる条件。
リィンと騎神を内戦終結の象徴として、貴族派と革新派双方にとって有益な存在とする事だ。

あの宰相が考えそうな事だ、と呟けば、予想外にもユーシスの顔が曇ったので、何かあったのかと訪ねた。逡巡した様子を見せ、意を決したようにユーシスは自分を見据える。

『宰相ではない。兄上…ルーファス・アルバレアが手を回していたんだ』

その時のユーシスの顔は、一生忘れられない。裏切られた子供が路頭に迷い込んだような、信じていたものを信じられなくなったような。クロウ自身も経験した事のある、孤独感だった。
同時に、己の耳を疑った、ルーファス・アルバレアと言えば、貴族連合で何度も顔を合わせている。彼は正しく貴族であり、貴族連合の勝利のために動いていた。だが、考えてみればおかしな事は多々あったのだ。紅き翼と正規軍の連携を促すように、次々と革新派に奪われていく中心都市。実父の暴走を先手を打たずに放置し、あえてリィン達を焚き付けた。全て、貴族連合の不利となる事柄にも関わらず。あそこまで先を見通す事に長けた人間が、そんな安易なミスを犯すだろうか。それが実は、貴族連合内の白黒をはっきりさせるために動いていたのだとしたら。自らにとって都合のいい、もしくは内戦後でも”使える”人間を残しているだけだとしたら。ぞっと這い上がる悪寒に、リィンを連れ戻さなければと立ち上がる。
フィーは首を横に振り、扉の前に立ちはだかった。

『気持ちは分かる。でも、我慢して』
『っお前ら、あいつが心配じゃないのかよ!?』
『貴様が先走ってリィンを連れ戻せば、立場が悪化する。俺達は、無事に戻ってくることを信じるしか無いだろうが』
『そんなーーっ』
『私達は、リィンが大事』

唐突に、フィーは告げた。肩を怒らせるクロウとは対照的に、静かでまっすぐな背筋。
その声は淡々と感情が籠っていないものではなく、真己に忠実な心を乗せていた。

『同じくらい、クロウの事も大事だと思ってる。Z組のみんなも、先輩も、教官も』

だから、と首を傾げて。

『リィンを迎えに行くなら、みんな一緒だよ』

抜け駆けは許さない、ときつく睨みつけられて。乾いた笑いを漏らし、くしゃりと前髪を掻く。
本当にこの後輩達は、どうしようもない自分にここまで心を砕いてくれる。

こんなの、降参するしかないだろうが。