約一か月ぶりとなるバリアハートに降り立ち、ユーシスはアルバレア侯爵邸に足を踏み入れた。
父の処遇は皇帝に依るところとなり、ルーファスは内戦終結後帰ってきていないという。

ならば、自分に課せられた使命は一つだけだ。

「アルノー、クロイツェン州全土の様子を調査し報告しろ。そして、領民および他州の各領主に伝令を出せ」

ユーシスは元は父の居場所であって、兄が継ぐはずであった席に座り、片手を挙げた。

「今後はこのユーシス・アルバレアが、領主代行として領地および領邦軍を治める」
「直ちに」

アルノーは父の時と同じく、深々と礼をして部屋を出て行った。
机の上に広げられた書類の山は、決済や指示を待つものばかり。
アルバレアという名が、今のユーシスにとっては唯一の後ろ盾だ。
貴族という身分が無くなるであろう近い将来、自分に課せられたもっとも重い役目は、おそらく強硬派と渡り合う事。
兄ならば――と何度思う事があるだろうか。
だが、立ち止まるわけにはいかない。自らが歩むべき道を定めた今、それをひたすらに突き進んで行く事が、あの迷惑だが暖かい先輩の最期の言葉なのだ。

「……」

しばらく無言のまま部屋を眺めていると、コンコンと等間隔で部屋の扉が鳴らされた。

「ユーシス様、お客様でございます」
「どなただろうか」
「…ルーファス様にございます」

一瞬の間に珍しいなと思った瞬間、ありえないと思っていた名前に目を見張る。
開かれた扉の先、見慣れない白い礼服に身を包んだその人は、変わらぬ笑みを湛えて優雅な仕草でユーシスの眼前へと姿を現す。

喉が渇いて、張り付いたかのように声が出せない。

「ふふ…そなたの驚いた顔というのも久々だな。我が親愛なる弟よ」
「あ、兄上…」
「壮健そうで何よりだ。此度は、領主代行の御祝いに訪れた次第だよ。パーティの一つでも開きたいところだが、生憎私も忙しい身でね。今回は勘弁してくれたまえ」

飄々としているとも思える言動は、ユーシスの知る兄と寸分違わない。
それなのに、その姿に違和感を覚えるという事態が、ユーシスにとっては衝撃であった。

「何故、私が領主代行の事をこんなに早く知ったかという事に驚いているかな?それは簡単だ。ある程度予想していたから、お前が帰るならばいつだろうかと考え、見事的中したわけだ」

それとも、と笑みに微かな暗さが覗く。

「『彼』の事について、かな?」
「ッ…!リィンは」

思わずその名を口に出していた。
溢れる激情に押し流され、問答無用で詰め寄りたくなる衝動を、かろうじて堪える。
そんな弟の姿に満足そうに目を伏せて。

「彼は今、クロスベルへと向かっている途中だ。むろん私も今日中には現地入りをするが、可愛い弟の姿を一目見ておこうかと思ってね」
「では…やはり、本当なのですね」

確認するかのように呟いて、ユーシスは腹の底に力を入れる。
この兄と対等に渡り合うためには、生半可な精神力ではいけない。

「私は、私のすべきことを為します。リィンに会う事があれば、伝えてください。『皆、お前の帰りを待っている』と」

その言葉に、ルーファスは軽く驚いたように笑みが消えた。
弟の顔をまじまじと見つめ、ふむと頷く。

「分かった。伝えておこう。しかし…会わせてくれ、などと言われるかと思っていたが」
「そうしたいのは山々ですが、兄上はそれを許さないでしょう?」

今のリィンがどのような状況かは分からないが、少なくともクロスベル同行がリィンの意思によるものならば、不確定要素であるユーシスとの邂逅を許すわけはない。
その読みはどうやら当たっていたようで、完璧な兄に一泡吹かせた事を誇ってもいいかもしれないとユーシスは笑んだ。

「なるほど。私の想像以上に、お前は成長していたらしい。ならば、これは渡すつもりが無かったものだが、サービスだ」

ひらり、と紙を一枚手渡して、ルーファスは去り際に言い残す。

「彼の心は、一度だってお前の事を忘れたことは無いようだ」


受けとった紙に書かれた一文を目にし、ユーシスは机に拳を叩きつけた。

その音に目を細め、ルーファスは己があるべき場所へと戻っていくのだった。





(俺なりの貴族の義務は、きっと力を持ってしまったことへの責任なんだ)