chapter 2One day that I saw you

 いつもはしっとりと肌を包む海風が今日ばかりはひどく不快で、何度目になるか数えるのも億劫になった溜息をつく。
 高台に位置する家の、最上階の窓から眼下に広がる街。裾を広げたように家々が連なり、その向こうは端から端まで美しい水面が空の青を反射している。
 竜宮島、という名前がついたこの島で一騎は生まれ、育ち、二十年間を過ごして来た。
 父は島の領主で、本土でも名の知られた家柄。代々領主を務めるのは、本土の政府から任命された者だ。父、史彦も一時は政府の人間であったものの、島に移り住んでからは領主として、そして趣味人として親しまれてきた。
 母はとても闊達で明るく、父が領民と打ち解けられたのは母のお陰だと語る。母のことを話す時の父は、嬉しさと寂しさを混ぜた微笑みを浮かべていつもより少しだけ饒舌だ。
 一騎が物心つく前に、母は亡くなっている。紅音、という名前の通り、夕日を背に海の歌を歌う船乗りだった。世界の海を渡るほど行動力の塊だった母だが、父と恋に落ちこの竜宮島で暮らすことを選んだ。そして一騎が生まれてすぐ、病に倒れてしまった。
 父は母がいなくなってしまったことを深く嘆いて、仕事に打ち込むようになった。それでも父なりに一騎を愛してくれて、領主の娘としての責務を一騎に負わせることはなかった。
 自分の信じる道を進みなさい、が父の口癖で、口下手ではあったけれど遠くから見守る人だと理解したのは最近のことだ。
 そんな父に、恩返しをしたいと思うのは当然のこと。
 一騎が二十歳の誕生日を迎えて二ヶ月経った頃、父の書斎に呼び出されて開口一番に「すまない」と告げられた。悔恨の表情と、本土からの手紙と分かる印籠、そして自分の年齢から、漠然と「ああついにこの時が来たのかな」と悲しさよりも諦めが勝った。
 泣きそうな顔で頭を下げた父の願いに、否を返すことなどできなかった。
 父がいくら一騎を大切にしても、権力者の娘、しかも見目が美人と謳われた紅音にそっくりである一騎を、自分の息子の嫁にと考える輩は多い。それも、島の利益や父の立場からして、断れないような縁談を寄越してくるのだ。
 きっとこれまでもたくさん話はあっただろうに、ついに決断せざるを得ない時がきたのだろう。父を責めるつもりはなかった。
「すまない、一騎。本当に、すまない」
「父さん、そんな謝るなよ」
「お前を守ると紅音に誓ったにも関わらず、こんな形で送り出さなければならないなんて」
 謝罪を重ねる父にかける言葉が見つからないままでいると、フットマンが来訪者の存在を伝えた。応接間で待っていたのは、通っていた学校の友人だ。
 ジョナサン・ミツヒロ・バートランド。彼もまた本土では名家の連なりであり、一時は一騎との婚約も囁かれていたものの、今回の件が浮上してからは逆に疎遠となっていた。
「ジョナサン!」
「一騎、お久しぶりです」
 柔和な笑みは彼の優し気な風貌を際立たせ、困り果てていた気分が少しだけ落ち着く。
 ジョナサンは手ぶらで訪れたことをまずは謝り、次いで婚約の祝いと本土でも息災であるようにと相変わらずの紳士的な態度で一騎を労った。
「あなたがこの島を離れてしまうのは寂しい」
「俺も、お前やアイと会えなくなるのは悲しいよ。でも、一年に一回くらいはちゃんと島に帰るつもりだし、それくらいは許されるだろうから」
「その程度も許さないような心の狭い男に、あなたを渡すことはしたくないな」
「はは、ありがと」
 冗談ではありませんよ、と咎めの色を帯びた口調で返されるのに苦笑する。
 良くも悪くも真面目な友人は、アイという婚約者がいるにも関わらず一騎を好いていると公言しているのだ。もちろんアイに不満があるのではなく(むしろこちらが妬けるくらいに相思相愛なのだが)、単純に一騎の身を案じている延長線上の感情だ。年下の弟みたいに可愛がってきたからこそ、ありがたくもあり、同時に苦しくもある。
 口元を引き締めたジョナサンは、不意に一騎の胸元に下がるペンダントを掬った。
「まだ待っているんですか?」
「っ……」
「すみません、ただあなたのことが心配で」
「……未練がましいってことはわかってる」
「大切な人だということは、よく知っています。だからこそ、あなたが後悔しないことを、俺は願っているんです」
「後悔……か」
 例えばあの時彼に出会わなければ。例えば彼の話があんなにも一騎の心を鷲掴みにしなければ。
 今の気持ちが後悔なら、確かに時間を巻き戻してしまえれば最良なのかもしれない。この結婚をもっと喜ぶことができていたのかもしれない。
 だが、心に刻まれた約束はもう一騎の中に根付いて簡単には無かったことになどできず、こんなにも世界を色褪せて見せる。
「後悔は、無いよ。残念ではあるけど」
 それが嘘だと、わかっていた。
 気持ちを偽っても、正直でいても、一騎が島を離れ誰かの子供を産み、その家に縛られることになるのは変わらない。
 だから、せめて周囲には心配をかけずに行こうと思った。
「あの人と出会えたことも、外の世界を旅する夢を見せてくれたのも、たぶんちょっとした幸運だったんだ。充分だよ」
「そんな……」
「やめよう、ジョナサン。俺はあの人を忘れないけど、あの人にとって俺はたくさんの出会いの一つでしかなかった。それだけなんだ」
「……わかりました。では一つだけ、あなたに言葉を贈らせて欲しい」
 腕一本分の距離を詰め、ジョナサンは静かに一騎の額にキスを落とした。親愛なるあなたへ、そんな意味を含ませたキスは、背中がむずがゆくする。
「どうか、あなたに変わらぬ竜宮島の加護と、幸福を」
「ありがとう」
「お幸せに。一騎」
 旅立ちを明日に控え、こんなにも一騎を想ってくれる友人に、微かに目の奥が熱くなった。


 夕方、一騎はひとり屋敷の裏手にあるかつての秘密基地を訪れた。
 彼と出会い、ほんの少しの間だけ、世界を旅する夢を見れたあの日の思い出の場所だ。
 十年前の記憶は、正しい形で一騎の中に残っているわけではない。
 声や容姿は朧気で、ただ一つだけ、紫がかった灰色の瞳がとても綺麗だったことは覚えている。胸元で揺れるペンダントを渡した手の温もりと、約束も。
 海岸線を一人歩き、かつて彼との出会いにはザインが隣にいたことを思い出した。
 昨年の夏の日、ザインはこの世を去った。十九歳と、犬にしては長く生きて一騎の傍にいてくれた。老衰ではあったが、護衛犬らしく最後まで一騎の隣を離れず、息を引き取る瞬間まで同じ部屋で寝ていた。
 ザインがいてくれたから彼と巡り会うことができたのだと思うと、いくら感謝してもしきれない。あの日以降、ザインがあそこまで気を許す人は現れなかったのだから。
 もう小さくて入れない秘密基地の入り口と別れ、岩場に上り海を見渡す。夕日が水面に反射して、きらきらと地球の星が瞬いている。
 素直に、この景色と離れるのは哀しいと思った。
 この島が好きだ。本土に行けば、どれだけ海を見る機会があるだろう。外の世界に憧れてはいたけれど、誰かに嫁ぐということはその家の人間になるということ。自由な島の生活とは一転して、たくさんのことを我慢しなくてはならなくなるに違いない。
 せめて最後に、彼との思い出だけはしっかりと胸に刻んでおこう。
 此処を離れれば一生出会うことは無い。迎えに行くと言ってくれたのに。待っていると答えたのに、そのどちらも果たされることは無い。
「……ごめん」
 風に攫われるくらい小さな呟きが己から漏れ、ゆっくりと目を瞑ったその時だった。

「何を謝るんだ?」

 背後から掛けられた声は、見知らぬ人のもの。
 振り返って、砂浜に立つ人影に焦点が合う。とても美しい笑みを刻んだ口元。すらりと伸びた四肢に、腰に当てられた手。男性にしては長い髪が、海風を受けて柔らかに靡いた。
「遅くなってすまない、一騎」
 名を呼ばれ、この人は自分を知っているのだと目を丸くする。
 誰だろう。この島の人ではないのは確かだが、一騎の中に在る誰とも重ならない。
「迎えに来た」
 そう言って、その人は一直線に一騎の元へやってくると、躊躇い無く一騎の腰を抱いた。
 驚きと混乱に身体が固まる一騎を他所に、唇に何かが触れる。
 ぺろりと舐められて反射的に口を開けてしまうと、割り込むような強引さで生暖かなものが口内に侵入して来た。
「んっ……!」
 目をきつく瞑り、反射的に抵抗を始めた手で身体を引き剥がそうと試みる。だが、後頭部をしっかりと掴まれ角度を変えては繰り返される口付けに、次第に意識が形を保てなくなっていった。
 相手の胸板を叩いていた手は縋るように服を掴み、眦から溢れた涙が頬を伝う。
 なんで、どうしてこんなこと。
 意識の隅で疑問に思っても、口内に吸い込まれて音になる前に再び熱を帯びた口付けが、一騎を翻弄する。
 ふ、と鼻にかかった息が己から漏れ出ていることにも気付かず、息苦しさに閉じた瞼に星が舞った。
 どれほど続いたのかわからない長くも短くもある口付けに、抵抗の意志は少しずつ削がれて代わりに身体の奥が火照ってくる。息苦しさが酩酊感に色を変えていく。
 初めての、見ず知らずの人のはずなのに、どうしてこんなに気持ちいいのだろうか。
 ついに一騎は、送り込まれる唾液をこくりと飲み込んで、そのまま意識を手放した。
 力を失った四肢を青年は難なく横抱きにして、そのまろい頬に自分のそれを合わせる。
「やっと、お前は僕のものだ」
 抱き上げた一騎の胸元に輝く幼き日の約束。青い砂を閉じ込めたガラスの中で、赤い花がまるで待ち侘びていたかのように咲き誇っていた。
 青年は満足気に笑んで、もう一度頬に口付けを落とす。
「行こう、一騎」

 結婚前日に忽然と姿を消した花嫁は、海の神様に攫われてしまったのだと噂されることとなる。
 その行方は杳として知れず、一騎を迎えに来た本土からの使者はあまりの事態にわざと隠したのではと疑うが、意気消沈する史彦を気遣う島の人々を前に行方不明の一報を下げて帰るしかなくなった。


+++ +++


 竜宮島から遠く離れた海の上で、一隻の海賊船が目的地を目指し航行していた。
 ザルヴァートル海賊団の名で知られる彼等は、義賊としての一面も持ちながら海賊同盟の一員として気ままに世界中の海を渡っている。
 船長を務めるのは、皆城公蔵。次期船長かつ隊長である息子、皆城総士。海の守り神と話ができるという神秘の娘、総士の妹である皆城乙姫。この三人を中核に、ザルヴァートル海賊団は少数精鋭を保つ海賊団だ。
 世界中の海を旅しながら、秘宝財宝を巡り時に同業者や海軍と戦う。大海賊団では無いものの、勢力争いに巻き込まれること無くやってこられているのは船長の手腕の賜物だ。
 そんな彼等が、つい数時間前、本来ならば非人道的とされる人攫いまがいのことをやってのけた。
 海賊が金目の物を奪い、人を攫うという一般認識は、決して偽りではない。実際に街を襲う海賊は数多存在しているし、そうではない者もいるというだけの話だ。
 ただ、対象が金品ではなく人間となると話は変わる。基本的に、船に乗せて足手まといになるような人間を囲っておく程、海賊は潤っているわけではない。特別な技能を持っていたり、船を動かす労働力であったり。必ず何かしらの役割があってこそ、船に乗る資格を得られる。
 故に、いくら次期船長の命令とはいえ、貴族の娘を攫って船に乗せる事に反論が無かったわけではない。
 その事は、総士も充分に承知している。それでも自分の我が侭を押し通したのは、幼い日の約束を果たしたいという強い想いに加え、風の噂で耳にした事がきっかけだった。
『竜宮島の領主の娘が、本土の貴族に嫁ぐらしい。二十も年齢が離れた男だそうで、おそらく愛人として扱われるのだろう』
 腸が煮えくり返るような怒りを覚えたのは初めてのことで、その足で父の元に向かった。この船の針路を決めるのは船長だけだ。なんとしても竜宮島に向かって欲しい、『かずき』が欲しいのだと訴えた。
 十年前、行方不明になった総士を助けてくれた貴族の娘。父も、それが竜宮島の領主の娘である事は知っている。命を助けてくれた恩人を、海賊の身へ墜とすことを渋る父は、おそらくこの世界では珍しいほどにまともな人間なのだろう。だが、総士も譲れない。
 せめてもの譲歩に父が出した条件は、『かずき』が望んだ縁談ならば即刻竜宮島に帰すこと、だった。条件を呑んだ総士はすぐさま情報を集め、『かずき』が真壁一騎という名前である事を掴んだ。
 縁談の前日に、目立たぬよう島の防衛の目をかいくぐって死角となる地点に船を寄せ、二人が出会った場所に彼女が訪れる事に賭けた。覚えていてくれるなら。少しでも総士と世界を旅することを夢見てくれるなら、きっとあそこに来るだろうと祈って。
 そして総士は、賭けに勝ったのだ。
 彼女を抱え全速力で海域を離脱し、ようやく竜宮島の勢力圏外に辿り着いたところで帆を畳み本拠地への帰り道の潮流に乗った。
 海軍と一戦を交える覚悟はあったが、なるべくなら神隠しにあったかのように消え去ってしまう方が、無用な消耗戦を好まない海賊にとっては都合が良い。
「……ってことだから総士。そろそろ潮の流れも安定したし、行って来ていいよ?」
 ガフスルを南に動くよう固定したこの船の測量士、兼次期船長の右腕を務める甲洋に促され、総士は「ああ」と心ここに在らずといった体で頷いた。
 いつもなら誰よりも海の事を気にかけ、己にも他者にも厳しい総士がたった一人の女性に心と視線を奪われている。とは言え、十年にも及ぶ片想いを傍らで見て来た甲洋としては、しかたがないと諦めもつくというものだ。
 誰が見ても「大切です」と言わんばかりに抱えた女性を自室に連れて行き、まさかそのまま襲うんじゃないかと思ったが、流石にそこは海賊としての理性が勝ったらしい。海流に乗るところまではしっかりと隊長を務めていたものの、今はもう駄目だ。
 気付けば視線が自室の方に向いているのだから、重症と言う他無い。
「すまない甲洋、後は頼んだ」
「はいはい。女の子には優しくね」
 総士にも男としての欲がちゃんとあるんだなぁと感心しつつ、一直線に甲板を降りた総士の後ろ姿に苦笑を禁じ得ない。見れば、周囲の仲間も同じような顔で互いに肩を竦めていた。
 あの部屋防音だっけ、と下世話な心配を口にした同僚であり幼い頃から共に船に世話になっている剣司の頭を小突き、心の中だけで同意した。

 そんな甲板の様子を知る由も無く、船の自室に戻った総士は、数時間前に手に入れたばかりの愛しい人が横たわるベッドに、そうっと腰を下ろす。
 よく眠っている。薬を使ったのだから当然だ。仄かに上気していた頬は既に白さを取り戻し、照明を落とした部屋の中で上下する胸をじっと見つめた。
 船の医師見習いを務める剣司に調合してもらった薬だ。身体に害が無いのはわかりきっているものの、早く目覚めて欲しくて頬を軽く押してみる。
 幼い頃の記憶では少年らしさが勝っていた少女は、母親に似ているのだと称される美しい女性へと育っていた。一目で彼女が『かずき』だとわかった。
 細い肩と掌に馴染みそうな胸の大きさを指先で辿りながら、肩紐、腰紐と丁寧に解いて左足首に枷を嵌める。
 妹に知られたら悪趣味だと怒られそうな気がするものの、逃げられないように致し方なくだと言い訳がましい理由で想像の中の非難を打ち払った。
丈の長いスカートは貴族らしく厚手のレースをふんだんに使用し、この一着だけでどれほどの価値があるか考えれば船員の下っ端は目を輝かせるに違いない。もちろん彼女の服を一着でも誰かに譲るつもりは無いが、今はそれを脱がすことに専念する。

 十年。ここまでくるのに、十年かかった。
 十年前の秋の日、総士は船を襲った大湿気によって海原に投げ出された。荒れ狂う波の中、なんとか浮遊具に掴まって溺死は避けられたものの、気を失いそのまま潮に流され船に戻ることはできなかった。
 気付いた時には、白いふさふさとした毛と、暗い岩でできた天井が目の前に広がっていた。
『あ、起きた』
 呑気な声が横手から聞こえ、咄嗟に右手を腰にやった。鞘から短剣を取り出し、声の主に突き付けた。果たしてそこにいたのは、いかにも貴族の人間らしい危機感の無い気配を纏った子供だった。
 そんなもの危ないなんて呑気なことを叫び、一気に毒気が抜かれたところに暖かな飲み物を差し出されひどく困惑した。見ず知らずの人間に与えられた食べ物を容易に口にするなど自殺行為に等しい。それに、相手は貴族だ。こちらを油断させて海軍に売り飛ばすことだってする奴等なのだ。
 それなのに、警戒心は長くは続かなかった。同じ年頃の少女は、打算など一欠片も感じさせない無垢な琥珀色で総士に笑いかけた。
『そっか、良かった』
 不覚にも、総士を案じる声に胸が高鳴った。にこりと微笑む少女を、可愛いと思った。
 生まれて初めて妹以外の誰かに対し庇護欲を覚え、動揺を顔に出さないようにするだけで精一杯だった。
 話をしてみると彼女は聡い子供のようで、必要以上にこちらのことを詮索してこなかった。聞き上手なのか時折相槌を打っては総士の話を引き出し、深入りしそうになればタイミングを見誤ることはない。
 生まれ故郷から出たことが無いという彼女のために世界の海の話をすれば、目を輝かせて聞き入った。幼い自尊心が疼き、普段の総士からは考えられないほど饒舌に語った。
 出会ってたったの数時間で、総士は名前も知らない少女に心を奪われていたのだ。
 海賊が貴族に、なんて笑えない冗談だ。けれど、彼女の興味が自分にあることに興奮と歓喜を感じ、外界に憧れると溜息をついた横顔が一つの決意を総士に抱かせる。
『迎えに行くよ』
 大きくなって船の針路を進言するだけの力を手に入れたら、彼女を迎えに来よう。後にも先にも、きっと彼女以上の存在は現れない。
 亡き母の形見である海のお守りを縁に、彼女を手に入れてみせる。
 迎えに来た船の上で、ずっとずっと、『かずき』という名前を呟いた。忘れないように。彼女が覚えていてくれるように。

 十年という月日はかかってしまったが、ついに総士は手に入れた。
 しゅるりと滑らかな音を立てて腰紐を抜くと、重い生地を支えていた支えが無くなり白い足が付根まで晒された。ベッドの下に余分な物は落として、力を込めたら破けてしまいそうな下着に指をかける。
 とそこで、ようやく小さな呻き声を漏らした一騎が瞼を上げた。焦点の合っていない瞳がうつらうつらと彷徨い、覆い被さる総士に結ばれる。
「……あ、え?」
「おはよう、一騎」
 するりと肌を撫で、上半身の衣も全て取り払う。びくびくと大袈裟に跳ねる肩をシーツに縫いとめ、予想より幾分か細い足が宙を掻く拍子に、ギッ、とベッドの端が軋んだ。
「なん、だ……これ……」
「逃げられた時の為の対策だ」
 一応、と語尾に付け足す。
 踝に嵌めた合皮の錠から伸びる鎖は、総士のベッドにしっかりと固定され、足を振り回したところで外す事は適わない。
 女性に無体を強いているにも関わらず、その対象が一騎であると思うだけで身体の奥にじわじわと熱が灯った。
 大人二人が余裕で横になれる広さのベッドに乗り上げ、呆然と自分の足と総士を交互に見つめた瞳に、笑いかける。
「綺麗になったな、一騎」
「は……?」
「良かった……お前が誰かのものになってしまう前に、迎えに来れて」
 早くこの身体の隅々まで奪い尽くしたいと欲が唸り声を上げる。事態が未だ呑みきれていない一騎の手首を掴んで、噛み付くように唇を重ね口内に舌を忍び込ませた。
「ふぅ、んっ……!」
 慣れが一切感じられない接吻に、純潔の味をとらえて背が震える。
 これから彼女の身体を暴き、一番に総士を刻み込むことができる。言い様のない興奮が総士の手から容赦というものを剥ぎ取っていった。
「ん、あ……やっ、なにして……!」
「海賊らしく、欲しい物は奪う――」
「や、離せ……!!」
「それだけだ」
 鎖で繋がれていない方の足が、総士の脇腹めがけて振り上げられる。果敢にも蹴りを放つとは、深窓の令嬢とは思えない勇猛さだ。思わず苦笑が浮かんだ。
 片手で蹴りをいなし、逆に足首を掴みぐっと折り曲げる。
「貴族の女性にしては、足癖が悪いな」
「やだ、離せよ!」
 振りほどこうと上体を片腕で持ち上げるが、生憎女性の力に負けては海賊の名が廃る。
 難なく抑え込んで再びベッドに沈んだ身体が抵抗を試みるより先に、レースに覆われた胸の頂きを摘まみ上げた。
 ん、と背が仰け反り、つんと立ったそこを人差し指の腹で刺激する。一気に硬度が増した頂きのもう片方は、あえて触らずその周辺をゆっくりと揉み込んだ。
「はっあぁ……」
 手の甲で口を覆ってはいるものの、漏れ出る嬌声は明らかな快感を伝えてくる。
 次第に汗ばむ肌に顔を寄せても、貴族特有の香水臭さが一切しない。あの香りを得手としていない総士には、あまりにも都合が良くて笑い出してしまいそうだ。
 鎖骨、胸の谷間と舌先で辿っていくと、その度に反応を示す身体に気を良くして尖りに舌を絡ませた。
「ひゃっ」
 一度触れてしまえば止まることなどできず、やだ、と息も絶え絶えに伝えてくる声に逆らって吸い上げては潰す。総士の身体を押し返そうと力を込めていた手は、しかし次第に弱まり添えるだけになっていった。
 胸から一度顔を離すと、きつく寄せられた眉が未知なる感覚への戸惑いを示し、シーツを握り締める指は可哀想な程に白くなっている。
 初めてなのだと理解すると、途端に愛おしさが胸を満たした。
「一騎……」
 頭を撫で、眉間に唇を寄せながら身体の力を抜くよう促す。ゆっくりと、怖い事など何も無いのだと言い聞かせる。
 首筋に顔を埋めながら下肢へ指を這わせると、喉がかくんと逸れた。盗み見た表情に拒絶の色は無い。困惑と畏れ……ならば、それを快楽に塗り替えてしまえと加虐心がどろりと腹の中で渦巻いた。
 今度こそ茂みを覆う下着に指をかけ、隙間から秘めた場所を撫でる。にち、と音がしそうなほど潤ったそこに安心した。少なくとも感じてはくれているらしい。恐怖が勝れば、女性の身体は濡れることなどない。
「や、そんな、とこ……」
「心配するな。お前はただ感じていれば良い」
 指先だけで小さな突起を探り当て、中指と人差し指でくにくにと上下に擦る。途端、びくんと背を反らして総士の腕を押し返そうと掴んだ。
「あぁ、あっ、だめ」
 声と腕は否を示しているのに、膝はその先の快感を逃さまいとするように総士の手を挟み込んで離さない。無意識の許容と、意識的な拒絶。くつりと笑んで、違うだろう、と総士は手の動きをより大胆なものにしていく。
「だめ、ではないだろう?」
「あ、んっ……!」
「身を委ねろ、一騎」
「は、ぅ……――ぁっ!」
 総士の腕を掴む指先に、ぎゅう、と力が籠る。一際大きく身体を震わせ、どろりと愛液が掌に流れ落ちると身体が弛緩した。荒く息をつく額には玉のような汗が浮かび、唇の端に僅かに溜まった唾液が顎を伝う。まだあどけなさを残す少女の風貌が艶を纏い始め、知らぬ間に喉が鳴った。
 投げ出された足からするりと下着を抜き取って、鎖に引っ掛ける。一糸まとわぬ姿が眼前に晒され、白い寝具に散らばる烏珠の髪は夜の水面のように波打って総士を引き込んだ。
 ぬめりの助けを借りて指を一本潜り込ませる。一騎の中はひどく狭く、彼女の初めてを奪うのが自分であるということに興奮を覚えた。
「ぃっ……」
 だが、受け入れる側にしてみれば痛みを感じずにはいられない行為だ。せめて苦痛に支配されないよう、胸への刺激を適度に織り交ぜながらじっくりと解していく。
 この頃には、一騎から拒絶の言葉が発されなくなった。と言うより、身に起こっている事態に頭がついていかないのだろう。口を開けば荒い息と断続的な嬌声があがり、枕を握り締めながら痛みと快楽に耐えている顔は雄を刺激するには充分すぎる。
 二本、三本と中を行き来する指の数を増やしばらばらと中を広げ、様子を伺いつつ緩み具合にそろそろか、とズボンの前を寛げた。
 指を抜いて、ぴとりと先端を添える。溢れ出る愛液を塗り籠むように軽く揺すれば、それだけで背筋を駆ける快感に熱が上がった。
 一騎の顔に怯えが走る。こんなにも無垢な少女を怖がらせているのに、罪悪感よりも背徳感が勝る自分はひどい男なのだろう。
 それでも、十年想い続けた女性を暴き奪い刻み付ける――なんという僥倖か。
「一騎……っ!」
 ぐぷん、と勢いを付けて押し込んだ中は、想像以上に熱く狭かった。
 目を見開き、ぽろぽろと涙を流しながら声も無く喘ぐ一騎の頬を撫ぜ、息が整うまで待つ。
「ぃ、た……」
「一騎、ゆっくり息を吐いて……そう、いい子だ」
 浅い息と深い息を繰り返しながら、タイミングを計って少しずつ押し進んでいく。初めての挿入で、あまり奥まで期待できないのは最初から予想していた。なにより、一騎の身体に負担をかけすぎる。
 半分まで進んだところで、一騎の顔に徐々に浮かんでくる疲労を考慮しそれ以上の侵入は諦めることにした。
「……あっあっ!?」
 代わりに腰の動きを変え、抽挿を始める。先端を包み込む内壁が良い具合に雄を磨り上げ、律動に合わせたとぎれとぎれの声にだんだんと余裕がなくなっていく。
「かずきっ…かずき……!」
「あぁ、や、いたっ…う、あっ!」
「くっ……イ……ッ」
 ぐぷぐぷと卑猥な音に煽られ、衝動に任せて熱を吐き出した。一騎の中に余す事無く注ぎ入れ、ずるりと己を抜き去った密口からとろりと白濁が溢れる。
「は、ひ……ぁ……」
 熱が収まっていないのか、一騎の目元はまだ色を含んでとろりと溶ける。下腹部の痛みは相当なもののはずだが、甘い酩酊感がまだ余韻として残っているのだろう。枕の端を掴みっぱなしだった指を一本ずつ解いて絡めると、握り返され琥珀色が総士を映した。
 まるで海の底だ。総士を引きずり込んで、とらえて、離さない。
 紅潮したままの頬が、熱を出したいと総士に訴えてくる。望むままに、と白濁が残る中に一本だけ指を突き入れ、ざらざらとする部分を擦りあげてやった。
「あっあっ、んぁ」
 一度吐き出したおかげで冷静さは幾分か取り戻し、一騎が感じ入る様子を堪能する。しかし、長くは保ちそうにない。内壁を傷つけないよう気を付けながら、性急に追い上げていく。
「はぁ、ァア――」
 きゅう、と内壁が指を締め上げ、細い吐息を最後に身体がシーツに沈み込んだ。
 ぐったりと閉じられた瞼が開く様子はない。気を失ったようだ。
 愛液と自分の出した精に濡れる掌を見つめ、ふ、と顔を綻ばせる。

 宝物は奪った。手に入れれば、どこまでもいつまでも慈しみ愛し抜く。
 激しい交わりを終えても清冽さを保った青が胸元で揺れ、好きだ、と音にはせず一騎の身体を掻き抱いた。

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