8.クーマ 向日葵/氷菓/影
「美羽、これはなに?」
「それは団扇。暑い時に扇ぐと風が吹いて気持ちいいよ」
「これは?」
「向日葵って言って、夏に咲くお花」
「この前教えてくれた、四季ってやつだよね。夏は暑くて、かき氷がおいしい!」
「そう。四季には、食べ物とか、お花とか、季節を表すものがあるんだよ」
夏の風物詩なんだ、と美羽は操に向日葵の花びらを使った押し花の栞を手渡した。海神島に移住した住民たちのために建設された小学校で、美羽が子どもたちに教えて作った時のものだ。白い紙の上に、向日葵の花弁で模した小さな向日葵が可愛らしく形作られている。
「風物詩?」
また新しい言葉だと操は首を傾げた。
第四次蒼穹作戦後、海神島に住み着いたフェストゥムは好奇心旺盛で、ヒトの言葉をたくさん知りたがる。人間を理解したい、そして自分たちのことも理解してほしい。そんなことを宣言して、特に縁のある美羽や甲洋、一騎と行動することが多い。折に触れて、疑問に思ったことはなんでも尋ねている。
「風物詩っていうのは、季節を感じるもののこと。例えばこの向日葵を見て夏だなって思うから、向日葵は夏の風物詩」
「じゃあ人間は、向日葵を見たりかき氷を食べたら夏だなって思うの?」
「人間みんなじゃないけど、日本人はそう思うよ」
「ん?美羽や一騎はそう思うってこと?」
「間違ってはいないかな」
「人間は普遍を大切にしているのに、限られた時間にしかないものも好きなんだよなぁ。難しいや」
「そうだね。あなたの言う通りだよ」
秋の風物詩なら紅葉、冬の風物詩なら雪だるま、春の風物詩なら桜。
アーカイブの写真を検索し、美羽が示していく風物詩に操は難しい顔をしながらも「全部綺麗だ」とシンプルな感想を述べた。まだ複雑な感情を言葉にする術を学んでいない彼の言葉は、その分シンプルだ。一言に含まれた意味を理解し解釈するのは、ある意味人間だからこそできることであり、それは結局、人間と相対して言葉を交わしているのと同じであった。
美羽は、アーカイブの中の写真一枚一枚を、懐かしさと共にめくっていく。手の中の四角に収められた景色は全て竜宮島のもので、美羽の記憶の中にあるのは母の傍らで見上げた景色ばかり。桜も紅葉も、母の笑顔の向こうにある。夏祭りで買ってもらったかき氷は自分の手には冷たすぎて、母に持ってもらった。夏の縁側に真矢と三人で並んで食べた西瓜は、小さな美羽の手に収まる大きさに切り分けられていた。
失ってから気付いた愛の数々は、今、美羽が操に教えていることの根本にあり、繋がりの始まりだ。
「他にはないの?」
「ほかにかぁ、あるかなぁ」
緑が根付いたばかりの公園に設けられた仮設ベンチの縁を掴み、足をぶらぶらとさせる。少し視線を遠くへ送れば、空へと伸びる細い結晶がまるで大木のように若葉色に輝いている。降り注ぐ夏の日差しはその輝きを一層強め、島のどこからでもミールの居場所を知らせていた。
美羽は操の問いへの答えをいくつか思いついていたものの、ありきたりすぎて面白みのないそれは適切ではないように思えた。もっと彼に考えさせる話の方が、このフェストゥムは喜ぶだろう。
ふと、昔母から聞いた話を思い出す。風物詩とは少し違うけれど。
「夏には、幽霊がいるんだよ」
「幽霊って、人間が魂って呼んでるやつのことだよね」
操は腕を組み、考えるそぶりを見せる。
「竜宮島のコアに還った人間たちと同じもの?」
「……そうだね。よく似てるけど違う、かな」
「もー!美羽の言葉は時々すごく難しいよ!」
膨れっ面になった操に美羽は苦笑する。
「幽霊は、帰り道がわからなくなっちゃって困ってたり、帰らなきゃいけないのに帰りたがらないから、道を敷いてあげるんだよって教えてもらったんだ」
竜宮島なら、灯篭流しだ。お盆に近しい人の元へやってきた魂が、ちゃんといるべき場所へ還るための導になってほしいと灯に託す。
毎年、母の手を握って一緒に父の灯篭を流した。母はいつも悲しみと痛みを堪える顔で灯篭が消えるまで見つめて、美羽のことを強く固く抱き締めた。どこにも行かせない、どこにも行かないでと縋るように。
今はもう、美羽しか父の灯篭を流す人がいない。
――灯篭を手に静かに佇む、母の面影が脳裏に過った。
「……ごめんね、美羽。美羽の大切な人を思い出させてしまった。悲しい?」
「え?」
自分の頬を涙が伝っていると気付いたのは、操の手が頬に触れ目元を拭ってくれたからだった。美羽は瞳を揺らし、止まらない涙に困り笑う。
「か、悲しいのかな?そんなつもりじゃなかったんだけど……」
美羽が悲しんでも、母は帰ってこない。幽霊に、魂になってしまった母はもう会えない。
だから、泣いたってなにも解決しないのに。
「大丈夫だよ美羽。悲しい時は泣くんだって俺は一騎たちに教えてもらった。だから、泣くことを怖がらないで」
操の言葉はシンプルだ。彼が言葉に籠める感情は、意味は、いつも裏表のない真っ直ぐなもので、相対する美羽の想いに偽りを許してくれない。
泣きたいのだろうかと美羽は自問した。泣いているという事象を前に、自分がどんな理由で涙を流しているのかを探らなければいけない程、心はぐちゃぐちゃで想いは深くに埋まってしまった。
「ね?」
操の両手が、美羽の背を撫でる。母のものとは違う、珪素でできた作り物のそれなのに、今の美羽にとっては誰の手よりも暖かくて優しかった。
少しの間だけ涙に言葉を詰まらせた美羽を、操はただただ、柔らかな笑みで待っていてくれた。