7.カロケリ 夕焼け/蛍/水
夏祭りをしようと言い出したのは、元人類軍のイアンとジェレミーだった。
海神島に移住を開始し、大地を覆う雪がようやく溶けて夏の芽吹きへと足を踏み出し始めた頃のことだ。当然のことながら夏祭りに割くような余裕もなく、島は常にフェストゥムや人類軍の脅威に晒されている中での進言に、渋い顔をする者たちの方が多かった。
だが、そんな彼らを真っ先に擁護したのは、意外にも一騎だった。正確には、一騎が「やろう」と賛同し、真矢と咲良と剣司が彼の意を後押しし、友人や弟を亡くした里奈を想った彗が「やらせてください」と懇願し、零央と美三香が今自分たちに何ができるかを訴えた。竜宮島のパイロット全員の声は無視できるものではないという結論に至るのに、そう時間はかからなかった。
おとなたちが夏祭りの開催に消極的だったのは、島を護れなかったことに自暴自棄になっていたからではない。彼ら自身が、そうした行事に前向きになれるような健康状態ではなったことが大きな理由の一つだった。
竜宮島ミールによって命を繋いでいたおとなたちの多くは、そのほとんどが海神島の移住に伴い体調不良に見舞われた。アルヴィス総司令である真壁史彦も例外ではなく、おとなたちの延命治療にかかりきりになっていた医療スタッフの多くもまた自らの生死を賭けて、一刻も早く治療法を確立しなければならなかったのだ。
しかし、アルヴィスだけに目を向けているわけにはいかない。シュリーナガルの人々は彼等の精神的支柱を失い、長く続いた脱出行の中であまりに多くの愛する知人を失っていた。心のケアをする暇もなく、せっかく辿り着いた海神島で命を落とす人も決して少なくなかった。辿り着いた先が、決して安寧の土地であるとは限らなかった。異なる文化、言語、慣れない生活。
海神島という土地に集まることになったのは、限界をとうに超えた人間たちであった。
故に、夏祭り、という案自体は素晴らしいものであっても、実現には多くの制約と理解を伴った。竜宮島でやってきたような夏祭りは、とてもではないができない。自給自足の生活ですらギリギリの今、露店を出したり提灯を下げるような場所もない。
だが、おとなたちに代わってパイロットや島の子どもたちが主体となって考えたのは、とてもシンプルで、おそらく誰もが心の奥底にしまって見ないようにしていた悲しみを分け合うものだった。
「……一騎のお母さんの灯篭、司令と一緒に流さなくて良かったのか?」
水辺から離れ、海の向こうへと流れゆく仄かな灯を眺めている後ろ姿に、甲洋は声をかけた。振り向いた一騎の腕の中では、赤子が眠っている。
「作る時は一緒に作ったからいいんだ。あの時間は、父さんだけのものだから」
彼の横顔は、何度か見せてもらった写真に映る彼の母親とよく似ていた。これは父親としては複雑なものだろうと、甲洋は史彦の心情を慮った。
「甲洋こそ、羽佐間さんと一緒に流せたか?」
「……ああ。俺に島を護る役目を与えてくれた二人の想いだ。ちゃんと御礼を言ったよ」
「そうか」
翔子の死を受け止めた甲洋が、ようやく灯篭と共にその想いを昇華できたのなら良かったと一騎は微笑む。パイロットたちがせめて夏祭りとしてやるべきだと訴えた、灯篭流し。それが実現し、まだ整備されていない海岸に集まった人たちは、揺蕩う灯篭に記された名前を思い思いに呟き、時に叫びながら、涙を流していた。
夕焼けが沈む水平線は燃えるような赤を雲と空と海に滲ませ、闇の訪れを告げている。まだ地上には光源が少ない。本当ならば夜に流すべき灯篭は、赤と黒に染まる水の上をゆっくりと、別れを惜しむように進んでいく。
「蛍みたいだ」
「『物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る』」
「……?」
「和泉式部の詩だ。意味は、あなたを想っていると、沢の蛍さえも自分の身体から抜け出た魂に見えてくる。蛍は人間の魂、死者の霊魂の姿であると感じるのは昔の人も同じだ」
「……いつか、本物の蛍を総士に見せてやりたいな」
夏を迎え、雪解けを迎えた大地はようやく緑が芽吹いてきたばかりだ。そうなるには、もう数年はかかるだろう。一騎が心の内に描いている景色は、きっと竜宮島の夏なのだろうから。
甲洋は、そこに異様な執着を見たような気がして、眉根を寄せた。
「一騎が願うのはどっちの島のこと?」
薄らと目元を細めた一騎の瞳は赤く、甲洋から腕の中の存在へと移った。その目に赤子を映しておきながら、一騎が見ているのは遠く、静かな水面の先のようであった。
甲洋は手を伸ばした。頭ごと抱えるように一騎の目元を覆い、悪い、と彼の意識を引き戻そうと瞼を指先で撫でる。
「俺の言ったことは、忘れていいよ」
口元だけが晒された一騎は、呆然と開かれていた口を引き結び、わかった、と小さく呟いた。
夕焼けを進む蛍たちは、やがて水平線に吸い込まれるように消えていった。