ホロウナイトメア

『――ハロウィンの夜、美味しそうな人間は怪物に食べられてしまうというのです』



この世には、満月の夜に強い力を得る怪物が二種類、存在している。
月夜に闇に潜み力を高めるのは、人の形をした獣である人狼。陰から人を襲い肉を喰らい、甘美な血肉を存分に啜る。後に残される骸は、五体満足ではいられないという。
満月のもつ魔力を糧に力を揮う吸血鬼とは、名の通り血を吸う鬼。血を吸うために発達した歯を、人間の身体の何処かに突き立てて血を吸う。服を汚したり、ましてや身体を引きちぎるなどということはしない。優雅に、美しく、人間を捕食する高貴なる鬼族。
どちらの種族も長命であるが、吸血鬼は質の良い血を摂取することで数百年を生きることができる。肉体は緩やかに年を取るものの、魔力を多く体内に蓄えれば容姿を変化させることも可能だ。
人の外見を模し、人に紛れ込んで血を得る彼等にとって、魔力とは自らの糧となる血液をより容易に得るために必要な力であった。

「血の摂取は人間からでなくとも構わないのは本当のようだな」

開けたシャツのボタンを一つずつとめ直しながら、総士は気怠げに服を整えた。腰まで届く長い髪は暗い部屋の中では彩度を落とした朽葉色に沈み、頭の上には同じ毛色の耳がピンと立つ。
その耳が向く方向には、つい数分前まで『食事』をしていた男が佇んでいた。白いシャツに黒のパンツ、胸元のループ・タイには琥珀の中に赤を垂らしたような色合いの宝石が埋まり、仄かに輝いている。
月明かりに照らされた横顔は、どこかあたたかみがありながらも、人間離れした凄みを帯びていた。
緩くウェーブのかかった髪は無造作に目元に影を落とし、表情を窺わせない。滑らかな隆起を描く鼻筋と喉仏がゆっくりと総士を振り向くと、口元に弧を描いた。

「どんな種族でも、栄養源にはなるからね。人狼からもらうのは初めてだったけど」
「ギブアンドテイクだ。僕は吸血鬼の魔力を求めていたからな」
「……なら、魔力の媒介はこれにしようか」

吸血鬼は窓際に飾られた花瓶からバラを一本抜き取ると、花弁に口付けた。すると、白いはずのバラは男が触れた箇所から赤く染まり、数秒も経たないうちに花弁すべてが濃い赤へと変わっていた。
男は茎から花弁を一枚、丁寧に指先で摘むと、総士の掌に落とす。

「それを食べれば、一日くらいなら人間の姿になれる。その尻尾や耳は消えて、人間たちのコミュニティに紛れても気づかれない」
「感謝する」

総士は花弁を受け取ると、男に深く頭を下げた。
拍子に、長い髪が首元を露にする。総士の首筋に空いた二穴の傷跡をなんとなしに見下ろしながら、吸血鬼はふと興味本位で問うた。

「総士は誰かを探しているのか?」
「……そうだ」
「美味しい血をくれた御礼に、もし見つけたら教えてあげるけど」

総士は数秒の間沈黙し、吸血鬼の提案を飲むべきか考えているようであった。吸血鬼にしてみれば気紛れで聞いてみたようなものだ。断られたところで特段問題もないが、総士は尻尾や耳をピクリとも動かさずに考え込んでいるようであった。
やがて、意を決したのか顔を上げた。

「真壁一騎という人間だ」

吸血鬼は驚いたように目を丸くした。整った容貌が、初めて総士の前で感情に彩られる。

「僕が人狼と知っても、気にせず接してくれた人間だった。まだ彼が幼い頃、一月ほどではあったが交流があった」
「よく食わなかったな。好みじゃなかったのか?」
「友人になった時、あいつは食べないと決めた」
「へぇ」

面白がっていることは声色に乗って伝わるものの、無表情に戻った横顔は既に興味を失っているようにも見えた。
吸血鬼はバラを再び花瓶に戻す。赤く色づいたそれから指を離すと、瑞々しい輝きを放っていたバラは瞬く間に萎れ死んでいった。
魔力を注がれた、一瞬の美しさ。しかし本来の器では無いものに注がれたことで、命が奪われる。吸血鬼という種族の魔力の膨大さ、いや、目の前の男の持つ魔力は、今まで総士が相対してきた怪物のどれよりも強い濃いものであることを示していた。
それがわかっていて接触を図ったのは総士からであったが、まるで息をするように魔力を扱う姿は、まさに彼が鬼の異名を持つに相応しいと実感する。

「……生きていれば、ちょうど二十歳くらいになると思う」
「ま、じゃあ見つけたら教えるよ」

膨大な人間たちの中から、会ったこともない一人を見つけ出す可能性など夜空に瞬く星の数よりも低いだろう。永きを生きる彼の気紛れにすぎない約束に、総士は軽く頭を下げると、窓の外へと身を躍らせた。
期待せずに待っている程度がちょうどいい。それを理解している態度に、吸血鬼は面白い奴だなぁと微笑んで、先ほど総士からもらった血の味を思い出していた。
同じ魔力を持つ種族の血は濃厚で、空腹を満たす。人間から摂取した血ではせいぜい一月が限度だが、総士のおかげで半年は保つだろう。
次の獲物を見つけるまで、なにをしていようか。
暇を持て余した吸血鬼は、闇に紛れる漆黒の上掛を羽織り、音もなく夜の景色に同化した。



吸血鬼は、人間の間では御伽噺の存在とされている。もちろん人狼も、フランケンシュタインも、魔女も、人間が作った物語の一部を飾るエンターテイナーに過ぎない。
だが、火のない所に煙は立たぬという諺のとおり、この世には人智の及ばぬ領域というものが存在する。それは国や文化という括りの中で異なり、ある国では夏の短い時間を、ある国では真冬の凍える寒さの中を、死者が力を以てこの世とあの世を闊歩する時間。それは怪物たちにとっても、魔力が増幅される貴重な時期とされていた。
月夜の魔力に加えて己の力が強くなると、弱い怪物ほど普段やらないようなことに手を出しがちだ。そんな奴らが調子に乗って人間に手を出すと、不可解な死を巻き散らすことになる。目に余る行動は、力の強い怪物に見咎められれば窘められることもあった。
基本的に、怪物に人間が敵うことはない。人間は弱く、怪物にとって食糧ではあるものの、だからこそ無駄な死は避けなければならないのだ。

「……なんだ、コレ」

若い男の声が、今しがた自分を襲った者を背負い投げた上に地面に叩きつけて昏倒させた。
その一連の様子を少し離れた場所から観察していた吸血鬼は、目の前の光景に思わず唖然とした。

「おまえ、人間か?」

夕暮れが少しずつ夜へと変わる時分、人気の無い、ごく普通の住宅街の片隅で、地面で伸びている男を見下ろして首を傾げる。彼の疑問は最もだろう。なにしろ、人間の形をしているように見えて所々に妙な膨らみがあり、着ているものも服というより布を継ぎ足し合わせたマントのようなものだ。不審者なのは間違いないが。
吸血鬼はこのまま放置しても良いのでは、とその場から立ち去ろうかと考えたが、それよりも先に男の方がじっと吸血鬼のいる場所を見つめてきた。

「そこに誰かいるのか? こいつの仲間か?」

その時、初めて吸血鬼は彼の瞳を直視した。
琥珀よりも深い色に、夕暮れの赤が混ざる。吸血鬼が胸元に飾る宝石と同じ色をしていた。それが示す意味に、吸血鬼の血がざわめく。

「……驚かないんだな」

吸血鬼は、男の前に姿を現した。景色に溶けていた身体が、ゆっくりと地面へと降り立つ。黒いマントが風を受けて舞い、シルクのスカーフが揺れた。
明らかに人間ではないモノの登場にも、男はひるんだり怖がったりする様子も見せず、ただじっと吸血鬼を眺める。

「昔、ちょっと変わった奴と友達だったから、人間じゃないモノが存在してるのは知ってるんだ」

彼の言葉に、吸血鬼は半年前に出会った人狼の話を思い出した。少しの間だけ一緒にいた、人間の話。

「おまえの名前、聞いてもいいか?」
「……一騎」

総士が言っていた人間の名前、それは確かマカベカズキ、だったはずだ。星の数ほどの偶然の中での邂逅は、さすがの吸血鬼も驚きを隠せず目を瞠った。
そうか、これが彼の探し人かと、なんとなしに興味が沸いた。
魔力には色がある。吸血鬼は、己が生まれる際に持っていた宝石と同じ色をしているという。そう、一騎の瞳は、吸血鬼の魔力と同じ色をしていた。その事実に、永く生きてきた中で初めてと言って良いほどの興奮を覚える。
面白い人間だ。怪物をそうとして扱い、それ以上でも以下でもない、あるがままに受け入れる受容力。人狼は忌み嫌われることが多いから、おそらく総士は、一騎のこの感覚に惹かれたのだろう。人成らざる者にとって魅力的な、言うなれば無垢の魂だ。
吸血鬼の中に、衝動が生まれる。
この人間の血を味わいたいという、凶暴で独善的な欲求が。

「……一騎」
「なんだ?」
「おまえの血がほしい」

言葉よりも早く、マントの下から腕を伸ばした吸血鬼は一騎の首筋に牙を立てていた。
人間に追いつけない速度は、一騎でも引き剥がすことはかなわない。ぷつり、と控えめな音が己の耳元で鳴ったと認識した瞬間には、一騎の視界はぐらりと傾いた。

「え……っ」

後頭部を支えられた手と、一騎の身体を覆う吸血鬼のマントは、逃げ出すことを許さない。逃げようとする意識すら奪う、酩酊にも似た感覚が一騎を襲った。
身体中を熱い何かが巡り、代わりに鈍い水音と錆びた香りが一騎の鼻孔を刺激した。

「なん……これ……」

目元を赤く染め、弱弱しく吐息を零す一騎を抱えて、吸血鬼は吸い上げた血を嚥下する。
これはいい魔力を見つけてしまった、と吸血鬼は血の味に夢中になっていた。内心では、ある程度満たされたところでやめなければと思っているのに、一騎の血は吸血鬼にとって至福とも呼ぶべき味をしていた。
抵抗を示していた一騎の手が、だらりと力を失う。仰け反った身体を支え、吸血鬼はようやく唇を離すと、鎖骨の下に爪で傷跡を付け、血の滲んだ口づけを施した。
徐々に、一騎の首元から鎖骨にかけて、淡い霞のような模様が浮かびあがる。吸血痕は唾液を含ませた舌でなぞり、びくりと震える身体を抑えながら塞いだ。

「一騎、ごちそうさま」
「……」
「吸いすぎてしまったかな。ごめんね?」

瞼の落ちかけた琥珀の瞳が、ぼんやりと吸血鬼を映す。正しく認識はできていないようであるが、もう一騎は模様を刻まれた。
吸血鬼が施す眷属の証。己と結びついた、己の血を与えた存在。

「覚えておいて。俺の名前は、甲洋」
「こうよう……」
「そう。これで一騎の血は俺だけのもの。俺の名を呼べるのも、眷属である一騎だけの特権だ」

長い指が一騎の頬を滑り、首筋に添えられる。
大切な宝石を磨くように、甲洋の声と指先は一騎を労い甘く溶かした。

「俺と一緒に行こう。総士にも合わせてあげる」

一騎の瞼が落ちる寸前、甲洋はパチリと指を鳴らして、先ほど一騎によって昏倒させられた怪物を消し炭にした。吸血鬼の力が、かつてないほどに高まっているのを感じる。怪物たちの頂点に立つ、永久を生きる種族の血が、初めて喜びという感情を覚えていた。
己と同じ魔力をもつ人間の血。まさか気紛れに血を吸った人狼の探し人が、甲洋の眷属に足る人間とは思いもよらない収穫であった。

薄らと微笑んだ甲洋は恭しく一騎の身体を横抱きに抱えると、闇夜へと消え去っていった。


『ハロウィンの夜、また一人の人間が、闇夜に紛れた怪物によってこの世から連れ去られてしまいました』




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