爆風が視界を覆う。櫂は、事前の情報よりも敵数の多い虚無の陣営に対し、己の陣営の連携が乱れていることを肌で感じていた。
聖域の戦士たちは、個々の力こそ虚無に及ばずとも、ブラスター・ブレードら中核の騎士たちの指揮の元、卓越した連携攻撃と戦術が敵を圧倒する。櫂やレンのような、個人で強大な力を有する者とは異なる強みであるが、聖域の庇護を受けてこれまで一糸乱れぬ戦いを繰り広げてきた。
それがここにきて、僅かな乱れを感じさせる。
場所は、国の端。聖域の加護から物理的な距離が最も遠いとはいえ、アイチの祈りが届かないはずがない。
ならば、敵の力が以前より増しているか、それとも何か厄介な仕掛けでも用意されていたか、だろう。
それを見極めるべく、櫂は己の副官に敵方の情報を調べるよう伝えて単独行動をさせていた。だが、敵の優勢を悟った今、判断を誤っただろうかと眉を寄せる。
味方に動揺を見せるべきではないが、状況は決して良いとは言えなかった。
「俺も出よう」
剣帯を整えつつ立ち上がった櫂の後を、控えていたカーバンクルが追う。帝国の軍に属しながらも櫂に力を貸してくれる頼もしい仲間たちが、この戦場には多く馳せ参じてくれていた。聖域への恩は、彼らもまた櫂と同じく深く胸に刻んでいる。
「櫂様」
「ゲンジョウか……おまえはこの戦況をどう読む?」
回復役、そして観察眼にも優れているゲンジョウに問えば、難しい顔を一層顰めて声を低くした。
「不穏な気配を感じます。これまでの侵攻を目的とした物量戦ではなく、こちらの動揺を促すような算段があるのかもしれません……どうか、ご無事で」
「誰に言っている」
甘い小言を一笑に付して、櫂はドラゴンの背に飛び乗った。
虚無と戦う以上、己の安全は決して安請け合いできないが、諾々と殺されるほど弱いつもりはない。
そしてそれ以上に、自陣営の戦況が芳しくないと知ったアイチが、アルフレッド王の制止も聞かずに戦場に飛び出してくる可能性があるのだ。櫂やレンが護衛につくことができるのならまだしも、単独で先導者が戦線に参加するなど以ての外。アイチならやりかねない、という恐ろしい確信もある。
「青の王が守っているとはいえ、我が軍が有利というわけではありませぬこと、どうかお忘れなく」
「わかっている……何かあれば直ぐに呼べ」
そんなこと、櫂が一番良く知っている。
いくら守りたいと願ったところで、守られることの方が圧倒的に多い自分にできることは、彼が身を削る時間を可能な限り短くすることだけだ。
ドラゴンが翼を広げ、上昇する気流に乗り空を滑空する。視界はどこまでも煙と炎に包まれ、平穏は程遠い。
「……忘れることなど」
一秒たりとて、ありはしないのに。

「ミツケタ」

突如、撫でるような穏やかな声が、頭に直接叩きつけられるような衝撃を伴って、櫂を揺さぶった。
呻き声一つ上げることもできないまま、静かに、呆気なく、櫂の意識は爆風の中に消えた。



暗闇の中に沈むのは、言い得て妙だが、慣れていた。
独り夢の中で彷徨うこともあれば、かつての己と対峙することもある。
決まって眠りに落ちた瞬間から、目は暗闇の中でも恐怖を感じず、そこに在るモノを映し出す。
かつて虚無に支配されていた時も、同じだ。
いや、されていた時と同じ光景が、今目の前に広がっていた。
『力が欲しいか』
鏡に写る己のごとく、もう一人の自分と相対する。
懐かしさすら覚えてしまう、その変わらぬままの様子に、櫂は内心笑いが込み上げるのを抑えるので精一杯だ。
超えるべき己と相見えているのか。それとも、虚無は結局何も学ばず、同じ方法で櫂を引き込もうとしているのか。
腹に力を入れてしまえば、櫂はもうそんな薄っぺらな誘いに乗るほど愚かではなくなった。
今の自分には、光へと導いてくれる大切な存在がいるのだ。
「必要ない」
握り締めた拳。冷静にと務めながらも、言葉はどこまでも熱く放たれる炎のように明るい。
「俺は、俺の力で強くなる」
『強くなるための力は、ここにある』
「一度手に取ったからわかる。確かに絶大な力だ。だが俺にはもう、必要ない」
右手を当てた胸は、ほのかに暖かくて。
知っている。暖かさの意味を。彼が望んでくれる、おのれの姿を。
「俺は、俺自身の力で強くなり、あいつと共にいるんだ!」
一喝が波となり衝撃となって、虚無を打ち払った。暗闇に滲むように、相対していた自身は溶けていく。それを見送るでもなく瞼を閉じて、櫂は暗闇を抜け出すべく意識を整えた。
夢の中ならばなんとか覚めるのを待つしかない。内側にいる自分から、眠りを破るのは難しいだろう。虚無の力ならなおさら、予想もしない罠が仕掛けられている可能性もある。
迂闊に捕まってしまった情けなさはあるものの、今は悔やんでいてもしかたがないだろう。
帰り道、と思い描きながら櫂は顔を上げた。
「――っ!?」
だが、目の前に広がっていたのはただの闇ではなかった。
つい今しがた打ち払ったはずの影――自分が、そこにまだ立ち続けていたのだ。
にたりにたりと底なし沼のような悪意を纏って、もう一人の櫂が両手を広げる。

『先導者に懸想するか。愚かなことだ』

櫂をこの暗闇に堕とした声と同じ、頭に直接響くような圧迫感に唇を噛む。
踏ん張った足元が揺れないようにするだけ精一杯だというのに、虚無の言葉は櫂の意識にひびを入れた。
「先導者、だと……?」
『そう、先導者。儚い命にすべてを捧げる存在。ソレに自らの奉仕を見出すなど、愚かだと言った』
苦しむ櫂を見下ろして、虚無はさも愉快だとばかりにせせら笑う。
『アレは、我らの破壊と共に失われる命だ。無意味なことよ』
「ど、う……いう、ことだ……」
――失われる命。
ぞわりと背を悪寒が駆け上る。
青い髪を揺らして、必死に祈る姿が眼前に浮かんだ。
きっと今も一心に祈りを捧げているだろう、尊き姿。櫂が守るべき、守りたいと思い続けている、優しくて強い、悲しい背。
それが、失われる、のは。
「無意味、だと……? 破壊と共に失われる? 詳しく教えろ……!」
『おまえがもう一度虚無に堕ちれば、あるいは青の王の宿命を知ることもあるだろう』
問いをはぐらかす、道化師のごとき口調が櫂を嘲る。それができないと知っていてなお、餌を眼前に垂らして必死に掴もうとする獣を翻弄するように。
『おまえの絶望に染まる顔が楽しみだ』
「待て、それはどういう」
足元から這い上がる光が、次第に虚無と暗闇を飲み込んだ。
この暖かさはアイチの力だ。櫂を助けようと、きっと、力を使ったのだ。
消えゆく虚無はどろりと溶けた泥となって光に洗われ、櫂もまた眩い光に目を閉じざるを得ない。

――失われる命

脳裏にこびりついた声が、ひどく胸をざわつかせた。


「――櫂!!」
視界いっぱいに広がったのは赤で、暗闇ではなく色彩をもった世界に瞬きを二つ。
赤の向こうには金髪もあって、ほっとしたように櫂を見届けどこかへ駆け出してしまった。
「……レン」
「まったく、虚無に取り込まれるとかどんなうっかりさんですか。そういうミスは気の緩みに他なりませんよ」
「おまえにそんな小言を食わされている時点で、かなりの失態だな」
よく目を凝らさずとも、横たわっているベッドは医務室のもので、ここが世話になっている城の病棟であることはわかった。
ところどころ汚れた軍服は傍のコート掛けに下がっているが、それ以外の服は着たままのようで、いくつかのガーゼと点滴の痕、そして青い力の残滓が僅かに櫂の身体を包んでいる。
動き辛さは感じるものの、まったく微動だにできない程の体力の消耗ではないようだ。
「アイチがいたのか」
姿も気配も感じられないが、おそらく櫂を目覚めさせてくれたのはアイチなのだろう。
戦闘の後で疲れもあるだろうに、きっと倒れるまで城の中をかけずりまわっているに違いない。ブラスターブレードが共についていればいいのだが。
何気ない疑問であるがゆえに、軽い気持ちで問うたそれに、しかしすぐに返答はなかった。
「レン?」
訝しみ、馴染みの顔を見上げる。
赤い前髪に隠れた目元は、どこか傷つき怯えるように櫂を捕えていた。
「落ち着いて聞いてください」
嫌な鼓動が、響いたような気がした。
「アイチくんが、倒れました」
少しの負荷なら、いつもの事だと苦々しく笑い飛ばしているはずのレンが眉間に眉を寄せている。
「虚無に取り込まれたきみを見て、取り乱して、一心不乱に力を注ぎ続けて。誰の注意も聞かず、ただひたすら祈っていたアイチくんの身体に、虚無が吸い込まれました。まるで同化するみたいに」
抜けていたはずの力が、無理矢理に四肢を動かしてレンの胸倉を掴む。
だがその力は弱弱しい。信じられないと見開かれた瞳がレンに訴えた。
「アイチは、どこに」
「……ブラスターブレードが、揺り籠へと連れて行きました。危険な状態だと、そう言って」
項垂れるレンから手を離して、櫂はベッドに崩れ落ちた。
どういうことだとアイチを問い詰めたくても、隔離された揺り籠に櫂が足を踏み入れることは叶わない。
わかってはいても。

「俺はまた、あいつに助けられたのか……」

助けたくて、それだけの力を手にして守っていたはずなのに。
肝心なところでいつもアイチは。

「……レン、行くぞ」
「櫂?」
「あいつのところに」

揺り籠に入れないことなどわかっていても、己を助けてくれたアイチをどうして放っておくことができようか。

――失われる命

呪いのようにこびりついた声は拭えない。



***



「レンさんにバレちゃったよなぁ……」
天井から降り注ぐ青い光、すなわち空の色と陽の輝きを浴びながら、アイチは呆けた声で苦笑した。笑っていなければ、泣きたい気分だった。
激化する戦闘の最中、いくつかの部隊が虚無に飲まれたと報告を受けた。その場に急行すれば、櫂もまた同じく虚無の力に飲み込まれ、なんとか打ち払ったものの、目を覚まさないのだと聞いて。目の前が真っ暗になるような、本当に何も見えなくなってしまったような気持ちで、地面に横たわる櫂の胸元に手をかざしていた。
いけません、とブラスターブレードに止められても、事態の異常さに勘付いたレンに肩を揺さぶられようと、アイチは”かつて”櫂を助けた方法で虚無の力を払ったのだ。
想定外の力を使ってしまった。虚無の一片を身の内に取り込んだだけだというのに、倒れてしまうなんて。
「弱くなった……いや、限界が近いのかな」
先導者としての本来の力、それは祈りを捧げることではない。
聖域(サンクチュアリ)の加護を齎すことが、アイチが先導者たる意味ではないのだ。

目を閉じればいつも思い浮かぶ、”最初”の自分たちの戦い。
虚無との戦いはいつだって命を削るもので、その時も櫂は敵となって、アイチはそんな彼を助けるために多くの敵と戦った。
守りたいと願う人が櫂だけじゃなくなって、たくさんの仲間ができて、ただ一人を選ぶことができなくなったアイチは、それでも櫂が他の誰にも代えられない存在であることを誇りのように思っていた。
この人だけは救いたい。この人だけは助けたい。
叶うなら、一緒に生きたい。
叶わない願いを望みたくなるほどに。
「今回の僕は、どこまできみと一緒にいられるだろう」
腕で隠した目元が、陰になってぬくもりが消えていく。
どこまでも辛くて、怖くて、でもアイチにしかできないことである先導者としての力の行使は、決して無限ではない。
櫂を助けた時のように、虚無を取り込むということは。
「やがて虚無が消え去った時、僕も消えちゃうんだろうな……」
多くの虚無の力を取り込んできたせいで、アイチはもう意識のほとんどを虚無を抑えるために費やしているようなものだ。
祈りを捧げているのは、聖域の加護を齎す為であり、またアイチを虚無の浸食から守るための祈り。虚無を取り込むための力こそが、先導者の力の本質。
「櫂くん、僕は」
虚無を消して、きみをこの歪な連鎖から解き放ってみせるから。

麗らかな日差しにうとうとと瞼が落ちかけたところに、ふと小さなざわめきが耳を撫でた。
扉の方に視線を向ける。閉じられた重い扉の向こうには、ブラスターブレードがいるはずだ。
精悍な騎士がアイチの回復を妨げるようなことをするはずはないのだが、どうやら扉の前で誰かが一悶着起こしているのか、気配は消えない。
こんな場所に、絶対に止められるとわかっていて訪れる人間など、思い当たるのは二人だけ。
アイチは、少々の気まずさと顔を見たいという本音に突き動かされ、そっと床に足をついた。
近づくにつれ大きく響く声は、案の定聞きなれた人のものでアイチは無意識に眉を下げる。レンさんが伝えたかな、の口の中でぼやいた。
聖域に連なる者だけが開くことのできる扉。不思議なそれをアイチは苦もなく押し開けて、扉の向こうでブラスターブレードに詰め寄る櫂に目を細めた。
「櫂くん、ブラスターブレードを困らせないで?」
「アイチっ」
「マイヴァンガード!」
アイチの姿を認めた途端、騎士の腕をすり抜け櫂の手がアイチを捕らえる。まだ包帯に巻かれたままの手から、じわりと汗に滲んだような感触が伝わる。戦闘が終わってからまだ数刻と経っていない。短時間で全快するはずもなかった。
「倒れたと聞いた。俺を、助けたことが原因か」
「違うよ」
「おまえの力は……っ、先導者としての祈りだけじゃない、虚無を払うその力は」
「櫂殿!」
「櫂、落ち着いてください」
ブラスターブレードとレンに止められ、櫂の瞳が僅かに揺れる。言葉は続かず、アイチに訴えるような瞳は激しく燃え上がる炎のような色をしていた。
敵であれば竦むであろう苛烈な色と感情が、アイチを見下ろす。怖くないといえば嘘になる。櫂の怒りに触れるのは、悲しい。でも、アイチには貫かなければならない意思や、果たさなければならない責務がある。
そして、命を賭しても守りたい人がいる。
「どういうことなんだ。おまえは、何かを隠しているのか」
「隠してないよ。僕がきみに隠し事なんてするはずないじゃないか」
「……」
「ごめんね。ありがとう、櫂くん」
心配してくれた、そのことが嬉しい。刻々と身体を蝕む虚無を身の内に宿しながらも、櫂と隣に立ち、共に戦えることが、なによりも。
「大丈夫、すぐによくなるから」
掴まれた腕をやんわりと外し、白に包まれた両手を取る。
「僕はちゃんと戦えるよ」
アイチの微笑みに、櫂はとてもとても痛そうな顔をして、けれどそのまま何も言わず目を背けた。
自分の価値を戦いのためだけにおいている。そうさせている。戦いばかりが得意な櫂は、それ以上、何も言えるはずなんてなかった。
「アイチくん……」
レンにも心配をかけてしまったな、と自分の至らなさを痛感する。目の前で倒れるような無様な真似はもうできない。
大丈夫だと決意を込めて頷くが、レンは納得がいかないと唇をとがらせてきた。やはり、簡単に折れてなどくれない。
この二人を前に、隠し通すのは無理だろう。そんな予感がする。それでも抗うのはアイチの我儘で、大切な人に少しくらいかっこいい姿を見せたいなんて幼い自尊心のようなものだ。
青の王として、先導者として、彼らに恥じない自分である為にも。
「もう、二人ともブラスターブレードを困らせないでよ」
「すみませんマイヴァンガード。お二人を止められず眠りを妨げてしまいました」
「ほとんど目が覚めていたし、大丈夫だよ。ありがとう、ブラスターブレード」
「困らせていない。ここにいれば、すぐに目を覚ましたおまえに会えると考えた」
「だからって扉の前まで来るなんて」
下手をすれば聖域の掟に反したと逆賊の判を押されかねない行動だというのに、いざとなったら周りが見えない一途さには呆れてしまう。とはいえ、自分も似たようなものだ、強く咎めることなんてできない。
ましてや、会えて嬉しいと思ってしまうのだから、なおさら。
「ほら、僕も戻るから二人とも――」
「マイヴァンガード!!」
アイチの言葉を遮ったのは、階段下から尋常ではない様子で駆け登ってくるマロンだった。
何事かと四人の視線が小さな賢者に注がれる。マロンは息を整える暇もつかず、アイチの前で膝を折り頭を垂れた。
「ご報告致します。虚無が、」
頬に汗が伝う。逸る心が、最悪の未来を予測してがなりたてた。
「虚無が、聖域を取り囲んでいます!」



***



広がるのは、果てしない暗闇の力だった。
誰もが顔を青くする程の虚無の力。澄んだ明るさに満ちているはず空は漆黒に塗りつぶされ、艶やかに茂るはずの木々はぎこちなく風に晒されている。
生き物へ与える死の恐怖。純粋な闇、そのおそろしさがひたりひたりと聖域に足を延ばしていた。
「これは……」
虚無がここまでやってくる。
ついに、宿敵である聖域に戦争を仕掛けてくる。
感じずとも手に取るようにわかってしまった。これは、今まで一番強い力であると。
「……守れるかな」
言葉を失くす櫂の隣で、同じく外へと意識を巡らせていたアイチがぽつりとつぶやく。
無意識の弱音なのか、力ない言葉は櫂以外には聞こえていなかったようで、不安に揺れる青の瞳の奥に黒い霧が写り込んでいた。
ぎり、と奥歯を噛みしめる。
「守る」
アイチの肩を引き寄せる。櫂と比べて一回りも小さな、けれど誰よりも強い力を持つアイチの細い身体。
僅かに震えるその背を撫で、迷いなく言い放った。
「俺がおまえを守る。何度だって、いつだって、俺が守ってみせる。おまえが俺を助けてくれたように」
「櫂くん……」
ブラスターブレードが、高らかに声を張り上げ防衛体制を整えよと指示を出した。
背後ではレンが魔術を使って己の部隊に指示を伝えている。
動き出した各々は、それぞれのやるべきことを果たす為に動き出した。櫂もまた、同じように虚無を打ち払う一太刀とならねばいけない。

何かの映像が被る。
いつかの約束。
アイチは笑う、寂しそうに、嬉しそうに。

「うん、信じてるから」

泣きそうに。
記憶を揺さぶるもう一つの影。
泣きじゃくるアイチの手が、櫂に縋りひたすら何かを叫び続けている。

『やだよっ……』

記憶の粒が、櫂の瞬きに反射する。
この光景を知っているはずだった。だってそれは、かつて櫂が経験したはずのこと。

『死なないで、僕が、僕が』

「――必ず、戦って勝つんだ」

繰り返さないためにも、と。
目の前のアイチが意を決したように頷くのを見届けて、櫂は迎えに来たドラゴンの背に飛び乗った。


「バー!」
「櫂様、準備は整っております!」
ドラゴンの部隊は戦闘における先駆けだ。機動力を活かした空中戦から奇襲をかけることもあれば、先陣をきって敵とぶつかり盾にも矛にもなる。
それが櫂たちの役割であり、この聖域に救ってもらったことへの恩返しだ。
「敵は眼前だ。明らかに此方が先手を取られている。だが、怯えるなど言語道断」
「もちろんです!」
ドラゴンを駆る櫂を先頭に、背後に展開する部下たちが一斉に雄たけびを上げる。
一種の高揚感は、戦闘において絶大な力を発揮する。
己が強いという鼓舞、仲間がいるという安心感、そして勝つという自信。それらすべてが揃ってこその精神力は、たとえ大きな障害に立ちはだかろうとも屈しない心を保ち続けるために必要だ。
仲間が倒れても自分が生きている限り戦い続けるという精神力は、帝国という戦乱の地で戦い抜いてきたものたちにとって何よりも誇り高い矜持となる。
「帝国のドラゴン部隊の底力、見せてやるぞ!」
「おおおおお!」
聖域の空を駆けるドラゴンが、一斉に虚無へと攻撃を仕掛けた。


櫂が仕掛けたのを見届けたレンは、城の外縁に展開した魔術式を駆動させていた。
城を守るために時間をかけて編んだ術式は、敵に攻め込まれ籠城となった場合に備えていたものだ。本当に使うことになるなど思いたくも無かったが、民間人を城に避難させる時間が足りない今、一旦城の防衛を強化することに専念し、衛士らに住民の誘導を任せる。
戦闘部隊が戦ってくれている今ならば、まだ僅かな時間が稼げるだろう。
直属の部下たちは戦闘部隊の補助に回ってもらっている。故に、レンは一人。
「……そこまで戦闘力が高いわけではありませんが」
常に身に着けてる魔術師としての装束が、漆黒の鎧へと瞬時に切り替わった。全身を黒で覆いながらも、その様相は白亜の騎士であるブラスターブレードを思い起こさせ、長身の剣は色こそ違えどブラスターブレードが使う獲物と瓜二つ。
かつて雀ヶ森レンが、アイチと出会う前に戦っていた時の装束。夜域の人間のみが纏うことができる、黒き夜の力。
音もなくレンの元へと降り立った漆黒の力を持つ者たちが、自らの先導者を見据えた。
「ブラスターダーク」
「御意」
レンの呼びかけに答えたのは、レンと同じ鎧を纏う青年だ。
深い碧のマントをなびかせ、佇む。
「聖域の者たちと共に戦うことを、きみは受け入れますか?」
「それがあなたの命令ならば」
「じゃあ、僕はこう命令しましょう。『自分の意志で戦うつもりのある者は、僕と共に虚無を退ける力となりなさい』」
レンの言葉に、誰一人として躊躇う素振りは見せなかった。
満足気に笑う魔術師は、赤い髪を不穏な風に乗せ高らかに謳う。
「さあ、僕たち夜域の力を虚無に見せてやりましょう」
振りかぶった剣の一振りが、閃光と共に虚無の軍勢を消し去る。
後に続けとばかりに漆黒のドラゴンが大きく羽ばたいた。





――櫂くん、レンさん

――僕は、二人が笑って生きている未来を創るよ

――絶対に、二人が生きていける未来を

――僕はそこにいないと、知っていても